ずっと小雨がやまず、気温もぐっと下がった今日の沖縄。
午前中のオシゴトを終えて、
今日はカフェ&おうちで読書タイム。
片手にはサントリーのほろよいチューハイ(桃)
『首里城を救った男 阪谷良之進・柳田菊造の軌跡』
(野々村孝男著/ニライ社)
話は昭和5年(1930年)にさかのぼります。
記録的な大型の台風で大打撃を受けた首里城。
その修理と、琉球王国の歴史的建造文化財の保存に尽力した
2人の男についての本。
明治12年(1879年)の琉球処分で城主を失った首里城は
荒廃の一途をたどります。
大龍柱は軍隊によって破壊され、
床や壁板は薪用に剥ぎ取られ、
修理保全されることもないまま
風雨に野ざらしのままで白蟻の被害も甚だしく
まさに瀕死の状態に陥ります。
一応、当時の首里城も「国宝」というものに指定されてはいたものの、
国宝とは名ばかりの散々な状態。
そんな状態の首里城に追い討ちをかけるかのように
歴史的な大型台風で致命的な被害をうけるわけです。
そこに、中央から派遣されたのが
文部省文部技師の阪谷良之進と、
宮大工の柳田菊造。
もちろん資金調達などをはじめとして、いろいろな壁や危機があるわけですが、
それらを絶妙な強運(としか言いようがない不思議)で乗り越えて行く首里城。
戦前のプロジェクトXを見ているかのようでした。
また、阪谷良之進によって円覚寺や祟元寺をはじめ多くの琉球王国の建造物が
次々と国宝に指定されていきます。
(※↑の写真手前にあるのが円覚寺跡。奥が首里城。県立芸術大学より撮影))
仰々琉球建築は特殊の構造形式を有し
世界建築史上須要なる一位置を占むるのみならず
又同地文化史の研究上極めて貴重なる資料なるは
学界に既に定評あり
(中略)
この故に一刻も速やかに之等を国宝に指定し
以って永久保存の方法を立つるは国家至要の事なりと信ず
<阪谷良之進>
この本を読むまで、このような状態にあった首里城のことも
そんな首里城や琉球時代の数ある建築物を守ろうとしてくれた
日本人の存在を知りませんでした。
琉球処分の受けてからの“沖縄”は、
皇民化教育で染められて
琉球を旧文化として否定し、否定され、
“日本人”になろうと必死になっていた時代。
そんな中、琉球王国時代の文化に価値を見出し、
それらを守ろう、残そうと尽力したのは、
他ならぬ本土からの“日本人”であったということ。
なんだかいろいろと考えさせられるものがありました。
同時に感謝の気持ちも。
この本は、戦前の首里城や関連建築物の写真資料が満載で
それを見るだけでもとても面白いです。
(写真の鮮度がとてもいいのです!これも奇跡の1つ)
両氏によって昭和8年に歴史的大改修を終えた首里城も、
昭和20年の沖縄戦により焼失してしまいます。
しかし、平成の首里城再建の際に、
両氏が残した膨大な資料は一級の参考資料として用いられます。
現在の首里城の姿をみることができるのも、
この両氏の実績あってのことなのです。
沖縄人として、
畏敬の念を抱かずにはいれません。