「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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倍賞美津子『ユキエ』

2005-09-25 | ●介護録(~2015.2月)
ユキエ

ポニーキャニオン

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senaさんから教えてもらった映画です。

~ユキエは戦後米軍パイロットのリチャードと結婚。勘当され日本を出た。二人の息子にも恵まれ幸せな暮らし…。晩年、リチャードは共同経営者の裏切りにあい、なにもかも失ってしまう。そしてユキエはアルツハイマーに。リチャードは自分の無実が証明されれば、また、日本に帰れば治るのではないか…とかんがえる~

いくつか、こんなんじゃないわーと思う場面はありました。
例えば、ユキエが友人に「私、徘徊するようになったのよ」と楽しげに話したり、
リチャードが仕事で出る間、迷子になったときのためにと名札を首からさげてやり、中からは開けられない鍵をする。でもユキエはその名札を一度も自分ではずさなかった…だったら鍵はいらないんじゃないのーと思ったり。また、自分はなんでもないんだ、ここは老人ホームじゃないんだから鍵をかけるなと訴えるシーンは、健常者が不当な扱いをされて感情的に、悲しく、せつなく、怒りを込めて訴える雰囲気で、認知症者は、病識がないのだから、ちょっと違うなーと…、そんなことは感じた。

でも、この作品はこれでいいのかなーと…。
それに、非常に穏やかな認知症というのもあるらしいので、多少の問題行動があってもユキエのように過ごせる人もいるのかもしれない。

結局、この映画は「夫婦愛」の物語。介護の現実、問題行動の大変さはあまり前面に出てきません。
問題行動をサラリと流したことで、私はかえって一つの物語として見ることが出来ました。

ユキエは息子に言います。
この病気はあなたたちとの「Slow Good-bye」だと思うと。
ホントにこんなこと言われたら、悲しい。でも、介護する甲斐があると思えるだろうか。

この状態、いつ切り替わる?

2005-09-25 | ●介護録(~2015.2月)
午前11時を過ぎたころから不穏です。
昼になり、母から「食べに行こう」と誘われた。言われたとおりにした法が無難だから出かける用意をしたけれど、その後の母は……。
「みんなが帰って来ないから行けない」ということで、ずっーーーと「待ち」の状態。
帰ってくる人々というのは、「娘」であり「チビたち」であり「二階の人々」である。
やがて、チビさがしに外へ出て行き、捜しているはずの「チビ」はいつしか「運動靴」になり、ゴミステーションで靴探しがはじまった。
その運動靴はいつしか、どなたかが借りていってしまい、その人が返したくて我が家を捜しているばすだからと、玄関の外で待つのだという話へ…。

なんとか家の中に連れてきたけれど、ずっとなにやら心配事を口にしている。

それから30分…。

「ご飯食べに行かないの?」と誘ってみた。
「あら、忘れていたわ」と明るい母。今度は大丈夫…とおもったのだけど、いざいど行こうとすると、「娘がいない、どこ行ったかしら」ということで、再び「待ち」状態。

さて、私はいったいいつお昼にありつけるでしょうか?

追伸…さらに時間は過ぎ、二時半。まだスイッチ切り替わらず