「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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講演から2~認知症を知る一年

2005-09-18 | ●介護録(~2015.2月)
今年は「認知症を知る一年」としてキャンペーンがはられているんだそうだ。
講師の所属している支援センターで(自治体だったかも?)ビラ(パンフ?)を作成したのだけど、結局のところ「予算がない」のだそうだ。

このキャンペーンは、介護経験者等をキャラバンメイトとして募集し、キャラバンを組んで経験を伝えていくもの。

認知症を知らない人には症状がどんなものかを広く知らしめるため、また、介護中の者には、「生の声」を情報としてとどけるために必要なことだと感じる。
とはいえ、今の自分にメイトとして動く余裕があるかと問われると難しい……。

講師はこんなたとえ話をしていた。
河の上流で流されそうになっている人がたくさんいる。流されてしまってから助けるのではなく、上流で、危険だよと声を掛け合うことが出来る社会でなくはならない…と。
ある意味、河の下流にまで来ると措置が出来る(施設やGHなどの意味)、今の社会は、それ以前の支援システムが出来ていないということ。
家族や近所の人が「なんかおかしい」と思っても、どうしていいかわからないのが現状のようだ。

そういえば、初めて保健課に電話をしたとき「よく電話してくれましたね」と言われ(その割りにはなんの役にも立たなかったけど…)
先月保健所に相談したときは「参考のためにどこで調べて電話したか教えて欲しい」と言われたっけ。

多くの人が明日は我が身かと思いつつも、認知症や介護制度について調べようとは思いにくいもの。
そこを変えていくためには行政の啓蒙活動は必要だけど、情報の少なさは「予算がない」ってことなんだろうか?講師さんも「人減らしされてるから」と言ってたっけなぁ~