「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「うまいもの大会」

2005-09-24 | ▼ユルユル日常
街に出たついでにデパートの「全国うまいもの大会」をのぞいた。
実は10数年前、私はこのデパートの催事アルバイトを続けていたことがあって「うまいもの大会」も当然売り子として出ていました。
その頃に比べると規模が縮小。あのころは毎年来ていたお店もいなくなってしまった。

初めて経験したのは富山のお店。とてもマジメ。なにがなんでも売りなさい、と厳しかった。でも、最初がここだったおかげで後がラクだった。
「京都展」はいつも人気。この県の方達も大抵は厳しいのだけど、私が入ったお店の兄さんはお気楽な社員さんで、二人でずっとタイガースの話をしていたっけ。
「九州・沖縄物産展」は、どの店の人もの~~んびり。「今日は午前中に一個売れたから、もういいんだー」と、あっちチョロチョロ、こっちチョロチョロ、休憩ばっかりしてる店主サンたち。県民気質ってあるんだなーとしみじみ感じたものです。

今日は鹿児島の「芋蔵」というお店のサツマイモのお菓子、紫芋がおいしそうでとりあえず、全種類一個ずつ入っているパックを買いました。
沖縄のえーと…あれね、有名な、そう、ソレも買いました。
これって、母がむか~~し、家で揚げてくれたおやつと似ている。(もっと小さめ)家ではそれを「まんまるっこ」と呼んでましたとサ。味、同じだぁ~

母のマニキュア

2005-09-24 | ●介護録(~2015.2月)

母がデイサービスでマニキュアを塗って帰ってきた。

母は自分の手が嫌い。若い時から血管がはっきり浮き出るタイプなのでコンプレックス。だから、指輪とかマニキュアのように手を飾ることをさけてきた。私も母がマニキュアしているのを見たことはない。

「あっ、マニキュア塗ったの?!」私としては、「いいねぇ~」っていうノリで母に言った。
答えの予想は、デイで塗ったことを忘れて「えっ?いつ塗ったんだろ」っていうか、当たり前のように受けとめて「そうなの、塗ったのよ」なんて言うかのどちらかだと思ったんだけど、母の答えは……。

 「これはマニキュアじゃない!」でした

よく分からなかったけど、これがマニキュアではない別のモノであることを力説していた。

我が母ながら難しい人です…まったく。


徘徊で死亡・不明900人って多い?少ない?

2005-09-23 | ●介護録(~2015.2月)
徘徊高齢者の死亡・不明、年間900人…警察庁調査 (読売新聞) - goo ニュース

徘徊している認知症者がまだ体も元気な人だろうと仮定すると、多くは、警察や親切な方に保護されたり、自力で帰っているものと思う。
母の場合、まだ危険が及ぶ場所や天候の悪さを自ら避ける力があるので、死に至る危険は低いか、とも思える。

以前、母が二時間近くたっても帰らず警察に連絡した時、SOSのラジオを聞いていた従弟が連絡をくれたことがあった。とはいえ、この街のSOSシステムが特に充実しているわけではない。

今のところ母は必ずバックを持って出て行くので、それにネームプレートをつけている。
ココセコムに入っているが、服を自分で選んで着る母なので服に縫いつけることは出来ない。縫いつけるにはちよっと大きいココセコム。
カバンも自ら中身の入替をするので常に入れておくのも難しい。底板の下に忍ばせるのは失敗。「コレは何」と思うと無理にでも取り出す母、なくされても困るココセコム。使いこなせないので解約するつもり。

このニュースに絡んで、「これは家族と施設職員の責任だ」という記述をあるところで目にしてしまった。
うーん……私の立場でこの言葉を聞くと、どんなに気をつけていても守りきれないくらい認知症の問題行動はキツイものだと、分かってもらえないんだろうなーと思ってしまうのだけど……。


薬を貰いに病院へ

2005-09-23 | ●介護録(~2015.2月)

デイケアをやめるしかない状況に追い込まれた…という一件があるので、この病院によい感じを持てないのだけど、とりあえず、ここ以上にヨイと思われる病院もないし、デイケアと病院の医師はまた別だーということで、続けている。
しかし、診察室があるフロアをちよっと右に行くとそこはデイケアなので、どーも、そっち側に嫌悪感が…

特に著しく進行しているわけでもないので、先生との話は10分程度のもの。

車いすの、かなりのお年と思われるおじいさんを連れてきていたご夫婦が、やたら私をジロジロ見ていたのは、なぜ?診察室から出た時なんて上から下までジロ~~。なんか付いてた、私?
それとも、なんの病気だろ、とかおもわれてたのかな。ああいう見方はやめてほしいな。もしも、私が鬱病なんかで通院していたら傷つくんじゃないかな。

この病院はスタッフがほとんど私服。入院患者さんも診察フロアに自由に出入りしているから、若い人が歩いていると、スタッフなのか患者さんなのか分からない、なんてこともある。この開放的な雰囲気は悪くないと思っている。

順番を待っている間、デイケアの方から車イスに座った70代くらいの女性が「助けて~~いや~助けて~」と叫びながら介助されつつ廊下を過ぎていった。
頭の中で、いつか母も……という思いが湧いてきた。

 


イモ団子を作る~

2005-09-22 | ■Sweets
さる日曜日、母と共に「イモ団子」を作りました。
ある意味、長い一日の時間稼ぎでもありますね~…。


イモをつぶしてます。ちょこっと映ってるのは母の手です。男爵芋くん、いい匂いです。

ここに片栗粉を入れて、まとめます。そんなにコネコネしなくても平気。

こんな感じになりました。必要分だけきってゆでまーーす。



この日はきな粉で食べました。見栄えがあんまり良くなかったのは、ちょっと小さく作りすぎ?

翌日はお汁粉にしました。一日冷蔵庫においたので、前日よりいい感じ。
カボチャ団子も美味です。北海道の郷土料理だと料理研究家が言ってたけど、ホント?



認知症の母と暮らすということ

2005-09-22 | ●介護録(~2015.2月)
ずっと捜し物ばかりしてる。
なんで特に用もないモノを箱や袋から出して他のところに移し替えるんだろ?
今夜は、コープでまとめ買いしたお風呂用のハンドタオルが五枚消えてしまった。

介護と聞けば「徘徊や妄想、大変そう」とか「食事や排泄の介護は大変だろう」って想像出来る。
そういうことも大変なんだけど、認知症の母との暮らしは日々の細かいことにストレスがある。

知人に「食事の用意はどうなの」と聞かれ「タマネギ切って、といえば切ってくれる。食器洗いはしてくれる」と答えたら「じゃ、いいね」と言われた。
一見ラクそうに見える。
でも実際は「どうやって切るの」から始まるし、目を離せない。同じことを何度もいわなくてはならない。
食器洗いも、サラダ油や料理酒で洗う。私が手を出すのは嫌がるので、さりげなくフォローしなければならない。自分でやったほうがずっと早い。

例えば、ガスコンロを新しくしたいけどまだ母も台所に立つ状況では悩む。
まとめ買いでストックしたくても、母の目につかないスペースがないときはあきらめる。
使いやすい新しいモノに変えたいものがあっても、母が混乱するものはやめておく。
なくされては困る大切なものは母の目につかいなところに片付ける。
郵便物は母より先に手にしなくてはどこかに置かれてしまうので危険…etc

ある冊子で、夫が認知症になった妻が夫が触れて困るもの、危険なものを排除したら部屋が片付いてシンプルな暮らしが出来るようになったと言っていた。
ここまで割り切るってなかなか出来ないゾと私は思う。なんせ自分もそこで日々暮らしているんだから…。
むしろ私は、家で過ごす時間が長いんだから、快適な暮らしのために使いやすい新しいモノを揃えたい…なんて思ってしまう。

こういう困り事も、さらに進行するまでの限られた時間なんだろうけど。

介護詩6 チクチク痛い朝

2005-09-20 | ●介護録(~2015.2月)

朝、何も食べたくないという母にコーヒーゼリーを出してみた。
「これ、すごくおいしい」
母の機嫌は二重丸
「これっていくらするの?」母が聞いた
「200円くらいかな」ごく当たり前に答える

何ごともない静かな朝…。

「とてもおいしかったわ。これ、少しだけど…」
母から手渡された封筒の中に千円札。

そっか、私は今、他人だったんだ。

…こんなこといいのに~すみません、じゃ、遠慮なく…そんな小芝居しておけばいい。
でも、出来なくて、ただ黙っていた。
…こんなことする必要ないでしょ!!…って叫びたい思いを飲み込んだ

お金は後でこっそり母のサイフに戻す。

胸がチクチク痛い朝だった


「シェフ、おまかせパフェ」…ってコレ。

2005-09-20 | ■Sweets

イタリア風サンドイッチやパスタのおいしいお店のメニューで気になっていたパフェ。
ついに注文。

おぉぉ~高さ30センチはあろうかというパフェでした。チョット食べにくいぞ。

最初はストロベリーパフェ…フルーツも出てくれば、抹茶アイスも出てくるし、スポンジケーキも顔を出した。正体不明の赤いのは…?トマト?まさか??スイカでもないし……まっ、いいか


講演から3~エンディングノート

2005-09-19 | ●介護録(~2015.2月)
講演中、「マイエンディングノート」と「老いじたく覚書き」という二冊を紹介された。
共に、自分の死に支度…という感じで、
自分史、思い出の○○、貯蓄などの内容、望む葬式の形、連絡して欲しい人リスト、延命処置についてどう考えているか、お墓はどうしたいか…などを書き込み形式でのこしておくためのもの。

目の前で母が認知症になっているのに、私自身は、まだまだ、こういうものを書こうとか、書きたいとか思っていないのが正直なところ。
社会のシステムが変わっていかなければならない現実とともに、一人一人の意識も変わって行かなくてはならないのだろう。
高齢化社会の向けて、こういう老い支度が当然のことになるんだろうか…。

だけど、子育てに追われていたり、介護中だったりするときに、なかなか、こういう意識を持つのは難しそうだ。
きっと人は、バリバリ生き抜いて、ある程度の年齢でコロッと死ぬことを願っているだろうから。

「マイエンディングノート」はNALCというNPOが出しているもの。調べてみると全国にたくさんの支部がある。私の住む街にも存在していた…知らないことってホントに多いわ。

銭湯帰りに徘徊が出る

2005-09-19 | ●介護録(~2015.2月)
銭湯帰り、「遠い」とか「お湯が熱い」と母から文句が出始めた。
「だったら家のお風呂に入って」と言ってみる。もちろん「そうね」と答えるはずもない。
家のお風呂は「他人に用意して貰うのが気の毒」なんだそうだ。「だったらお母さんが用意して」と言えば、「自分が用意して他の人が入りたくなかったら悪い」という。
結局入りたくないだけのこと。
「もう一生お風呂に入らなくていい。私以外の誰がお母さんを銭湯まで連れてきてくれるのよ」と叫んだ私。
結果、母は家とは反対方向に歩き出す。私は他人になり、どうぞお家に帰ってくださいと言われ、母はあるはずもない実家を目指しす。
南へ南へ……このままではどんどん家から遠くなるので、しばらくして、拒否されるのを承知で「こっちの道を行きましょう」と声かけした。
なんとか家に向かう道を行くことに成功したけれども、こうなったのは○○のせいだ…と言い訳や被害妄想を言いながら帰途につくことに。

聞くのもイヤ…っていうのが私の心情。疲れたと言われても自業自得でしょって思うし、まるで私が連れ回したような言いぐさには腹が立つばかり。

帰宅後はTVを見て笑ってる母に、…ああ、おめでたい…なんて思う。

本気で二度と銭湯に連れて行くもんかー一生お風呂にいれてやんない……と思った夜だった。