記録のみ
2010年度 168冊目 『文学フシギ帖―日本の文学百年を読む』
藤木 久志 著
岩波書店
岩波新書 新赤版 1248
2010年7月21日
252ページ 840円
11月4日
早朝に起き、弁当を作る。
朝しばらくは自分の時間とばかり『文学フシギ帖―日本の文学百年を読む』を楽しみ、只今読了。
まず初めに目次を見るのはいつもの癖。
開高健と飢え、梶井基次郎と食事日記 をつまみ食い。それもそのはず、食の話^^
続いてかいつまんで読んだのは 川端康成、五人旅、西遊記、龍之介と鼻,井伏鱒二の唐詩選 。
これらをまず読んで満足した後、初めから順に読み始める。
『文学フシギ帖―日本の文学百年を読む』は一般読者であるわたしとは違った視点から紐解かれ、おもしろい。
漱石と狸の中の「我が輩は狸である」のは無しは興味深かった。
藤木 久志さんの文章が読みやすく、わかりやすい。これはわたしには嬉しい条件の一つ^^
藤木 久志さんは『森の紳士録 ―― ぼくの出会った生き物たち ――』(岩波新書 新赤版 970)というエッセーを綴っておられるようだが、おもしろそうだ。
みなさま、見て下さいましてありがとう☆
とても嬉しいです☆
今回も簡単な記録だけで、失礼申し上げます☆
岩波株式会社 ▼
〈読者力〉を鍛える!
書き手、つくり手の想像力はいいとして、問題は読み手、受け手のそれである。言葉のフシギを味わうためには、読者の側にも、フシギをつくり出す能力が必要なのではあるまいか。みずからの想像力に刺激を与えて、たえずその拡大と延長につとめるべきではなかろうか?……この『文学フシギ帖』は、いつのころからかフシギをつくり出す研鑽にはげんできた人物の覚え帖である。
(「はじめに―フシギ入門」より)
文学作品の最大の魅力、それは〈フシギ〉を秘めていること。わたしたちが普段つかうのと同じ言葉を用いながら、何かしらひとの心をふるわせる、新しい世界を描いてみせる作家たち。しかしそれを存分に味わうためには、こちらも〈読者力〉を身につけねばなりません。
当代随一の読み巧者である著者の視点は、さすが、多種多様。誰もが知っているあの作品の新しい一面におどろき、歴史に埋もれた隠れた名作を堪能し、文学作品の魅力を最大限にひきだしてくれます。
もうすぐ夏休み。旅に携えてゆく一作を探して読むもよし、文学史の楽しいおさらいとして読むもよし。お手元にぜひ一冊、老若男女におすすめの文学入門です。
■著者紹介
池内 紀(いけうち・おさむ)1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。
著書─『ぼくのドイツ文学講義』 『森の紳士録』(以上、岩波新書)、『ゲーテさんこんばんは』(集英社)、『カフカの生涯』(白水社)、『祭りの季節』(みすず書房)ほか多数。
訳書─ゲーテ『ファウスト』(集英社文庫)、『カフカ短篇集』(岩波文庫)、『カフカ小説全集』(白水社)ほか多数。
■目次
はじめに―フシギ入門
I
鴎外と高利貸
漱石と狸
露伴と水
啄木の臨終
稲舟の涙
子規と「明治の女」
五人旅、西遊記
杢太郎のエロス
牧水と言霊
白秋と『落葉松』
晶子と「世界の標準」
藤村と道化役
龍之介と鼻
II
宮沢賢治の広告チラシ
佐藤春夫の故郷
志賀直哉の『剃刀』
萩原朔太郎と猫
内田百﨤と借金
中島敦の「和歌でない歌」
梶井基次郎と食事日記
久保田万太郎と湯豆腐
高村光太郎の贖罪
中里介山と「音無しの構え」
永井荷風と幻の町
小川未明の模倣
菊池寛の『入れ札』
III
坂口安吾と否定法
堀辰雄とステッキ
林芙美子、二十三歳
太宰治と『家庭の幸福』
織田作之助、二十七歳
丸山薫と「鶴」
ダメ男、尾形亀之助
岡本かの子と歌
井伏鱒二の唐詩選
長谷川四郎と文学風土
江戸川乱歩の犯罪
三島由紀夫の「宴」
川端康成と二人の青年
金子光晴の『鮫』
IV
梅崎春生とチョウチンアンコウ
尾崎放哉の孤独
幸田文と『崩れ』
深沢七郎と人間喜劇
開高健と飢え
手塚治虫と「ファウスト」
池波正太郎の「御馳走」
寺山修司のパロディー
澁澤龍彦と「赤道」
須賀敦子と異文化
村上春樹の自由
あとがき
本書に登場する作家(生年順)