昨日フジテレビでやってた
偉人を年齢で切り取るバラエティ、
なかなか面白かった(・∀・)ノ
偉人たちの年齢って歴女的には結構重要(笑)
年齢が分かったほうが
その人物がリアルにイメージできるから。
今の自分や、感覚と比べてみたりとかね。
例えば、
尚巴志は、父・思紹が18歳の時の子。
*思紹(1354~1421) *尚巴志(1372~1439)
って知ったらほら、
思紹の人間としてのイメージがちょっとリアルになるでしょう?(笑)
さて、年齢不詳な人が多い古琉球の偉人たちですが
護佐丸もその一人。
一応、色んな研究から護佐丸が1458年に死んだ時の年齢が
68~70歳というのが今は一般的になっているので
逆算して生年を1390頃と算出できるのですけどね。
(でもそもそもこの68~70歳ごろっていう根拠って何なんだろう…ソボクナギモン…)
その護佐丸ですが、
父から家督を継いで護佐丸が山田按司になったのは15・16歳の時らしい
というネタを過去に書いたことがあるのですが、
そのネタの出典は「護佐丸伝」(新垣正雄著/1996)
でもそう算出した根拠はなんだっけかな~?
と思って、先日再度借りて読み返してみたら…
武寧王が尚巴志に滅ぼされたのは1406年。
その頃護佐丸はすでに一人前の武将に成長していたと思われている。
護佐丸の生年を1390年とすると、その頃護佐丸16歳。
すると、護佐丸が山田城主になったのは1406年、
あるいはその1・2年前、
すなわち14~16歳頃と考えられる。
(同 P272)
って、うわ~お、根拠薄っ!Σ(゜∀゜;)
1406年時点で10代半ばになっているから
元服して武将(大人)として一人前になった、というのは分かるが、
イコール家督を継いでいた(山田城主になった)という根拠はどこに? ( ̄∀ ̄;)
1416年の北山討伐の時点で尚巴志軍に加わった"読谷山按司"
というのは護佐丸(=26歳ごろ)のことだというのは一般的だから、
若くして家督を継いだだろうというのは予想はつくけどね…。
まぁ、10代半ばで家督を継いだっていうほうがドラマチックではあるから
個人的にはそうであってほしいけどさ(笑)
うーむ、この本「忠臣・護佐丸否定」や「阿麻和利賛美」の諸説についてのモノ申しは
結構鋭く突っ込んでるんだけど
護佐丸を賛美する時の視点は結構偏ってたり根拠薄かったりするなぁ~と改めて……
(もちろん納得できるのもあるけど)
ま、色んな人の見解が載ってるのでこの本、好きですけどねー。
手元にほしい一冊。
さて、護佐丸10代半ばで山田按司説、
みなさまはいかがお考えですか?