「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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ひきこもり・その3

2005-09-09 | ▼ユルユル日常
トラ子さんの言っていた「イトコは非力」なのだということを痛感しています。
私が協力出来ること、もう数少ないです。

どうやらまだ相談窓口には行ってないようで、31才の従妹は今後もひきこもっていくのだろうか。

友人を介して、知り合いだからということで専門家にアドバイスを貰っている私。もうこれ以上、友人にもその専門家にも迷惑をかけられない。
今後もアドバイスをお願いするなら正式な相談の形を取るべきだろう。
でも、私がそれをするというのはどうなんだ?

10年あまりも、相談一つしていない親、これは多いに問題があるらしい。
専門家は夫婦間に問題があるだろうと推測している。これは私が手を出せる範疇ではない。

娘が成人していても、親は自分達が死ぬ前に子供を社会に出す義務があるんじゃないの?
叔母夫婦は今年60才。いいのか、このままで??
私の父は60代で亡くなったし、母は多分60代後半で認知症を発症していただろう。
そういう現実もあるんだから。

私が従妹の人生を請け負うくらいの覚悟をしなければ、これ以上踏み込むべきではないという思いがある。
そこまで覚悟が出来る?……今の自分には自信がない。

だけど、ここが踏ん張りどころ、最後のチャンス、私は従妹の住む街の相談窓口にもアクセスしていて最初のとっかかりは出来ている。離れた場所だけど協力してくれる専門家もいる、こんなラッキーを生かさないでどうするんだ。
やっぱり、何かあるのか。家族の深い闇?

そして私は途方に暮れる……。

玄米飲料

2005-09-09 | ▼ユルユル日常

「アチム ヘッサル(朝の日差し)」という名の韓国の飲み物。英語表記は「モーニングライス」と書いてあった。玄米入りの飲み物。からだにヨサソです。

韓国広場でテキストを買った時、あと70円で送料無料だったので98円だったこの飲み物を買ってみた。

お味は……とてもあっさり。何味?って言われると…困る。いかにも朝の飲み物って感じ。食欲のない時でもこれなら飲めるかな。


今月初の徘徊モード

2005-09-09 | ●介護録(~2015.2月)
このところ頻度が低いのがなによりです。

従妹の話をしていたせいで、そこへ行くと言いだした。特急がもうないからと簡単に決着がついた。

町内会のお金を払いにM町へ行くという。町内会のものならここの班長さんに確認しなくちゃ、ということでこれも決着。今夜はかなり素直である。

借りた座布団を返しに行くという。
「これはみんなうちのだよ」というと「借りたのがある。持ってくる」と母。
「うん、見せて」と私。きっとブツがなければあきらめるか、捜しているうちに忘れるだろうと予測。しかしハズレ。
「ない、困った、どうしよう」と不穏。凹んだ母はそのまま家出モード突入。
「あなたは帰らないの」と聞かれたので「ハイ、帰ります」と一緒に出る。

外歩きは15分程度の短いものだった。

家に戻って来ると、「変な女が私のほうを見ていた。」「ずっとつけられていた」「気持ちが悪い、恐ろしい」と訴えられた。
「ヘンな女」は私のことだろう。「女」は途中で「男」に変わったけれど。
追尾している私は「ヘンな女」だけど、それを訴えられている時の私は、娘かどうかは別にしても親しい者なんだろう。
追えばこんな事態になり、といって追わないわけにはいかない。

母の不安感が消え去るまで、ただ待つ。いつ出て行くか分からないゾという危機感。
やがて、落ち着きを取り戻した母。よし、私はシャワーだ……と思ったら
「うちに行って寝ない?」とお誘いが…。
へーへーと返事をし、いつでも出られる態勢を整える。母はサイフを点検中。
私は母が動き出すまで部屋で雑用。すると…
「うちの○○子(私)いませんか?帰りましたか?」
曖昧な返答でにごす。
仕方がないと思ったのだろうか、寝支度をし始めた母。ようやく私はシャワーを浴びた。