■慶良間諸島■ 微かに少年の面影を残す青年は薩摩の役人なのに帯刀していなかった。 刀の代わりに筆を携え、朝の那覇港の景色を眺めている。 あけ雲とつれて慶良間はいならで あがり太陽をがで那覇の港 ふと詠まれた琉歌に寧温は絵画的世界を感じた。 なんと卓越した風景描写なのだろう。 今ここにいる場所を言葉で切り取ってしまったような完璧な歌だ。 寧温が解釈しながら背後から近づく。 「夜明けの雲が沸き出でてくると、慶良間の島々が雲の隙間から並んで見える。 寧温の声に青年が振り返る。 朝日を浴びた青年は寧温を見つけて照れたように笑った。 「いやあお恥ずかしい。聞かれていましたか」 「テンペスト(上) 145-」より 池上永一著/角川書店 引用部分は朝日を浴びた慶良間諸島ですが、 首里城祭1日目に、首里城の西のアザナから見た那覇の町と慶良間諸島です。 こんなふうにくっきりと慶良間諸島を見たのは始めてて
荘厳な日の光を浴びた那覇港は実に雄大な眺めである」
写真は夕日に包まれた慶良間諸島です
なんだかとても不思議な光景を見ているかのようでした。
琉球ガラス(宙吹きガラス)体験に行ってきました★
ガラス吹きをしているめがねをかけたシーサー君がお出迎え
お世話になった工房は、読谷村やちむんの里入り口にある
ガラス工房「虹」さん。
やちむん(焼き物=陶芸)は大学の授業でもやったし、
卒業後も何度か体験する機会があったのですが、
ガラス工芸は初めての体験です。
工房の中は1000度以上の炎が轟々と燃え盛っていてものすごい熱さ
熱気で向こう側がゆらいで見えました。
真夏にこの中で働くといったいどうなってしまうのでしょう…
考えるだけで倒れてしまいそうです
では、最初に工房の方に教えてもらった琉球ガラスについてご説明。
琉球ガラスの1番の特徴は廃瓶利用。
このようなおなじみのジュースビンを洗って、砕いて、溶かして、
そして新たなガラス製品に作り上げて行きます。
その始まりは戦後。
アメリカ人駐留によって大量のコーラビンやサイダービンが沖縄に入ってきました。
その廃ビンを利用し始めたのがはじまり、なんだとか。
ガラス工芸というのは戦前から沖縄にもありました。
沖縄にやってきた関西の職人さんから習っていたのだそうです。
でも、廃瓶を利用した新しいガラス工芸の形である「琉球ガラス」の確立は
戦後の沖縄文化、ということになるんですね。
様々な観光施設で琉球ガラス体験がありますが、
琉球ガラスの元である「廃瓶」を利用しているガラス工房は
沖縄にある14工房のうち、今は4工房しかないそうです。
さて、体験はそれぞれの描いてきたデザインをもとに、
コップや器、お皿などを作っていきました。
工房の職人さんたちが付いて1つ1つ教えてくれながら
一緒にやってくれるので安心でした
↑吹きガラス、初チャレンジ★
吹くの、結構力が要ります。
(穴が小さいのかな?)
昔、ガラス吹きの時に息を吸ったら死ぬって聞いたんだけど(笑)
熱されて真っ赤になったガラス。
とてもキレイなオレンジに惚れ惚れします。
(もちろんさめたら別の色)
ガラスは所々に色を入れたり模様を入れたりすることも可能です。
熱されたガラスの塊に、
別の色のガラスを表面につけていきます。
まるで生キャラメル。
いや、チョコレート?(笑)
見ていて、「おお~~~っ」と拍手。
ラインではなく、点状に模様をつけたいときは、
ガラスを押し付けて、
はさみでちょっきん
ガラスをはさみで切るなんて、生まれて初めてです(笑)
縁に色をつけたいときは、縁にガラスを当てて、
うにょ、
うにょ~~~ん
お見事!
途中途中、何度も熱しなおして、
吹いたり、回したり、形を整えたりして行きます。
今回ワタシが作ったのはお皿。
透明の、ちょっとゆがみのあるフォルムに、青のドッド模様がが少々。
(本当はお皿の中央は水色で、グラデーション入れる予定だったけど忘れてました)
そーめんちゃんぷるーを入れて食べたいお皿です。
受け取りは来週なんだけど、楽しみです
お皿を作ったら、やっぱりコップも作ってみたーい!
ってなりました。
またいつかコップも作ってみたいです
そして、またひとつ、琉球体験が増えました
昔、Leeさんや他の方のブログで見て欲しいと思っていた1枚。
アート蒼謹製。
江戸東京博物館のミュージアムショップで購入♪
Leeさん手ぬぐいこぼれ話によると、
道成寺という歌舞伎衣装をデザインしたものだそうです。
桜地の濃いピンクに縦の黒いライン、
そこに並ぶ紋がとてもワタシ好みです。
歌舞伎の衣装展を福岡にいたときに見たことがありますが
いろいろな仕掛けがあったり、デザインもかっこよくて
「作品」としてとても楽しめたのを覚えています。
またやってくれないかなー。沖縄で(笑)
首里城祭2日目に立ち寄ったカフェ。
ロハスをテーマにしたオーガニックカフェ
「NOAH」
一軒家を改造したような内装で、
静かでほのぼのとした空気が流れるカフェでした。
(和室部屋もあります★)
お冷も体に良いものを、と常温で出されました。
この日は暑かったけれど、クーラーもなし。
窓からかすかなそよ風。
それがまた心地よくて。
ちょっとランチタイムを過ぎてしまっていたので
お目当ての日替わりプレートは食べれなかったのですが、
この日注文したのは、野菜のご飯のせ。
(季節野菜の玄米カレーとも迷いましたが)
いかにも体によさそうな野菜が種類も豊富にたっぷり
玄米ご飯の上にのっています。
こういうのって絶対家で出されても食べないのに、
こういった非日常なステキな空間で出されると
おいしく食べれるから不思議。
やっぱ、食事にはその場の空間や空気って大事ねー。
本などもいろいろ置いてあって、
食事をしたあと、本日のハーブティー(写真1番上)を飲みながら
ゆっくり読ませてもらいました♪
体にいいことしたい!
っていうときにオススメです★
★DATE★
住 所:那覇市首里大中町1-9 →首里城の近くですが、奥まったちょっと分かりにくいところにあります
電 話:098-885-7217
時 間:11:30~22:00
定休日:火曜日
駐車場:有り
席 数:25
ブログ :http://noah.ti-da.net/
先記事の濱文様ツナガリでもう一記事。
濱文様の風呂敷です。
紫の市松文様。
70×70㎝大。
市松が細かすぎず、また四方を囲む紫のラインが全体を引き締めてくれて
シンプルだけどちゃんと和風をかもし出してくれています。
とても使い勝手がいいので重宝しています
(ワタシの持ってる風呂敷の中で1番出番が多いかも。次点はかまわぬの波注染風呂敷)
普通の風呂敷使いはもちろん、
小物の写真を撮るときに下に引いたり背景にしたりもしています★
濱文様のサイトから購入しました
「濱文様っ!」
と、思わず反応して車からとっさに撮った1枚(笑)
あれは首里城祭2日目冊封儀式の帰り。
龍譚池前の通り沿いにある小さな雑貨屋さん。
入り口のドアにディスプレイされているのは
紛れもなく濱文様の手ぬぐいではありませんか。
もう信号は青に変わっていたので立ち寄ることはできませんでしたが、
助手席においてあったカメラを取ってシャッターを切りました(笑)
お店の名前など詳細は…不明…スミマセン
(なんせ運転中のとっさなことでしたので)
手ぬぐいを扱っている沖縄県内のお店を発掘中★
よどさんのブログで教えてもらった宜野湾のお店も近々行ってみなきゃー
先の記事、「アカインコが行く」にちなんで、
過去のストック写真より☆
読谷村楚辺(そべ)にある、
「赤犬子宮」です。
伝説の琉球音楽の始祖、アカインコにちなんだお宮です。
今でも、サンシン関係者にとっては大事なお参り所となっています。
野村流、三線界の代表流派ですね。
規模は大きくなく、
大通りの県道6号線からちょっと奥に入った
ひっそりとした住宅地に囲まれて在ります。
うーん。
昨日あんなこと言ってる割には
写真が普通であまり面白くないですね
ALLケータイ撮影。
撮影は8月。
「琉球吟遊詩人 アカインコが行く」(与並岳生著/琉球新報社)
リクエストして入荷してもらったのを早速借りて、
早速読了。
217ページ。
与並岳生さんは「百十踏揚」の作者ですが、
「百十踏揚」ほどの長編小説でも大河ドラマでもないので
割とさらっと読めました。
アカインコとは、琉球の三線(サンシン)音楽の始祖とされている人物。
琉球王国の黄金期、尚真王の時代1500年代始め頃の人物とされているようですが、
その人物については謎が多く、
伝説上の人物のようになっています。
その伝説のアカインコがサンシンを手にするまでの放浪の旅模様を描いています。
…まぁ、だいぶフィクションでしょうケドね。
村人を虐げる悪按司を懲らしめたり、
災害にあった村人達を助けたり、
山賊たちを懲らしめて改心させたり、
虐待にあっていた子を助けて引き取ったり…
なんだか水戸黄門のようなヒーローぶりでした(笑)
「阿嘉のお祝付き、アカインコとは私のことだ!」
「何!?アカインコだと?」
じゃじゃ~ん…みたいな。
謎多きアカインコは読谷村楚辺(現)出身の人とされており、
その楚辺には「赤犬子宮」もあって
サンシン関係者のお参り所にもなっています。
実はその赤犬子宮の写真も…あったりします
(夏に訪れたときに撮っておいたストック写真)
そろそろ出しましょうか(笑)
江戸東京博物館で購入。
アート蒼謹製。注染。
ワタシの好きな赤×黒のかっこいい手ぬぐいです
歌舞伎は興味はあるので、
隈について調べたり(模写したり)、
歌舞伎関連の展示会などを見たり
一度博多座で歌舞伎公演を見はしましたが
この手ぬぐいがどの演目のどの役どころをあらわしているか…
なんていうのは分かりません…
機会があればもっともっと観にいって学びたいところです。
(しかし…見る機会が近くにあった大学時代は金なし、
今は働いて金はあれども、機会なし(トホホ))
ちょっとだけ凝った視点とキレイな写真で
和文化、そして琉球の歴史・文化を分かりやすくご紹介
…を目標にしています。
写真のいいところはその空間を切り取れること、
その撮り手の視点でモノを見ることができること。
だから、私自身もそうであったように、
普段見ている何気ない景色やモノであっても
撮り手の視点や思いによって切り取られた写真を見てはじめて
その新鮮さや新たな魅力に気づくこともあります。
そんな写真が撮れるようになりたいな
本土の方はもちろん、
地元ウチナンチュが見ても新鮮に写るような。
というわけで、去った土日に行われた「よみたんまつり」で
クライマックスで用いられる「進貢船」です
進貢船とは、中国に朝貢(貢物を納める)をするための船で、
ここ読谷村の泰期が初めての進貢使として中国へ渡りました。
(詳しくは過去記事「泰期像」へ)
それが中国と琉球の冊封関係のスタートです。
琉球→朝貢→中国(明国)
琉球←冊封←中国(明国)
そのことを記念して、よみたんまつりのクライマックスで
中国へ出かける様と、
たくさんの宝を積んで琉球に戻ってくる様が
この進貢船と共に演じられます。
……その様子は見れなかったけど
なので、よみたんまつりの準備中に駐車場にスタンバッてたトコロをパチリ★
よみたんツナガリ。
読谷の、とある場所にあるこのガジュマル、大好きです。
たぶん、ワタシのガジュマル好きの原点はこのガジュマルだと思う。
高校生のとき、ココを油絵に描いたりもしたくらい、想い出の場所。
安全のためか、低い位置の枝や気根は切り取られているみたいで
鬱蒼とした昔の雰囲気はちょっと薄れてしまいましたが、
それでも木漏れ日とガジュマルの樹の下を通る風がとても気持ちがいいのです。
昨日、Leeさんへのコメント返しで
タイトル改称はもうちょっと先になりそう…なんて書いておきながら、
しれっと変わって、
しかも、しれっと別の話題の記事を3連続してしまって
あれれ?
と思われた方もいるかも
では、改めて。
「和心、この頃 手ぬぐい日和」は本日を持ちまして、
「がじゅまるの樹の下で。」
にタイトル改称いたしました。
お気に入りやブックマークをしてくださっている方々には
大変恐縮ですが、タイトルの書き換えのほうをお願いいたします
タイトルは改称となりましたが、
内容やURLなどは今までと何も変わりませんので、
これからも当ブログをよろしくお願いしたします
改称の理由は、ブログ内容の拡大です。
手ぬぐいと和心を冠にしているけれど、
琉球沖縄関連、写真などなど、今後も増殖の見通しなので、
ブログ内容を限定しないタイトルにしたほうがいいかも、
ということです。
でも、ワタシはウチナンチュ(沖縄人)なので、
沖縄テイストは入れたくて、
昔から大好きな沖縄の代表的な樹、
「ガジュマル」をモチーフにタイトルを決めさせていただきました★
でも、ちゃんと手ぬぐいも写真に組み込みましたよ~
(King of 手ぬぐいの豆絞り3枚です★)
このタイトルなら、
たとえ今後料理にはまろうが、ヨガを始めようが、
子育てに奮闘しようが(笑)
オールOKかな?と思っております(^ω^)
さて、このガジュマルの大木、素晴らしいですね
金武町、「伊芸のガジュマル」
樹齢300年、樹高11メートル、幹周り12メートルの見事な大木です。
金武町指定文化財になっています。
(樹齢は名護のひんぷんガジュマルと一緒だ★)
以前、このガジュマルが新聞の広告に使われているのを見て、
実際に見てみたかったのです
それで、ネットで所在地を調べて、
昨日のお天気に誘われて会いに行った次第です
ガジュマルのこのたくましさ、
月夜にはキジムナーが飛び回っていそうな神秘性、
その存在感に魅かれてやみません。
(中には他の木を侵食しちゃうし不気味~っていう人もいますけどネ)
ガジュマルの樹 倒してまで つくる道はない
僕らの行く末に 何が残る?
堅い頭と 堅い地面で何を切り開こう ガジュマルの木
より深く より広く強く
優しさの根を伸ばしましょう
目に見えぬ優しさの根は この星を抱く
「ガジュマルの木」 Song by モンゴル800
それにしても樹齢300年、っていったら
余裕で琉球王国時代ですね。
そう考えるとドキドキします(笑)
また、よくあの戦火を生き延びてくれたな、とも思います。
これからもずっとここにありますように
首里城祭2009関連、ラストでーす。
(古式行列は欠席したのでまた来年)
伝統芸能行列、そのほかにもいろいろありました。
一挙ご紹介。
↑は“琉球国祭太鼓”の旗の演舞。
曲はエイサー曲としてメジャーなミルクムナリでした。
それから棒術。
棒術も琉球の代表的な武道でもあります。
こちらはコレも初めて見た、
泡瀬京太郎保存会による「京太郎」
京太郎の発祥が泡瀬っていうのは知ってたけど、
エイサーで見るいわゆる京太郎(チョンダラー)とは全然違う芸能でした。
この曲、肝高の阿麻和利の鶴松・亀千代の音楽だったー。
アレって、古典音楽だったのネ。
(もちろんアレンジは全然ちがったけど)
それから言わずと知れたエイサー。
でも数あるエイサーの中でもかなり特徴的な勝連半島のエイサー、
今回は屋慶名(やけな)青年会の皆さん。
同じ勝連半島の地区、平敷屋(へしきや)エイサーもそうだけど、
パーランクー(↑の平たくて小さめの太鼓)に細いバチ、というのが特徴。
地方(じかた)さんの紋付に反応するワタシ(笑)
琉球から全国に広まった空手の型。
それからオオトリは旗頭。
三つ巴は琉球王家の家紋。
おまけ。
首里城祭スタッフTシャツ。
黒地に金の龍プリント。
い~な~。
それにしても行列の写真は失敗作も多かった…il|li _| ̄|○ il|li
望遠レンズで、被写体も動いているからブレの影響も大きいし、
人が背景にもいっぱいで、
ピントが後ろの人にいっちゃったり、
意図する人に合ってなかったり。
被写体が常に動いているから背景の吟味もじっくりできないし。
もちろんじっくり落ち着いてやればよかったんだろうけど、
テンションあがってたやら、
焦ってたやら、
暑かったやらで、
なんかダメダメでした
落ち着いて じっくり待とう シャッターチャンス
(和々、反省の一句)