乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

172; 筑摩現代文学大系 59 から 『思い出』『魚服記』『列車』『地球図』 太宰治 1975年

2010年11月16日 | 読書全般(古典など以外の一般書)








記録のみ

             2010年度 172   『思い出』『魚服記』『列車』『地球図』



 太宰治 著


 筑摩現代文学大系 59

 筑摩書房

 1975年9月20日 

 492ページ 
    うち 『思い出』『魚服記』『列車』『地球図』 14-53ページ






『思い出』


 私は太宰治についてどれだけのkとを知っていたのだろうか。

 太宰治へ抱くイメージが覆された。

『思い出』は私の関心ごとにおいても小説としても好きな短編だった。

 わたくしが知らない古きに本だが、どこか懐かしさを覚える作品だったと感じる。





『地球図』


 シロオテは折檻されながらも、日夜、長助はるの名を呼び、その信を固くして死ぬるとも志を変えるでない、と大きな声で叫んでいた。
 それから間もなく牢死した。下策をもちいたもおなじことであった。


 うん?

【その信を固くして死ぬるとも志を変えるでない】とな?

 設定は全く異なるが、最近こういった映画を見たような気がする。

 レンタルDVDで見た『ブレイブハート』と終わり方が似ている。


『地球図』は方かなのちりばめ方が小説無いようにぴったり。この小説、少しかたさは感じるが、おもしろい。



 

 今回も記録のみにて失礼致します。



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いかにも鬼じゃ、身共を鬼には おのれら二人が 致したぞよ   鶴屋南北

2010年11月16日 | 古典全般(奈良〜江戸時代)



      盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)





 や、や、三五大切…。

 すりゃ五大力に書きすえて一生抜けぬ
           (添える)
 われが腕に人目いとわず彫物の

 刃物をもっての三五大切。

 かくまで身どもを偽りおったかぁ~。




 いとしいか。不憫よのう。

 わが子を不憫に思わば、おのれが手にかけて かようにいたせよぉ。
 


 ええ、こなたは 何と

 何にも知らぬこの子まで。

 いかに憎し なんでわが子を…。

 えぇえ、鬼じゃ、鬼じゃ、こなたは鬼じゃ。

 鬼じゃわいなぁ~~



 いかにも鬼じゃ

 身共を鬼には おのれら二人が 致したぞよ

         (ここで仁左衛門丈はにんまりと含み笑いするだろう…。ここが見たい)









 今しがた、歌舞伎美人から臨時メールが届く。

 二月、

 松竹座でわたくしの好きな演目の一つ『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』がはられる。

 うれしやうれしや

 乳児が津を目前に、忠臣蔵(おかる 勘平)裏返しの『盟三五大切』演目発表?

 松竹さんも粋なことを…。



『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』は歌舞伎でも花組芝居のパロディでも見たことが有るが、何度見てもおもしろい。

 鶴屋南北、あっぱれじゃ!


 
 昼の部は  『彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』毛谷村六助  仁左衛門

 一月二月と、歌舞伎

 二月 昼夜通し狂言だ!

 うれしやうれしや、うれしぃわいなぁ。



   こいつぁ 春から  縁起がええわぇ







大阪松竹座

片岡仁左衛門 昼夜の仇討
二月大歌舞伎

平成23年2月1日(火)~25日(金)


   昼の部

  通し狂言

    彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

                 毛谷村六助  仁左衛門



   夜の部

  通し狂言

    盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

                薩摩源五兵衛  仁左衛門










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イスラム圏で 近づく犠牲祭に使う ヒツジを盗む。 (テレビにて)

2010年11月16日 | イラン2007~2010(6回)




 お昼の休憩のため、ふとテレビをつける。半端にニュースが聞こえてきた。

 なんでもトラックに乗せられたヒツジを狙った犯行があったとか…。

 バイク二人乗りが後方から走るトラックに近づき、ひとりが荷台に乗り上がる。

 ヒツジをひきおろすといったスタントマン顔負けの犯行のようす。



 盗まれたヒツジ何と2◯◯匹?だったか?

 テレビでは イスラム圏で近づく犠牲祭に使うヒツジを盗んだと言う。


 犠牲祭と言うと。昨年十二月にイラン入りした際、モサッハム月にあたり、アーシューラーを経験。

 何日も前から街を練り歩く楽隊。

 アーシューラーの一週間も前になると、夕刻にはヒツジのは行った煮込みライスがふるまわれる。



 アーシューラー前日にはモスク前でも 人々は菓子や食べ物を振る舞う。

 バラ水を人々や地に振りかけ、まるでケガレを浄化しているように感じる。

 男たちはホセインの痛みを自分にも受けるためか、左胸を右手げんこつで強く撃ったり、あるものはチェーンで体を打つ。

 基本通り、真冬だが、裸足の男。

 女たちは男たちの群れとは離れ、涙ながらに右手で左胸にリズムを取る。

「あぁ!ホセイン!」(言葉はわからない)
 
 熱気あふれる ひげ面の男。

 それをみまもる眉深き女。

 何の疑いも無い、大きな目のこどもたち…。



 アーシューラー前日、午後八時。

 トラックに積まれたウシ二頭、ヒツジ三頭が広場に引きずられて皆の前によこたわる。

 脚は縄でしばられ、身動きはとれない。

 それでも何かを感じてか、足掻き、モウモウと地響きのような声を出す。

 人々に深刻な表情はなく、皆、笑っている。

 なぜなら 地を穢し、犠牲を捧げることによって、いいことが起こると信じて止まないのだから。



 しばらくして「ウシ解き」がニ人ばかり現れる。

 ウシを取り巻く輪ふたつ。

 輪は少しあとずさりし、ウシは素早く首をかっ切られる。

 輪の真ん中にはどろどろとした血が流れ、たまっている。

 人の輪はすぐにふたつ目の輪に流れる。

 夜、モスクの薄明かりに光る血は 宗教の重みを感じさせる。



 次は ヒツジ。

 ウシと同じように素早く機微をきられ、素早くトラックに積み込まれる。

 けしてその場で血を滴らせよう(血抜きしよう)という訳では無いが、動脈からは値が滴り落ちるようだ。

 何とも初めて見たアーシューラー前日の神事は、わたくしには印象が強すぎて、その夜は眠れなかった。

 イスラム圏で近づく犠牲祭に使うヒツジを盗んだと言うニュースを見て、何となく損なことを思い出した。



 アーシューラーは毎年日が変わる。

 今年は十二月十六日頃。

 今年もイランに行くが、私がテヘランに着いた頃には アーシューラーも落ち着いた頃だろう。

 ただ五日間続くであろうタージイエ(受難劇)は地方でもみつかるかもしれない。

 危険が無さそうであれば見学可能かもしれない。

 だが年々親日感情が薄れるので、期待はできない。

 無事一番を願って、無理はしない予定。



 そういうと イスラエルでは家電18万円分を買うと、ヒツジをプレゼントされると言う。

 イスラエルではイスラム教徒17%。

 イスラエルのニュースはネット検索で出てきてくれた。



 学生時代 奄美大島郡 喜界島に行った折、島民に 驚くばかりにもてなされたことが有る。

「次に来た時にはヒツジかヤギをつぶすから…。」
と島民たちは口を揃える。

 ヒツジは日本の南の島までも特別の食べ物のようだ。
 



 
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雑 メモ

2010年11月16日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.


 メモ





     

          『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ) 岩波 新日本古典文学大系 上下






 口調良し、原本の挿入画良し。
 
 楽しそうな本だ。

 こりゃ、芝居見ずとも 楽しめる!?^^::

       …てなことになれば、あっぱれじゃ。






 wikipedia▼

『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)は、柳亭種彦の未完の長編合巻。挿絵は歌川国貞。文政12年(1829年) - 天保13年(1842年)刊。大当たりしたが、作者の筆禍と死去により、第38編までに終わった。ただし、第39編と第40編は、遺した稿本により1928年(昭和3年)に公刊された。


紫式部の『源氏物語』を下敷きにして、時代を平安時代から室町時代へ移している。
将軍足利義正の妾腹の子・光氏が、将軍位を狙う山名宗全を抑えるため、光源氏的な好色遍歴を装いながら、宗全が盗み隠していた足利氏の重宝類を次第に取り戻す一方、須磨・明石に流寓して西国の山名勢を牽制し、宗全一味をはかりごとで滅ぼした後、京都に戻り、将軍後見役となって栄華を極める。





Yahoo! JAPAN  百科事典 ▼

 柳亭種彦(りゅうていたねひこ)作の合巻(ごうかん)。1829年(文政12)初編刊、1842年(天保13)38編刊(39、40編は未刊草稿のまま、未完)。歌川国貞(くにさだ)画。書名は、原典である紫式部の『源氏物語』に対し、翻案の意から「似せ紫式部」、通俗性を加えた意で「田舎源氏」としたものである。足利義正(あしかがよしまさ)(桐壺(きりつぼ)帝)の寵愛(ちょうあい)を受けて花桐(桐壺)は光氏(みつうじ)(光源氏)をもうけながらも、富徽前(とよしのまえ)(弘徽殿(こきでん))に対する心労のあまり病没する。義正の偏愛を避けて、光氏は義母藤方(藤壺)と不義をしたとみせ猟色を装い、ひそかに紛失した3種の宝の行方を尋ねる。そのうち将軍職をうかがう山名宗全の魂胆を知った光氏は、宗全が味方に引き込もうとする遊佐国助(ゆさくにすけ)の妾腹(しょうふく)の娘紫(紫上)を人質にとり、二葉上(葵上(あおいのうえ))の死後は正妻に迎える。桂樹(かつらぎ)(朧(おぼろ)月夜)に近づき浮名を流し、わざと須磨(すま)に流された光氏は、そこで宗全の弟宗入の娘朝霧(明石(あかし))を恋人に迎え、ふたたび都に戻り宗全の野望を砕く。のち宗全の娘朝顔(槿(あさがお))から宝刀小烏丸を取り戻し、すでに水原(みはら)(源典侍(げんのないし))と阿古木(あこぎ)(六条御息所(ろくじようのみやすどころ))から取り返していた玉兎(ぎよくと)の鏡と勅筆の短冊をあわせ、ここに3種の宝をそろえた光氏は、将軍の後見役となり、夕霧丸(夕霧)と高直(たかなお)(頭中将(とうのちゅうじょう))の娘雁金(かりがね)(雲井雁(くもいのかり))との恋仲を裂いたことから高直と疎遠になるが、高直の隠し子玉葛(たまくず)(玉鬘(たまかずら))を養女とし氾廉(ひろかど)(髭黒大将(ひげくろのたいしよう))の妻とする。時代を室町時代に移し、御家(おいえ)騒動と重宝の詮議(せんぎ)という合巻の常套(じょうとう)的構想で筋の展開を図り、画工国貞の力を借りて全体に歌舞伎(かぶき)的趣向の汪溢(おういつ)する艶麗(えんれい)な挿絵を配したことが、当時の婦女子読者に熱狂的に迎えられるところであった。その絢爛(けんらん)華麗な世界の描出が大奥モデル説を生み、やがて絶版に処され、ために未完に終わっている。








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ベルギー王立図書館所蔵『ブリューゲル版画の世界』美術館「えき」KYOTO (13景+7)

2010年11月16日 | 美術・文様・展示物







         ベルギー王立図書館所蔵
        『ブリューゲル版画の世界』
         

         美術館「えき」KYOTO
          JR KYOTO ISETAN












 





 





 





 





 





 


 頂いたパンフレットから ▼




















 今年楽しんだ『THE ハプスブルク』展  (京都国立博物館)

 この展覧会では おそらく3~400号以上は有ると思われるえらく大きな、ヤン・ブリューゲル(父)の油絵が二点あった。

 覚えている限りでは茶基調に赤やご気茶の散らばる農民の酒を飲んでいるようすや婚礼のようすだったように記憶しているが、定かではない。

 ただただ素晴らしいとため息をつき、『THE ハプスブルク』展そのものの素晴らしさに、二度足を運んだのであった。



 それ以前に ブリューゲルを見たのは ここに記録する限りでは 2007年。

 『ベルギー王立美術館展』 大阪・中之島国立国際美術館

 ピーテル・ブリューゲル (父と考えられている)作の 油絵だった。

 記録を読んで鮮明に思い出したが、この絵の前では大学教授が学生たちに講義されていたのだった。



 気にかかるのは ヤン・ブリューゲルと ピーテル・ブリューゲル

 恥ずかしながら こんがらがるので、調べてみて、ようやく納得。



  家系図



               lーーピーテル・ブリューゲル (子)
               l
               l
ピーテル・ブリューゲル(老)ーl                 ダフィット・テニールス (子)
               l                      l
               l               lーーアンナ・ブリューゲル
               lーーヤン・ブリューゲル (父)ー l
                              lーーヤン・ブリューゲル (子)ーーアブラハム・ブリューゲル






 明治大学公開文化講座 『妖怪』風間書房には 挿絵として、ピーテル・ブリューゲル (子)の「悪女フリー」(1956)「地獄の入り口」「怪物人間」などが載せられていたようだ。


       

            




 京都えき美術館で見る『ブリューゲル版画の世界』は『エッシャー展~視覚の魔術師』 奈良県立美術館のようにガラス越しの双眼鏡貸し出しといったものではなく、版画作品をまじかで楽しむことができた。

 細かな銅版画を丁寧に舐め回しながらみることができた。版画はまじかで見る場合と遠くは慣れて音楽を心で感じながら見るのとは感じが油絵以上に変化するので、これはありがたいと心が躍る。

 幸か不幸か、一枚一枚を丹念に見ると、相当な時間がかかったが、ブリューゲル作品にここに来て誤解していた部分が鮮明に解き明かされ、わたしにとっては有意義な美術展だった。

    

             


 みなさま

 最後までおつきあい下さいまして、ありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。

 作品の説明や感想はノートに書き込んでいるのでここでは省略し、記録のみにて失礼致します。





                            京都えき美術館にて
                             
                              2010年11月 






 JR KYOTO ISETAN ▼

16世紀ネーデルラントの巨匠ピーテル・ブリューゲル(1525/30-69)は日本人にとても親しまれている画家です。ブリューゲルは聖書の世界、ことわざ、子供の遊び、民衆の祝祭、農民の労働をテーマに描いています。特に寓意をこめた作品では人間の弱点や愚行を諷刺とユーモア精神によって表現しています。
本展は、ベルギー王立図書館の全面的な協力を得て、日本では約20年ぶりに開催するブリューゲル版画の展覧会です。またブリューゲルだけでなく、世界初の試みとして、同時代の版画も合わせ、約150点を展示します




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