昨日、「琉球史劇 薩摩侵攻」を見てきました★
今年は薩摩侵攻から400年、琉球処分から130年という節目の年で、
これを機会に様々な催しが行われてきました。
この劇もその一環。
さて、琉球史をあまりご存知ない方のために簡単にご紹介。
1609年、薩摩の島津家久は徳川家康から
奄美・琉球への出兵の許可をもらったうえで
約3000の兵と100隻の余りの軍船をさしむけました。
鉄砲を持ち戦経験に長けた薩摩軍は
瞬く間に今帰仁城を占拠、那覇・首里に向かいます。
琉球もなんとか攻防戦を繰り広げますが適うはずもなく、降伏。
尚寧王は捕虜として薩摩、駿河へと連行されていきます。
(※その際、徳川家康と謁見。捕虜と書くと悲壮なイメージがしますが、紳士的な扱いをうけたとの記録資料が残っています)
琉球は中国との冊封体制を持った特異な立場にあるがゆえに
その立場を利用したい薩摩は、その後も、琉球を独立国としつつも
間接支配の中におきます。
これによって琉球は中国と薩摩との二重支配の中におかれていくのです。
特異な立場にあった琉球は更に特異な歴史を歩んで行くことになります。
琉球王国史を振り返る上で、
一、
三山統一(琉球王国のスタート)
二、
第一尚氏滅亡と第二尚氏王統樹立
三、
薩摩侵攻
四、
琉球処分(琉球王国の滅亡)
は、歴史を大きく変えた出来事になります。
というわけで、「琉球史劇 薩摩侵攻」では、
薩摩侵攻が目前に迫ってくる中での
尚寧王、王府役人たち、そして女たちの苦悩、葛藤、
平和への願いをこめた物語になっていました。
(薩摩軍や薩摩側の登場人物は皆無)
台詞はもちろん方言!
会場の国立劇場おきなわは組踊や歌舞伎をメインとした舞台作りになっているので
舞台両端には訳文が出てくる電光掲示板が。
でも方言、半分は分かったかな
組踊の方言(台詞)は99%理解不能だったけど
琉球王家家紋の「左三つ巴」と
家薩摩の家紋「丸に十字」が舞台演出としてうまく使われていてツボでした
だんだんと丸に十字に飲み込まれつつある三つ巴。
三つ巴をすべて飲み込んでしまった丸に十字の不気味な存在感。
う~ん、唸りましたねぇ
薩摩への抵抗として和睦を願いつつも戦に向かう若者達、
その結末の演出。
戦の歴史に対する嘆きと問題提起は
この薩摩侵攻に限らず、その後の琉球処分、太平洋戦争、
そして現代社会における戦争までを含めた
印象深いメッセージとなっていました。
薩摩侵攻に対する歴史解釈が一方的すぎないかな?
ともちょっと感じましたが、
これを機会にまた薩摩侵攻についてももうちょっと詳しく勉強してみよう
という気持ちになりました。
こうやって歴史を学んで行くことはとても楽しいです。