「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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ああ、ややこしい~我が母。

2005-09-14 | ●介護録(~2015.2月)
昨日は凹みまくり、みなさんコメント有り難うございました。
一晩寝て、少しは元気になりました…が、朝は何もする気になれませんでした。ホントは母を内科へ連れて行って血圧の薬を貰う予定だったけど…×

今夜は雨なので多分出て行かない、とは思うのですけどね。

最近の出て行く理由は、大きなくくりでは昔住んでいたM町に帰るということなんたけど、細かい理由がとても複雑。
複数の子供が出てきたり、親戚、ご近所、いろんな話が複雑に絡み合うので、単純なごまかし、納得してくれる理由を捜すのが難しい。
結局どういう理由で、母は困っていて、なぜに帰ろうとしているのかつかめないケースが増えてます。

そのなかで数回、単純に「帰る」というケースがあったので、以前トラ子さんから聞いた「その人にとってたいせつな人から、ここにいるよう頼まれている」作戦を遂行(軍隊みたいだなー)してみた。
玉砕です。
母にとって一番大切な人、やはり、よく話に出てくる「祖母」。
「おばーちゃんがここに居てっていってるから」とか「ここにいるって言ってあるから逆にここから出てしまうと心配する」などなど、祖母がらみの嘘八百ならべたけれど、
「何言ってるの、おばーちゃんはそんなこと言うはずない」とか「それは違う。さっき会ってきて、帰るからねって言ったら、待ってるからって言われた」などという理由が返ってきた。
セリフが浮かばない……頭、白紙。

母はホントに「ああいえばこういう」女王様です。
なんかそのたびに、私は鋭いムチで打たれてるみたい~~

よく書いてある。出かけようとしたら、「お茶をどうぞ」とか「タクシー呼びます」って言うとヨイって。
母は、「タクシーは自分で呼ぶ。外に行って自分で止める」なんて言う。(実際そうしてMへいってしまったこともある)

ああ、せめて、もう少し「あら、そうなの」って感じになってくれないものでしようか。どれほどラクチンになるでしょう。

介護詩10 心が固くて四角い日

2005-09-14 | ●介護録(~2015.2月)
心って、ハートのように、ふんわりと丸く柔らかいほうがいいに決まってる。

でも、今日の私の心は板のように固くて四角い。
いつでも発射可能な毒矢仕込みずみ。

こんな時はどんな「よい話」を聞いても
「きれい事」「あるわけない」「ジョーダンでしょ」と思う。

「介護も楽しい」とか「介護で成長した」なんて話
こんな日は聞いちゃいけない。

口を開くのもおっくうで
ご飯を作るのも面倒で
「ああ、きっと私は母を見送った後、病気になるに違いない」ってフツフツと考える。

こうなったのは自分のせいだって知っている。
私のケアがマズイから
対応に失敗したから
それがまた自分に返ってきただけのこと。

分かってるよ…
だけど、そんな説教は誰からも聞きたくない。

今の私はズルイから、文句だけ並べる。

介護する者は社会的弱者ではない。
でも、体のほとんどを介護という網にとらわれて身動きできない不自由な生き物。

みんな、みんなそんにな大きくない背中に重い重い荷物を背負わされ、網の中でもがいている。


私だって、泣きたい。叫びたい。
好き勝手なこと言ってソッポを向いて、知らんぷりして、消えちゃいたい。

今日は、大声を出した。それでも心の叫びの10分の1も出してない。

一番辛いときはいつも一人。