乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

第二十回 七月大歌舞伎 昼の部 『播州皿屋敷』『新歌舞伎十八番の内素襖落』『江戸唄情節』(7景)

2011-07-23 | 歌舞伎


 大阪松竹座7月


 関西・歌舞伎を愛する会 第二十回 七月大歌舞伎
 2011年7月3日(日)~27日(水)



                

                

                





 もう随分前の話

 7月5日、関西・歌舞伎を愛する会 第二十回 七月大歌舞伎の昼の部を楽しんだ。

 演目は 『播州皿屋敷』『新歌舞伎十八番の内素襖落』『江戸唄情節』

 七月大歌舞伎の昼の部はやめて夜の部だけを観た家族

 今回は夜が見事に良かったが、昼も楽しむことができた。








 
 『播州皿屋敷』


「皿が惜しいてお前を殺すんのでは無い。おのが心を疑うた措置の心が許されん…」
の方ではなく、
「なびかねば、殺す」
ひゅ~ ドロドロ ドロ
花道
  デンデンデン デケデケデケ
  つつつ つつつつ
の方(^^)

 花道が見事に切迫しながらも楽しかった☆




 『新歌舞伎十八番の内素襖落』

 三津五郎さんの太郎冠者 良かった~~~楽しかった~~~

 そしておどりに見とれてしまった



 『江戸唄情節』 (写真左人物 三味線)
 

 時蔵さんの美しさと切なく深い愛情表現

 それに答える愛情深き杵屋弥市

 ラストの舞台上(劇中劇)での、男前な三味線の手さばきと表情

 仁左衛門丈の杵屋弥市 観て良かったと感じさせる舞台だった。

 
  
 



昼の部


一、播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)

            浅山鉄山  愛之助
            岩渕忠太  亀 蔵
            腰元お菊  孝太郎


一、播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)
 細川巴之介家の家老浅山鉄山は、天下を狙う山名宗全と通じ、邪魔になる巴之介暗殺を企てます。将軍家に献上する唐絵の皿十枚を届けに来た腰元のお菊に、横恋慕していた鉄山が言い寄りますが、お菊にきっぱりとはねつけられます。悪事を知られた上に恋も叶わぬ恨みから、鉄山は皿を一枚盗んでお菊に罪を着せます。
 有名な「皿屋敷伝説」を素材にした作品ですが、戦後の上演回数は少なく、関西では初の上演となります。また本年は、播州皿屋敷お菊伝説五百年と言われる記念の年です。
 悪事を知られた浅山鉄山が、お菊に無実の罪を着せて惨殺する場面の嗜虐美が見どころの、大時代な怪談劇をお楽しみ下さい



二、新歌舞伎十八番の内素襖落(すおうおとし)

            太郎冠者  三津五郎
             鈍太郎  亀 蔵
            次郎冠者  巳之助
             三郎吾  萬太郎
             姫御寮  梅 枝
             大名某  秀 調

二、新歌舞伎十八番の内素襖落(すおうおとし)
 伊勢参宮を思い立った大名が、伯父を誘おうと、太郎冠者を伯父の館へ向かわせますが、あいにく不在。娘に酒を振舞われ、太郎冠者は勧められるままに盃を重ね、源平合戦の「那須の与一」の件を語ってみせ、さらに素襖まで頂戴します。帰宅した太郎冠者は酩酊状態。決して渡すまいと隠していた素襖を大名の前で落としてしまっても気づかない始末で・・・
 狂言をもとにした松羽目舞踊の嚆矢となった作品で、新歌舞伎十八番の一つです。太郎冠者の酔態や素襖を探し回る様子、鈍太郎とのやりとりなど、喜劇味溢れる見どころたっぷりの舞踊劇です。



三、江戸唄情節(えどのうたなさけのひとふし)

  序幕 芝居茶屋伏見屋より
  大詰 村山座の舞台まで

            杵屋弥市  仁左衛門
      芸者米吉後に女房お米  時 蔵
           坂東彦三郎  三津五郎
            市村家橘  愛之助
          俵屋娘おいと  梅 枝
         隣家の女房お留  吉 弥
            番頭平助  竹三郎
         小揚げの七兵衛  彌十郎
        伏見屋女将おふさ  秀太郎


三、江戸唄情節(えどのうたなさけのひとふし)
 長唄の三味線弾き杵屋弥市は、やくざ上がりながらもその腕を認められていますが、恋人の芸者米吉には小揚長屋の七兵衛という親分がついているので伏見屋の女将も心配しています。ついに二人の仲が露見し、七兵衛に斬られそうになりますが、弥市の三味線の腕を見込んだ歌舞伎役者の坂東彦三郎の嘆願により、二人で江戸を出ることを条件に許されます。三年が経ち、弥市は小田原で長唄の師匠として生計を立て、米吉は元の名のお米に戻っていますが労咳で床についています。そこへ、江戸で彦三郎の『連獅子』がかかるとの噂。舞台が忘れられない弥市と、芸人の女房として夫の芸を聴きながら死ねれば本望と言うお米は再び江戸へ戻ります。江戸の地を踏めば斬るとの七兵衛との約束を破った二人は・・・
 昭和十四年、東京歌舞伎座初演の川口松太郎による本作品は歌舞伎以外でもたびたび演じられてきた名作です。やくざ上がりの三味線弾きの弥市はタンカがきれて良い男。前半は、腕は確かだが性根まで足を洗い切れていないと言われ苦悩する姿を描き、後半はお米との夫婦愛が眼目となります。劇中劇で弥市が実際に三味線を弾くのも大きな見せ場です。



   


 記録したいと思いながら随分日があいてしまいました。
 
 今回は演目や役者名の記録のみにて失礼いたします。

 
   




夜の部


一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

  車 引

           藤原時平公  我 當
           舎人桜 丸  孝太郎
           舎人杉王丸  巳之助
           舎人梅王丸  愛之助
           舎人松王丸  進之介



  通し狂言

二、伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)

  相の山
  宿 屋
  追駆け
  地蔵前
  二見ヶ浦
  油 屋
  奥 庭

             福岡貢  仁左衛門
            油屋お紺  時 蔵
           料理人喜助  三津五郎
             奴林平  愛之助
            油屋お岸  梅 枝
            仲居千野  吉 弥
     徳島岩次実は藍玉屋北六  亀 蔵
     藍玉屋北六実は徳島岩次  秀 調
            油屋お鹿  彌十郎
      今田万次郎/仲居万野  秀太郎
            藤浪左膳  我 當





夜の部

一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
  車 引
 梅王丸と桜丸は、互いの主人である菅丞相を左遷した藤原時平に恨みを晴らす為、吉田神社に参拝に来た時平を乗せた牛車の前に立ちはだかります。
 その車を守る舎人は松王丸。三つ子の兄弟は一歩も引かず、力任せに車を引き戻そうとすると車は壊れ、中から時平が現れます。梅王丸と桜丸はその眼光の凄みに竦められてしまいますが、二人の狼藉を防ごうとする松王丸の働きに免じて二人は助かり、父の賀の祝いの後に決着をつけることを約束して別れます。
 敵、味方と分かれることになった三兄弟の悲劇を描いた歌舞伎三大名作の一つ『菅原伝授手習鑑』の三段目です。登場人物の扮装、動きと台詞、多彩な鳴物など、歌舞伎の様式美が凝縮された華やかな一幕です。


  通し狂言
二、伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)
 阿波の国家老、今田九郎右衛門の息子万次郎は、紛失した名刀青江下坂の詮議の為伊勢へ来ましたが、古市の遊女お岸に入れ揚げ通いつめています。やっと刀を探し当てたものの、遊びの金に窮して質入れしてしまい、鑑定書である折紙まですり替えられてしまいます(「相の山」)。万次郎の後見役の藤浪左膳から助力を乞われた福岡貢と、万次郎を陥れようとする敵方の様子を窺う奴林平は、手がかりとなる密書を手に入れます(「宿屋・追駆け・地蔵前・二見ヶ浦」)。古市の油屋へやって来た貢は、せっかく手に入れた刀をすり替えられてしまいます。貢の恋人の油屋遊女お紺は、貢の為に敵方の北六らを油断させて懐紙を手に入れようと、貢に愛想尽かしをします。お紺の真意を知らぬ貢は満座の中で辱められ、その上、青江下坂が偽物であることに気づき逆上して仲居の万野をはじめ次々と人を斬ってしまいます・・・(「油屋」「奥庭」)。
 伊勢古市の廓油屋で実際に起きた事件をモデルに書かれ、寛政五年、道頓堀角の芝居で初演された世話物で、『夏祭浪花鑑』と並ぶ代表的な夏狂言です。「ぴんとこな」と呼ばれる辛抱立役の貢をはじめ、周りの役も多彩に描かれており、各場に伊勢の風情や季節感が溢れ、殺しの場面では歌舞伎ならではの凄惨な美しさが堪能できるなど、全編見どころの多い作品を、「相の山」からの通し上演の形でご覧いただきます。
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吉右衛門が重要無形文化財保持者(人間国宝)認定の喜びを語られた。

2011-07-23 | 舞台・音楽 雑感メモ



 昨日 歌舞伎美人メールマガジンが配信される。

 先日 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された吉右衛門さんが、その喜びを語られたとの事。

 おめでとうございます☆



   



 松竹株式会社 歌舞伎美人様より
                       歌舞伎美人メールマガジン 第245号 2011年7月21日発行▼



 



 吉右衛門が重要無形文化財保持者(人間国宝)認定の喜びを語りました。


 


 7月15日(金)、中村吉右衛門が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されることが発表になりました。


 


 中村吉右衛門

 この度、重要無形文化財保持者に認定していただきまして心から喜んでおります、と同時に大変な責任に緊張しております。私の持っている芸なり技術なりが国にとって重要なものであると認めていただいたことは大変な名誉でございますが、その芸を次の世代に伝えなさい、ということでもありますから、今年9月に襲名いたします新又五郎(歌昇)さんの息子の新歌昇(種太郎)さんや種之助さん、歌六さんの息子の米吉さん、亡くなりました富十郎兄さんの遺児の鷹之資さん達を、一緒に勉強して立派な一人前の役者になるように育てて差し上げる、いろいろなことをアドバイスすることも私の勤めだと思います。

 実父の(初代)白鸚や多くの先輩方から、「人の良いところの真似をしろ」「芝居を多く観て覚えろ」と言われて参りました。真似をしてそれを体の中に全部取り込み、自分のものになったら、自分の考えを少しずつその中に取り入れてもいいよと、今も教えていただいとおりにしています。また、我々役者は上を向いて歩いていかないと落ちていってしまうものですから、常に高みを目指していくということも大切です。今まで修行してきた道筋はそれでいいよと仰っていただけたと思うので、これから先も舞台に対する意気込みや気構えを変えることなく、修行を続けていきたいと思っています。




自分が若い方々に教え伝えていることが正しいかどうかはなかなか分からないものです。芝居というのは時代によって移り変わり、それに沿っていきます。私の場合は伝統歌舞伎という昔からのものをまず伝えようと思っています。「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉がありますが、教えられている若い方々は、他の方から見ればきっとよくやっていると思われるのでしょうが、教えるこちらは「まだ足りない、まだ、まだ」と、ついなってしまいますね(笑)。

 一番の支えはやはり家族・・・女房、子ども、息が抜けるのは家に帰ったときです。そして、私を支援してくださるファン、ご贔屓の方達の変わらない本当に長い間のご支援も大切な支えです。これからは、初代吉右衛門が制定した秀山十種に自分の創った作品を加えていきたいですし、また、松貫四という名前で続けている創作活動で、皆様に感動を覚えていただけるような芝居を創り続けていきたいと思っております。そして、80歳になった時に25日間『勧進帳』の弁慶を勤められたらな、というのが今のところの夢でございます。


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芝居三昧;歌舞伎座閉場式 都風流、京鹿子娘道成寺、口上、真景累ヶ淵、神田ばやし、仮名手本忠臣蔵 四段目

2011-07-23 | TVで 歌舞伎・能楽


 しば三昧;『<歌舞伎座閉場式>都風流、京鹿子娘道成寺、口上』『真景累ヶ淵~豊志賀の死』『神田ばやし』『仮名手本忠臣蔵~四段目 <判官切腹・城明渡し>より 城明渡し のみ』


 


 今週は『春調娘七種』『<歌舞伎座閉場式>都風流、京鹿子娘道成寺、口上』『真景累ヶ淵~豊志賀の死』『神田ばやし』『仮名手本忠臣蔵~四段目 <判官切腹・城明渡し>より 城明渡し のみ』を観た。

 今回も演目名だけで失礼いたします。



  


『<歌舞伎座閉場式>都風流、京鹿子娘道成寺、口上』
2010年
106分
カラー
歌舞伎座60年の歴史に幕…俳優陣が勢揃いして別れを惜しむ閉場式 ▼御挨拶 ▼「都風流」 尾上菊五郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、中村勘三郎、坂東三津五郎、中村梅玉、市川團十郎、松本幸四郎 ▼「京鹿子娘道成寺」 坂東玉三郎、中村時蔵、中村福助、中村芝雀、中村魁春 ▼「口上」 中村芝翫、中村富十郎、坂田藤十郎 ▼手締式(2010年/平成22年4月30日・歌舞伎座) 歌舞伎座60年の歴史に幕…俳優陣が勢揃いして別れを惜しむ閉場式 ◇2010年4月、約60年の歴史に終止符を打ち改築工事に入る歌舞伎座の閉場式が行われました。チケットは即日完売となり歌舞伎界をあげての一大行事となった閉場式の模様をお届けします。「都風流」は立役8名による舞踊作品。続く「京鹿子娘道成寺」は道行から鐘入りまで女方5名が踊り分けます。さらに「手締式」には200名にも及ぶ歌舞伎俳優が舞台上に並び、その光景はまさに圧巻、最後は観客の皆様と共に手を締め閉幕となります。



『真景累ヶ淵~豊志賀の死』

出演:中村福助 中村勘太郎 中村勘三郎
2009年
68分
カラー
三遊亭円朝の口演を原作に複雑な男女の心理を描く怪談噺。富本節の師匠豊志賀は、父の敵の子と知らずに二十歳近くも年下の若い内弟子新吉と恋仲になっていた。しかし因縁からか、ある日、豊志賀の顔が醜く腫れ、病の床についてしまう。親身になって世話をする新吉だが、豊志賀は新吉と若い娘お久との仲を勘ぐって嫉妬に狂い、やがて悶死してしまう。死してなお新吉とお久の前に現れる豊志賀…青ざめる新吉…。 題名の“真景”は“神経”から取られていて、幽霊は神経で見えるという文明開化の時代相が感じられる。福助の豊志賀、勘太郎の新吉、梅枝のお久、勘三郎のさん蝶でご覧頂く。



『神田ばやし』

出演:坂東三津五郎 市川海老蔵 中村梅枝 市川右之助 片岡市蔵 片岡亀蔵 坂東亀寿 坂東巳之助 坂東亀三郎 市川團蔵
2009年
54分
カラー
出演:市川男女蔵、河原崎権十郎、坂東秀調 宇野信夫作、長屋を舞台に繰り広げられる人情劇。神田にある長屋。ある日家主の彦兵衛(三津五郎)宅で行われている念仏講の集まりの最中、大切な講中銭の一両が行方不明になってしまう。あわてて皆が金を捜すところ、桶屋の留吉(海老蔵)がぼんやりと立っているので人々は留吉に疑いの目を向ける。いたたまれなくなった留吉は何も言わずにその場を立ち去り、彦兵衛はすっかり留吉が金を盗んだものと思いこむのだが…。 人情味あふれる家主彦兵衛を始め長屋暮らしの賑やかな雰囲気と、引っ込み思案でじれったい留吉の独特なキャラクターが印象的な作品。 (2009年/平成21年5月・歌舞伎座)



『仮名手本忠臣蔵~四段目 <判官切腹・城明渡し>より 城明渡し のみ』

出演:八世松本幸四郎(白鸚) 市村羽左衛門 中村芝翫 中村勘九郎(現・勘三郎) 尾上梅幸
1977年
101分
カラー
昭和52年に昼夜通し上演された「仮名手本忠臣蔵」の貴重映像から<判官切腹・城明渡しの場>をお届け。殿中での刃傷により蟄居を命じられた塩冶判官の元に上使が訪れ、お家断絶と切腹の上意を伝える。覚悟していた判官は切腹の座に着き、家老の大星由良之助の到着を待ちつつ、刀を腹に突き立てる。まさにその時由良之助が到着。目と目で心の内を確認し合う主従…。由良之助は主君の仇討ちを決意し、館を後にするのだった。 厳粛な雰囲気に満ちた切腹の場、万感の思いで遠ざかる城門を見つめる由良之助の引っ込みと見せ場が続く。大星由良之助に八世幸四郎(白鸚)、塩冶判官に梅幸、顔世御前に芝翫、右馬之丞に羽左衛門、大星力弥に勘九郎(現・勘三郎)という豪華配役で。(1977年/昭和52年11月・歌舞伎座)

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こまつ座「日本人のへそ」  井上ひさし 作 栗山民也 演出 妹尾河童 美術  170分   植本潤

2011-07-22 | TVで舞台




こまつ座「日本人のへそ」




演出:栗山民也
美術:妹尾河童
出演:石丸幹二 笹本玲奈 たかお鷹 山崎一 小曽根真      
作:井上ひさし
2011年
170分
カラー
東北岩手から集団就職で上京した田舎娘は希望に胸膨らませていた。 しかし現実は、希望に膨らむ胸ではなく、彼女たちのはじけそうな二つのオッパイに、男たちの欲望がふくれてあがる。 職を転々、男を変転と流転続きで、果てはストリッパーへと転落なのか…、いやいや、男の玉を手玉にとって、天下に成り上がる。 その娘の名は、 ―ヘレン天津。 栗山民也の巧みな演出と小曽根真の新曲で誰も観たことのない、今、一番新しい井上ひさし! 上演 2011年3月8日~27日





 本日テレビでこまつ座「日本人のへそ」を観たよ。

 録画せず、朝の7時半から見始めたものだから、家族の出勤の準備や玄関までの送り出しやゴミ捨てで、初めの方が少し飛んでしまった。

 今日は珍しく駅まで送っては行かず、散歩もできなかった。

 見終わったのが10時半。

 午前中に家事のダッシュをしなかったから、一日中リズムが狂ったよ。

 やっぱりこういう場合は録画が良いのかな。

 

 上の出演者には載ってないんだけど、花組み芝居の植本 潤さんが出ておられたよ。

 この約社参の演技と目地からは好きだな!!

 以前大阪で花組芝居の『盟三五大切』(四世鶴屋南北)を見た時には山ちゃん(山下 禎啓さん)は出ておられたがさらりと少なかったし、植本 潤さんは出ておられなかったんだ。

 このショックは大きかったよ。

 アハハ アハハ アハ ハ


 
 ところで「日本人のへそ」

 この芝居は以前から見たいなと思っていたものだったんだ。

 筋書きは二変三変と平たい感じで展開するんだ。

 なんだか最後 上手くごまかされたような感じも受けるんだけど。それもまた快感。

 こう言った舞台の遊びも良いかなって…妙に納得したよ。

 

 色々な所から引っ張り出した種々のことば遊びが盛り込まれていて、適度に品よくエッチで、流石の井上ひさしさん。

 ドタバタ雑多な、おもちゃ箱をひっくり返したような舞台に合わせたのかどうだか………

 適度にそろっているんだけど適度に外したダンスや歌は、こまつ座「日本人のへそ」らしかった。

 面白くって、一日中上機嫌のわたし。

 でもそれに反して、今日は一日中疲労感がとれないんだ。

 なぜだろうなぜかしら

 そういうとここ一日二日で、確か 劇団四季と中村勘三郎丈の予約日にあたっていたっけ。

 観たいな。生舞台!








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7月21日 今日は日本三景の日(松島・天橋立・宮島が日本三景として絶賛;林鵞峰の誕生日)/ Nirvana

2011-07-21 | 乱鳥徒然 Rancho's room.






 Smells Like Teen Spirit-Nirvana (Nevermind)

 
 若干Neil Youngの香がするこの気だるさがたまりません☆
       





 7月21日

 今日は日本三景の日

 日本三景観光連絡協議会が制定。

『日本国事跡考』で松島・天橋立・宮島が日本三景として絶賛した林鵞峰の1618年の誕生日。




 日本三景とは▼

 以下の3つの名勝地を指す。

 全て海(沿岸)にある風景となっており、各々古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。

     松島 … 宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海(地図)
     天橋立 … 京都府宮津市にある砂嘴(地図)
     厳島(宮島) … 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島




 林鵞峰とは▼

 林 鵞峰(はやし がほう、元和4年5月29日(1618年7月21日) - 延宝8年5月5日(1680年6月1日))は、江戸時代前期の儒者。林羅山の三男。名は又三郎・春勝・恕。字は子和・之道。号は春斎・鵞峰・向陽軒など。

 京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父・羅山同様江戸へ赴き江戸幕府に仕えた。1657年(明暦3年)林家を継ぎ、幕政に参与した。1663年(寛文3年)4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。日本史に通じ、父羅山とともに「日本王代一覧」「本朝通鑑」「寛永諸家系図伝」など幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。

 1643年の著書「日本国事跡考」の中で「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(此の島の外に小島若干有り、殆ど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安藝嚴島と三處の奇觀となす)と記し、これが現在の日本三景の由来となった。2006年、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定された。






 中学生の頃、転校生がやってきた。

 名前はマツシマ君。

 家族ぐるみで親しくなったマツシマ君は、ある夏休みにおかあさんと旅に出た。

 ある日電話がかかり

「旅行にいってきた…これ、おみやげ。」

と言って、お菓子やら人形やらキーホルダーやら絵はがきやら、これでもかこれでもかと手渡してくれる。



「どこ、いってきたん?」

「松島…」

「え?マツシマ君が松島にいって来たん?」

と、無色な会話。

 マツシマ君はもう一度、ぼくとつとした声でわたしに言った。

「これ、松島のお土産。」



 日本三景で、そんなことを思い出した。



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7月20日 今日はフランチェスコ・ペトラルカの誕生日☆

2011-07-20 | 乱鳥徒然 Rancho's room.





  Horowitz - Liszt Deuxieme Annee V; Sonetto 104 del Petrarca
 




 7月20日

 今日は フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304年7月20日 - 1374年7月19日)の誕生日。



                           

【どんなに愛しているかを話すことができるのは、すこしも愛してないからである。 】

                          

【真実こそ馬上で勝ち誇り 嘘は大地に叩かれるがよい】

                          

「 満ち溢れる甘美さ 」 六つのオーケストラ伴奏歌曲 Op.8より

満ち溢れる甘美さ、それは、言い表しようもなく
美しきあの顔より 私の目が受けたもの
あの日私は目がみえなくなった方が良いとさえ思った
これより美しさに劣ったものを見なくて済むように

その最愛のものを、私は喜びとともに
わが精神のまなざしの中にとらわれたままとした
それにあらざるものは、長年の
習慣より憎み 背を向けて見るのだ

谷間は、まわり中が閉ざされて
私の疲れた溜息を冷ましてくれる
ゆっくりと私は来た、愛を思いながらその場所へと

そこに女性を見ることはなかった、だが岩と泉に
そしてあの日の情景、絶えることなく
わが精神が描き続ける情景に、わがまなざしはどうしても向いてしまうのだ

                          

「 小鳥が嘆き 」 六つのオーケストラ伴奏歌曲 Op.8より

小鳥が嘆き そして緑の枝の上で
ひそやかなささやきと共に夏のそよ風が震えるとき
ぼそぼそとつぶやく明るい波が湧き上がり
花咲く爽やかな岸辺に打ち寄せるとき

私は座って書くのだ、愛にこの身を捧げて
すると、天が私たちより安息に連れ去られて
地が隠してしまった女性を、私は生きていたときのように見る
遠くで私の溜息はうなだれている

「どうして ああ!あなたは時が来る前に死んでしまっおうとするのですか?」
彼女は語りかける 心からの同情をこめて 「どうして流されるのですか
悲しげな目から苦痛に満ちた涙ばかりを

私のことは嘆かないでください 私が死んだのは 享受するため
永遠に存在し続けることを そして永遠の炎の中で
私の瞳は開いたのです それが閉じたように見えたときに

                          

「 決して私は、飽きることなく 」    六つのオーケストラ伴奏歌曲 Op.8より

決して私は、飽きることなくあなたを愛しました
これからもそうするでしょう、この命の続く限り
自らの憎しみゆえに 今私はこの地にきています
そして力を失うのです 限りない涙の流れゆえに

私はむしろ 美しく白い墓に入りたいのです
辱めのために 人があなたの名を刻み込むのであれば
私の墓石の上に、わが魂がこの肉体を離れたときには
ですがもうしばらくはこの魂は肉体とともにあるでしょう

ですから私の心にはできるのです、愛と誠を知っているがため
あなたに、苦しみを覚えることなく、ご満足いただくことが
この心にあなたのお恵みをお与えください

あなたのお怒りが別の形で勝利するとお考えならば
それは間違いです、お考えの結果は決して得られないでしょう
それゆえ感謝します、おお愛よ、私と愛の定めに対し

                          


 最後の詩三作品は梅丘歌曲会館「詩と音楽」 更新情報さまを参考にさせて頂きました。







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祇園祭  白楽天山(はくらくてんやま)綾小路下ル白楽天山町  (9景)  2011年宵山  

2011-07-20 | 神社仏閣・祭り



         白楽天山
         
        はくらくてんやま



 京都新聞 携帯サイト 白楽天より ▼

 2体の人形の唐冠を付けたほうが白楽天、帽子(もうす)をかむった僧形が道林禅師の像。

 長恨歌などの名詩で有名な中国・唐の詩人、白楽天が道林禅師に仏法の大意を問いかけているシーンを表している。

 この山も過酷な運命をたどっている。

 天明、元治の大火で胴組や人形の胴を失い、そのたびに巡行中断と復元を繰り返している。





       
    京都市下京区室町通綾小路下ル白楽天山町











 







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79; 『かたちの謎を解く 魔除け百科』 岡田保造 著  2007年 丸善

2011-07-19 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

 (写真は京都の祇園祭のちまき。流石牛頭天王関係の祭。蘇民将来と記されたちまきがあった。  2011年宵山)





記録のみ




 2011年度 79冊目     『かたちの謎を解く 魔除け百科』



 


 岡田保造  著

 丸善

 2007年07月12日

 1995円  128P






 先日読んだ『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』はとても楽しいものだった。

 今回は『かたちの謎を解く 魔除け百科』

 いつ部重複しているが、知りたい情報が満載。興味のある内容の連続で、この本も手元に置いておきたいなと感じた。

 今回も見たことのある模様も結構多い。

 イランのペルセポリスの四角や升目の文様は今回も書かれている。

 チェヘル・ソトゥーンやアリ・ガプは複数回行き、色々な模様や刻印を見たが、意識してなかったのが残念。

 もう少し早く本書と出会いたかった。


            「Chehei Sotun Museum」in Qazvin 『calligraphy』:-)  写真だけ

             チェヘル・ソトゥーン 写真だけ

             アーリー・ガープー 写真だけ
             アーリー・ガーブ 写真だけ


 

 の模様も意識して記述されていたが、二重に掘られた四角文様がイラン全域で多いと、『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』のブログ記録で書いていた。

 今回安国寺の石橋に同じ模様があることを知った。

 

 左の模様は呪符となる形であるらしい。

 日本の庭園では小の模様が多くみられるようだ。



 

 祇園祭では【蘇民将来】(しょみんしょうらい)と書かれたちまきを見た。

 日本では全国の牛頭天王を奉る社寺で 蘇民将来の符やそれに因んだものが見られる。



 奈良県の今井町では旧家の土間に抱依(えな)壷が埋められていたという。

 本書では 踏んだものの生気をもらい、新生児の将来の長寿を願う呪いで、できるだけ多く踏まれるような場所に埋めるとあった。







 気になる部分が多く抜き出すときりがないので、今回はここまでで失礼申し上げます。

 






「魔よけ」とは人生を脅かす「魔もの」から身を守り、それらを退散させ、さらには福を招く方法である。
「魔もの」には色々な種類があり、それらに対する「魔よけ」も種類が多くなる。もっとも一般的な社寺の「お守り」のほか、呪文や呪符を描いたり彫ったりするもの、たくさんの「目」や嫌な臭いで魔ものを退散させるもの、足で一定のステップを踏み自らを守るまじないなど、藁にもすがる思いの人間は色々なものに「魔よけ」の働きを期待したのである。本書では、見開き2ページ構成で国内外の様々な魔よけをカラー写真で紹介し、その形と歴史の謎に迫っていく








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祇園祭音頭 踊りの前に八坂さんにお参り  (9景) 京都八坂神社 2011年 宵山

2011-07-19 | 神社仏閣・祭り





         祇園祭音頭    京都八坂神社 宵山








 祇園祭音頭を踊られる前に、八坂さんにお参りにこられていました。

 祇園祭音頭とは

  wasurenasoの日記さんより ▼

  1957年(昭和32年)に祇園祭復活10周年を記念して創作。10日のお迎え提灯、16日の宵宮神賑奉納神事に、一般的なお揃いの浴衣を着て舞台化粧並みの厚化粧をした小学生位の少女多数が可憐に舞い踊る。












































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長刀鉾    2011年 宵山 お昼頃    (5景)

2011-07-18 | お出かけ
長刀鉾    2011年 宵山 お昼頃



       長刀鉾




























     長刀鉾  京都新聞より ▼

     なぎなたぼこ/なぎなたほこ



 京都市下京区四条通烏丸東入長刀鉾町


「くじとらず」の名があるように、山鉾巡行の先頭を受け持つ鉾。命名は、鉾のてっぺんを飾った三条小鍛冶宗近作の大長刀による。宗近が娘の病気平癒を祈願して八坂神社に奉納したが、鎌倉期にある武人が愛用。しかし何かと不思議が起こり、返納したという。大永2(1522)年、疫病がはやり、神託で長刀鉾町で飾ったところ、疫病は退散した。創建は、嘉吉元年(1441)説がある。真木は全長20メートル。現在、稚児が乗る唯一の鉾である。

鉾建て:10日午前7時-12日
曳き初め:12日午後3時30分-午後4時30分
一般搭乗:13日午前9時








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鶏鉾    2011年 宵山 お昼頃    (4景)

2011-07-18 | お出かけ
鶏鉾    



       鶏鉾

























     鶏鉾  京都新聞より ▼


 京都市下京区室町通四条下ル鶏鉾町

 中国古代の伝説「諫鼓」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむとも。「諫鼓」は、暦を制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、木を立てて、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。鉾頭は、紅白を互い違いに巻いた三角枠で、なかに同の円板が挟まれる。3つの角には紺いろの苧束の房がつけられる。中ほどに舟を担いだ人形が飾られる。







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祇園祭 宵山を楽しむひと 2011年  (7景)

2011-07-18 | お出かけ




      祇園祭 宵山を楽しむひと 2011年
















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祇園祭やわぁ~

2011-07-17 | お出かけ







 永楽屋はんに行きましたら、

 なんかすごいもん 

 ありましたんぇ

 氷室さんの氷みたいや 

 思いました



 中 見たら、

 かわいらしいじょじょとか

 入ってはって

 みんな びっくりしたはりましたわ

 ひんやりして よろしいなぁ



 おまん は ここで買わんと

 八坂さんに行く途中 

 錦で買いましたんや

 水無月の黒ばっかり 

 とお もらいました


 
 鱧のやいたんと

 小鮎の唐揚げ 買うて帰えったら

 家族も懐かしいいうて

 ほくそえんだはりましたわ

 祇園祭やわぁ~






 

 





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ああ!なつかしい、京都☆    2011年 宵山

2011-07-17 | お出かけ








 ああ!なつかしい、京都☆

 久しぶりの、ほこちょうやわぁ~








       鉾町(一般的には、「ほこまち」と呼ばれている場合が多いです。)

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78; 『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』 岡田保造 著 2008年 丸善

2011-07-17 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫


記録のみ




 2011年度 78冊目     『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』



 


 岡田保造  著

 丸善

 2008 年

 112 ページ  1900円+税




『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』は2ページの見開きで写真豊富。加えて、完結に説明されている。

 わたしにとっては知りたい情報が満載。
 
 見たことのある模様も結構多く、わくわくしてくる。

 イランのペルセポリスは計十回以上行ったことがあるが、何となく見たような見てないような文様。

 の模様も意識して記述されていたが、二重に掘られた四角文様の実に多いこと。

 二重模様は今は足を踏み入れられなくなったペルセポリスの敷地内とされる向って真左の山なかの岩部にも掘ってあることを私は見つけたんだ。

 監視員に尋ねると観光地とされているペルセポリスの向って左側空間も、ペルセポリスなんだって。

 以前は自由に出入りできた山につながる空間だが、今は立ち入り禁止っていうのは残念。

 羊飼いだけは今もあの道を歩いているんだろうな…。


 イランでは他でも四角の模様を沢山見たよ。

 私は一般のおばちゃん主婦なので、難しいことはわからないけれどね。


 イランや日本の城などで見られる模様は石を運んだ人の印だと決めつけていたけれど、『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』を読んで、目からうろこ。

 岡田保造先生ってすごい人だな!おまけによくここまで集められたな☆

 ご家族のご協力も素晴らしいなと感じた。

 素晴らしいご家族だな!!!


 イランやトルコではブルーのお守りを持ったり車につけている人が多いけど、メドゥサの関係って知らなかったな。

 単なるイスラム関係のおまじない科と思っていたよ。

 イスタンブールでは柱で押さえつけられた寂し気な彼女を見たが、本書のような意味があったんだ~。


 ペペロンチーノのキーホルダーの一部分が家に散らばっているけれど、これも魔除けだったんだ。

 モザイクには魚が描かれていることが多いけれど、こちらもか…。

 魚というと中国雲南省では水の神という意味があって屋根からおしゃもじのようなものが飾られていたり、猫が飾られていたな。


 モロッコでは手型をドアに飾るところがあるらしいが、イランでもホセインの手を目一杯飾ったモスクがあったな。

 少し意味は違ってくるけれどね。


 ☆や三角や九本のクロスの話は面白かったよ。

 ガイドブックで遊んでいると、これらは色々な国で見かけるような気がする。

 本書読書途中と読み終わってから家中のペルシャ絨毯を丹念に見てみたよ。

 いろいろな門湯が織られていてわくわくするな。

 こういったところにも、厄よけや祈願が織り込まれているんだなぁ。


『呪術のかたちと謎 魔除けの百科 世界編』はわたしにとっては満足にいく本だったよ。

 写真も説明も情報・知識として欲しい部分が多かった。

 この本は奈良県立情報図書館からお借りしたものだけど、買おうかな。

 それともコピーしようかな?

 もっと読みたいな、岡田保造さんの書かれた本…。





 人は弱いものである。自然の脅威には立ち向かえないし、運命には逆らえない。人は、その弱さにおののき、藁にもすがる思いで、身のまわりのいろいろなものに魔よけとしての働きを期待した―。本書では、海外は韓国から西へメキシコまでの一五カ国を、国内は北海道から沖縄までを自ら歩き回り、足で集めた魔よけの数々のかたちと歴史の謎に迫っていく。オールカラー見開き2ページ構成で、初公開写真多数。




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