乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

95; 『七王妃物語』  ニーザーミー 著  黒柳恒男 訳  東洋文庫

2009-07-20 | 読書全般(古典など以外の一般書)
 記録だけ  2009年度 95冊目          



    『七王妃物語』 ニーザーミー
    
      
  
 

              


 ニーザーミー 著

 黒柳恒男 訳

 1971年7月21日 初版

 1980年7月1日 第2版

 平凡社

 東洋文庫 191

 304ページ ?1600円~+税   


    



 ニーザーミーの 『七王妃物語』を読む。

 約十日近くかけて、ようやく読了。

 たいへん面白い話もあり集中して読んだが、何ぶん 芝居の『NINAGAWA 十二夜』を観劇したり、祇園祭の日に歩き回った後 神楽を三時間以上も楽しんだり、あるいは三連休で息子が三日間帰宅していたり。

 とにかく楽しいことが多く、読書の時間が少なかった。

 併読して『七王妃物語』の後半あたりから 東洋文庫の『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』(タージ・アッサルタネ、アッバース・アマーナト著)を読んでいるせいかもしれない。

 途中でに作品が混同。

 頭が混乱状態。

 内容の濃い本なのに併読といった無謀な読み方をしたため、『七王妃物語』は後半も『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』の前半も自信がない。(笑み)



『七王妃物語』も面白くて黄色の付箋を付けながら読み進めていくと、付箋でイワトビペンギン状態。

 全体に比喩表現が多いが、中にはそのままといった比喩に値しない言葉もあり、かえって楽しい。

 付箋を付けた部分を後ほど読み返してみたが、後で見てみるとなんだか気恥ずかしいので記録するのはやめた。

「ラー・ハウル、ラー・ハウル。(桑原、桑原。)」



『七王妃物語』に限らずペルシア関係の本を読んでいると『王書』がよく出てくる。

 知人にその旨を話すと、一冊の本を貸してくれた。

 題して『ペルシアの神話』

 この本なら以前読んだことがあるが、神話なので、もう一度楽しんでみようと思った。



 ところで『ペルシアの神話』の著者は今回読んだ『七王妃物語』の訳者と同じ黒柳恒男先生らしい。

 今までにも名前は知ってはいたが、なんだかすごい先生らしい。

『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』読了後は『ペルシアの神話』を再読しようと思う。




       

              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山鉾町の『屏風祭』  京都祇園祭 宵山に

2009-07-20 | 美術・文様・展示物

  


 写真のような屏風が多くの旧家で堂々と飾られている。

 私は二枚目の水墨画の屏風が好き。

 誰の作品か、どこのお宅のものかはわからない。

               
         




 祇園祭に行くと、必ず山鉾町の旧家を訪れる。

 仏光寺や綾小路や西洞院といえば父に連れらて、仕事関係のうちに毎年いったものだ。

 何しろ私はこの辺りで生まれ、物心がつくまではこの辺りで育った。




 新しい青畳の香り。

 多分江戸時代くらいの趣きある段通。

 迫力のある屏風や掛け軸。

 着物や織物。

 武者。

 大きな美しい生け花。

 おかしとお茶のおもてなし。




 こもあたりは着物関係の仕事の民家も多い。

 玄関には
   呉服屋
   ゆのし
   蒸し
   下画(したえ)
などといった仕事内容が表札付近の下金のところに書かれた家も多く見かけることができる。西陣などに並んで、非常に京都らしい民家が集まった住宅の一つといえる。




 祇園祭に飾られた屏風。

 自然体で普通に空気のように感じていたが、『屏風祭』というそうだ。
 
 杉本家住宅(綾小路新町西入ル)は1500円で民家の仲間で見ることができる。

 他に700円のお宅もあった。

 私はこの日は一人だったので、交通費以外は使わず、恥ずかしながら無料で屏風や調度品を解放して拝見させていただくことのできる旧家ばかりを訪れていた。(笑み)




 今回も旧家を何軒かを見て歩いた。

 幼い頃から父につれられ挨拶回りをしたあの日が鮮明に心に描かれる。




 ただ違うのは、、青畳の香りをかがなくなったこと。

 ここ二十年あまりはめっきり減類っぽうだったが、我子どもが幼い頃はまだ何軒かは新しい畳に変える旧家も見られた。

 だが今年の祇園祭では、一軒も新しい大畳の匂いを嗅ぐことは出来なかった。

 染色業界も不況のあおりを受けられているのであろうか。

 少し寂しいい感覚に陥りながら山鉾町を後にした私であった。


               

         



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山鉾を組む  「釘一本 使わず縄で 組む山鉾」

2009-07-20 | お出かけ


      





 釘一本 使わず縄で 組む山鉾





 写真一枚目は、長刀鉾。


 写真の二枚目は芦刈山です。

 いずれも縄で組まれています。

 見にくい写真ですが、お許し下さい。






           京都祇園祭 宵山


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父との思いで  長刀鉾にて

2009-07-20 | お出かけ

 長刀鉾で見かけた父と男の子。

 長刀鉾は現在も女人禁制。


   


 私も幼い頃 父につれられて、祇園祭には山鉾町の知り合いの家に御挨拶回りに行ったものだ。

 新しい青畳の香りの記憶。

 絨毯や屏風。

 お茶とお菓子のおもてなし。

 それらひとつひとつの心のこもった来客への心使いがうれしかったものだ。

 今は亡き父との思いで。



      
            


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『祇園囃子』  宵山に月鉾にて

2009-07-19 | 舞台・音楽 雑感メモ



 コンコンチキチン~ コンチキチン~

           コンコンチキチン~ コンチキチン~


  


 私の思い描く京の夏といえば、

    鱧

    川床 (かわどこ)

    祇園囃子

です。

 夏の蒸し暑さの中で コンコンチキチンを聴きながら冬瓜や鱧をつつき長良、きゅんと冷えたビールを薄いグラスでいただく。

 私の生まれ育った京都の祇園祭はこんな感じです。




 写真は月鉾。

 祇園囃子は壬生のデンデケ・・・と同様、幼い頃から慣れ親しんだリズム。



 コンコンチキチンの調べは、ハード・ロックにも似てるんですよ。

 自ずと心は高鳴ります。

 

                 

           

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『牛頭天王』に思う  綾傘鉾にて

2009-07-19 | お出かけ




    『牛頭天王(ごずてんのう)』  綾傘鉾



 綾傘鉾には 『牛頭天王(ごずてんのう)』がまつられていました。

 Yahoo辞典さまと箕面ボランティア観光案内HPさまから牛頭天王について書かれた部分を転載させていただきました。



 牛頭天王は祇園祭と深い関係にあるようす。

 祇園祭りはもとは祇園御霊会ともいわれていました。

 御霊信仰の影響を濃厚に受けた祭なのだそうです。

 

 御霊とは非業の死をとげ、この世に未練や恨みを持つ死者の霊魂。

 このような霊魂が人々に疫病を振りまくと信じられていました。

 それらの荒ぶる霊魂を歓待し、慰撫することによって災厄をもたらさぬように神の世界へ送るための祭礼が『御霊会』(ごりょうえ)の目的です。



 御霊信仰は平安時代には牛頭天王(ごずてんのう)の祭と習合。

 祇園御霊会として定着。



 牛頭天王はインドでは祇園精舎の守護神。

 日本では御霊信仰と結びつき、厄神と考えられる。



 この神を祀れば疫病や災厄から免れることができるとして、広く民間に普及。


 鴨川や桂川などの京都の河川は、かつてはよく氾濫。

 河川の氾濫は水害であり、同時に、伝染病の流行という二次的な被害をもたらしていました。

 災厄や疫病の招来の根源とされた御霊を祀り、京の町の平安を祈願して、祇園祭りを行いました。

 こうして 牛頭天王を祀る神仏習合の社殿としての祇園社が成立したのです。



 そうして今年私は綾傘鉾にて、牛頭天王がまつられていることを知りました。

 面は美しく、趣があります。

 私の心は高鳴ります。

 綾傘鉾で祇園祭本来の目的ともいうべき疫病の鎮まりを祈願するともいえる牛頭天王に出会え、私屋家族、友人、これを観て下さいましたみなさまの厄が祓えるような気がいたします。

 とても喜ばしい宵山を楽しめましたことを付け加えておきたいと思います。


 皆様方に 幸あれ!!

 
  


                 




Yahoo辞典より 転載


頭天王(ごずてんのう)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身とされ、薬師如来(やくしにょらい)を本地仏とする。武塔天神(むとうてんじん)、あるいは京都八坂(やさか)神社(祇園(ぎおん)社)の祭神として祇園天神ともいう。平安時代から行疫神として崇信され、祇園祭はこの神を祀(まつ)って疫病を鎮める年中行事である。牛頭天王は、インドでは祇園精舎(しょうじゃ)の守護神であったが、わが国では、最初は播磨(はりま)国(兵庫県)明石(あかし)浦に垂迹(すいじゃく)、ついで広峰に移り、その後、京都東山瓜生(うりゅう)山北白川東光寺へ、さらに清和(せいわ)天皇869年(貞観11)東山の感神院に移ったとされ、それが現在の八坂神社である。『蔵王陀羅尼経(ざおうだらにきょう)』には、この神が「癘鬼(れいき)を縛撃(ばくげき)して疫難を禳除(じょうじょ)す」とみえる。また『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文には、武塔天神が蘇民将来(そみんしょうらい)から受けた一宿一飯の恩に報いるため除難の法を教えたとあり、これにちなみ、社寺では正月に疫病除(よ)けの護符として蘇民将来札が出される。牛王(ごおう)宝印も牛頭天王の護符で、祇園社から出ていた。




箕面ボランティア観光案内HPより 転載


牛頭天王信仰
 箕面に限らず、全国的にスサノオノミコトを祀った神社は数多い。これらの殆どは以前は牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたものである。
 箕面でも、桜ケ丘の阿比太神社は昔は牛頭天王社と呼ばれ、粟生間谷のスサノオ神社もかつては粟生天王社と呼ばれて、いずれも牛頭天王を祀っていた。それだけでなく、石丸の為那都比古神社も牛頭天王社であり、今は廃社になった白島の大宮神社も大婦天王社と云われて牛頭天王を祀っていた。 

 牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神で、疫病を防ぐ神であり、薬師如来を本地仏とし、神道におけるスサノオ神と同体であるとされている。また、祇園精舎の守護神であるので、この神を祭った場所は、しばしば祇園と呼ばれる。
 京都祇園の八坂神社は、貞観年間に円如が播磨国広峰から牛頭天王を遷してここに祀り、元慶年間、摂政藤原基経が牛頭天王のために精舎を建て祇園社と呼んだのに始まる。天禄元年、悪疫を鎮める祇園御霊会(祇園祭)が始まったと云われる。

 当時は医療技術が乏しかったので、疫病を防ぐ強い力を持つ牛頭天王に対する信仰は、平安時代末期から中世にかけて広範囲に広まっていった。牛頭天王は略して単に「天王」と呼ばれたが、民衆にとって、「てんのう」とは、天皇のことではなく牛頭天王のことであった。
 新たに牛頭天王を祀る社を作るのみならず、従来からの古社に牛頭天王を併祀することも多く行われた。そして、それらが、いつの間にか、従来からの祭神を押しのけ、牛頭天王を主祭神とするようになり、社名までもが変えられていったのである。

 下って、近世に入ると、国学者や神道家が現れてくるが、彼らにとって牛頭天王は誠に疎ましい目障りなものであった。神道こそ絶対であるとして、神仏混淆・本地垂迹を排撃する彼らにとって、記紀の中で重要な位置にあるスサノオ神と習合している牛頭天王は許しがたいものであった。さらに、「てんのう」と称することは「天皇」に対する重大なな僭称であり、大不敬と思われた。延喜式に記された由緒正しい古社までが牛頭天王を祀っていることに彼らは憤激したのであった。

 かくて、彼らは牛頭天王信長対策説なるものを考え出す。これらの神社は織田信長による社寺破壊の難を免れるために、織田氏が信仰篤い牛頭天王を祀っていると称しただけのもので、本意から牛頭天王を祀ったのではないと云う説を作り出したのである。今、為那都比古神社に建っている「為那都比古社」と彫られた石柱は彼らによって立てられたもので、「牛頭天王社と称してはいるが、こここそ延喜式内の為那都比古神社である」と云いたかったのである。

 やがて明治維新となる。国学者たちが拠った明治政府は神仏分離を政策とし、牛頭天王を祭神としていた神社に対しては、すべてその祭神をスサノオ神に変えるか、もしくは、祭神の中から牛頭天王を除外することを求めた。かくて、京都の祇園社自身も、その名を八坂神社と改め、祭神をスサノオ神に変更した。箕面でも、為那都比古神社は名を昔に戻しで祭神の中から牛頭天王を削除し、阿比太神社は名を旧に復して祭神をスサノオ神とし、粟生天王社はスサノオノミコト神社と改名し祭神もスサノオ神とした。



                宵山に  
                   京都  綾傘鉾にて





  


                 



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綾傘鉾 『面』と『祇園囃子』のお台本

2009-07-19 | お出かけ





 YouTubeで 綾傘鉾の棒踊りを楽しんでいました。

 手の形は能楽を思わせる部分あり。

 動きは基本的にアップテンポで迫力があります。

 途中に入る
「よぅいよい。」
の掛け声も素敵でした。

 綾傘鉾の棒踊り、実際に観てみたいものです。



 ところで写真は綾傘鉾の棒踊りのときにもかぶられた方が座っておられました。

 面の斜め前には祇園囃子のお台本。

 両側には衣裳も飾られ、心ときめく時間を過ごすことができました。



               

                京都   綾傘鉾
                       綾小路通室町西入(善長寺町)

                       祇園祭 宵山の日に






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妖艶なる美しさをもつ『綾傘鉾』   京都にて

2009-07-18 | お出かけ



 一枚目の写真は『綾傘鉾』の傘部分。

 二枚目はイランのモスクの天井部分。青のものや赤のもの、土色や他の色もあります。

 いずれも見上げた部分。





                       

       


 三枚目の写真は『綾傘鉾』の全体像ですが、綾の部分が覗けて見えます。

 四枚目はイランの民家にお邪魔したときのもの。部屋全体にカーペットが引かれていますが、シルクではなく、ウールのものです。




     

                        


 私はこの『綾傘鉾』の妖艶なる美しさに惹かれてしまいました。

 そして『綾傘鉾』の伝統芸能の息吹を感じうれしく感じました。

 その奥行くのある『綾傘鉾』は次回ご紹介したいと思います。




            京都     綾小路通室町西入(善長寺町)

                   祇園祭 宵山の日に

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『子鷺踊り』  京都 八坂神社にて

2009-07-18 | お出かけ

 7月16日

 京都では一ヶ月間、祇園祭の行事でにぎわう。

 この日も八坂神社では 『子鷺踊り』『石見神楽』があった。

 残念なことに『子鷺踊り』はほぼ終わりかけ。

 写真は人垣の間から撮ったもの。

 全体像をお魅せできないのが残念。

 この『子鷺踊り』は 花傘巡行・還幸祭の24日にも八坂神社で行われる模様。

 いろいろな伝統芸能があるそうなので、ご興味のある方は八坂さんまで足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
   
   
     


Wikipedia より、『鷺舞』『子鷺踊り』について転載させていただきました。

鷺舞
鷺舞(さぎまい)は白絹の羽を纏い、雌雄の鷺に扮した成人男性の舞い手2人が囃子に合わせて優雅に舞い踊る郷土芸能。約600年前に存在した「笠鷺鉾」の周りで舞われていたが、江戸時代中期に途絶えた。1956年(昭和31年)に鷺舞保存会が、祇園祭の鷺舞を伝えていた島根県津和野町から舞を逆輸入して復活させ、経費を氏子組織(清々講社)が負担して八坂神社境内で奉納されていた。鷺舞は山口市、潟上市にもある。浅草寺(台東区)の「白鷺の舞」も、これを参考にした。
通常は、宵山の16日と山鉾巡行・神幸祭の17日、花傘巡行・還幸祭の24日の3日間八坂神社境内で奉納されるが、2006年(平成18年)以降は鷺舞保存会と神社、氏子組織の対立が深まったために行われず、代りに、次項の子鷺踊りが奉納された。

子鷺踊り
上記の鷺舞をアレンジした新しい郷土芸能。上記と同様の白絹の羽を纏い、舞台化粧並みの厚化粧をした小学生位の少年少女6名が優雅に可憐に舞い踊る。通常は、10日の、お迎え提灯、16日の宵宮神賑奉納神事と24日の花笠巡行に登場、2006年(平成18年)以降は上記の事情により大人の鷺舞の代役を務めるようになった。子鷺踊りは津和野町、潟上市にもある。



     

                      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の笑顔美人 2  函谷鉾にて

2009-07-18 | お出かけ



    京の笑顔美人 2  函谷鉾にて




 函谷鉾の粽などの売り場のお美しい笑顔のお二人。

 こぼれるような笑顔。

 これほどまでに微笑みが美しいと、女性の私でさえ足を止めてしまいます。

 この笑みが男性なら、もっとうれしかったかな・・・。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の笑顔美人  函谷鉾にて

2009-07-18 | お出かけ



    京の笑顔美人  函谷鉾にて




 函谷鉾の粽などの売り場にて、お二人の笑顔美人と出会いました。

 説明など不要でしょう。

 とにかく笑顔がお美しい方達でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『祇園祭大型絵馬』   京都 八坂神社にて

2009-07-17 | 美術・文様・展示物


 祇園祭に


 京都の八坂神社で見つけた『祇園祭大型絵馬』をご紹介させていただきたいと思います。

 写真は『祇園祭大型絵馬』だけを大きくしています。

 どなたが描かれたものでしょうか。

 祇園祭らしさと掛け声、まわるときの竹の音が聞こえてくるようです。

 子どものときから慣れ親しんだ祭の一つです。


 ところで私は以前にも書きましたが、鉾町で生まれました。

 今年久しぶりに宵山を楽しみ、懐かしさもひとしお。

 はじめての神楽と懐かしい祭で、私はこれから先も厄を逃れて生きていけるような気がします。



    京都  八坂神社にて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八坂神社『祇園祭大型絵馬』  祇園祭の日に

2009-07-17 | お出かけ


 祇園祭に


 京都の八坂神社で見つけた『祇園祭大型絵馬』をご紹介させていただきたいと思います。

 まずは全体です。

 この絵馬は昭和五十六年一月十七日に部巨山が衣裳新調にあたって奉納された絵馬と書かれています。

 祇園祭がここでも楽しむことができ、うれしく感じました。



    京都  八坂神社にて




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八坂神社大型絵馬 『坂田藤十郎丈 襲名披露奉納絵馬』

2009-07-17 | 舞台・音楽 雑感メモ

 
 八坂神社にはお正月にもいきました。

 坂田藤十郎丈の襲名披露奉納絵馬の全体像です。

 前回は出店があったので、このような形で撮ることができませんでした。


 
 さて 今回八坂神社にいったのは石見神楽を観るのが目的でした。

 はじめてのお神楽に心ときめき、大好きな藤十郎丈の絵姿に心奪われた祇園祭でした。

 幸せ~#^^#





         京都 八坂神社にて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八坂神社大型絵馬 『祇園』

2009-07-17 | お出かけ
 
 祇園祭に八坂神社にいきました。

 似つかわしい『祇園』の文字が目を惹きます。

 京都にかえってきたという感じがします。


         京都 八坂神社にて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする