先の記事、cafeハコニワ
たぶん、このcafeの魅力はここにもある。
まるで絵のような、この場所。
トイレです(笑)
店内とはまた雰囲気を変えたトイレの内装。
塗り替えた壁のマチエールがいいよね♪
洗面台。
こちらもやちむんのボール。
蛇口もいい。
将来、自分の家が持てたらやちむんのボールにしたいなぁ…
(本場、読谷でのこのボールがいい)
カフェのトイレも一見の価値ありですね
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しばらくcafeでまったりしてないな~。
と思った先日、本部町を走っているとふと目に留まった小さな看板。
「cafe ハコニワ」
行ったことはないけれど、名前は幾度と聞く有名なcafe。
なぬっ!?
こんなところにあったのか?
と急遽車をUターン。
車一台分が通るほどの狭い山道、
鬱蒼と茂った木々のトンネルの中をがたごとと進むと、
cafeハコニワは隠れ家のようにひっそりとありました。
…がっ、さすが有名cafe。
お昼時は過ぎた頃でしたが、
お客さんで席は埋まっておりました。
運よく、カウンター席を用意してもらって着席。
テーブル席はお庭に面していて、
晴れた日や暖かい日なんかは窓も開けて気持ちがいいだろうな♪
この日はしとしと雨でまったりとした、
だけどゆったりとした空間でした。
こちらが注文した「プレート」900円。
他にも島野菜のカレーなんかもありました。
(メニュー自体はそんなに多くないです)
お汁、しいたけの出汁がきいてておいしかった~
おかずも黒コショウや唐辛子のスパイスが効いてて
ご飯がすすむおいしさでした
小さなケーキと、
ティーor コーヒーもついてきます。
やちむんの器に小洒落た料理。
北欧テイストのナチュラルカフェと思いきや、
けっこうオキナワン。
あいにくその日はワタシに時間の制約があったので、
思う存分「まったり~」はできなかったのですが、
小一時間程度でもゆったりcafe気分を味わうことができました
森の中の隠れ家cafe。
観光ガイドやカフェガイドにも多数紹介されているので
機会がありましたら立ち寄ってみては。
今度は晴れた日に行きたいな。
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* Cafe ハコニワ *
TEL 0980-47-6717
住所 沖縄県本部町字伊豆味2566
時間 11:30~17:30
定休 水曜・木曜・年末年始は未定
ショクバに手ぬぐいユーザー(=手ぬぐぁ~)が増えております
元々手ぬぐい好きのワタシと、
引き込んだ先輩がお一方。
で、前にも記事にした今年から新しくきた人で、
手ぬぐいを普段使いしている方お一人。
(今日は珊瑚、昨日は青の唐草模様手ぬぐいだった~♪)
そしたら、この間別の大先輩がパソコンカバーにしているのを(目ざとく)発見!
ちなみに、濱文様の「こんぺいとう」手ぬぐい。
で、歴女さんのA氏は麻の葉模様の手ぬぐいをパソコンカバーに。
(こちらはたぶんプリントか…)
ちなみに、別の先輩は私がお土産にプレゼントした
まめぐい(かまわぬプレゼンツ)をパソコンカバーにしてくれています。
手ぬぐい活用術。
パソコンカバーとして大活躍中のショクバです(笑)
ちなみに全員女性でーす
(やっぱり…?)
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■屋良ムルチ■
比謝川は読谷山と北谷方面を隔てる大きな川で、
当時は単に「大川」と呼ばれていた。
河川は険しい隆起珊瑚礁の断崖が続き、
あちこちに洞窟がある。
遠く人里離れた中流には、大きな淀みがあり、
屋良漏池(やらむるち)と呼ばれていた。
人を呑み込む、恐ろしい大蛇が棲んでいると伝えられ、
近寄る人もいなかった。
大蛇は火炎を吐いて、村々の作物を枯らし、
天災を招くと伝えられていた。
加那はその大蛇棲む屋良漏池近くの、
洞窟に棄てられたのであった。
「百十踏揚 160-」より (与並岳生著/新星出版)
阿麻和利(※幼名/加那)は、ここ嘉手納町の屋良生まれとなっています。
(当時は、北谷間切、屋良村)
その、屋良にある屋良ムルチ。
ほぼ毎日この前を通っていましたが、
下りたのは初めてです。
ひやっとした空気が流れていて、風もなく、
確かに、淀んだ水の中から何かが出てきそうな空間でした。
屋良ムルチには上記したような伝説がありまして。
こちら↓
というわけです。
下りた先には祭壇(?)が…。
屋良ムルチをもっと嘉手納寄りに進んだところにある
嘉手納の道の駅看板には、この大蛇をモチーフにした(?)龍が絡まっています。
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今日の龍馬伝のコーナー。
一ツ橋慶喜、なぜ、眉なし?
結構、悪キャラ面ですね(笑)
もうちょい、理系のクールガイな印象もありますが。
(あ、でも、結構破天荒なんでしたっけ)
一ツ橋よりも三条実美に眉そってほしかった(笑)
公家だし。
でも、いい味だしてますなぁ。
写真は、長州の下関での海戦ツナガリで海の写真を。
(もちろん、沖縄の海ですが(笑))
物語はいよいよ号泣した14巻に近づいてきました。
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…大変っ!
先ほどの記事(テンペスト行脚~真玉橋~)で、
引用した場面は1836年の改修工事の場面だろう、
と書きましたが…。
なんと、時代考証してみるとズレがあることが判明
テンペストはお分かりの通り、史実を元にしたフィクションエンターテーメント小説。
だから、まぁ、目をつぶれと言われればそれまでですが。
テンペストには史実、
たとえば尚育王や尚泰王の死去や即位、
インディアン・オーク号事件やペリー来琉、
アヘン戦争や日米修好条約締結、牧志・恩河事件に琉球処分など
れっきとした史実も出てきます。
その年代と、主人公の成長、ストーリー展開を合わせると…
1836年に主人公・寧温君が評定所筆者としてこの改修工事に当たっていた
というのはありえない話となってしまいました…。
実は、テンペストを初めてよんだとき、
知らない間に主人公たちが年をとっていったので、
間を空けずに2度目に読んだとき、このような年代や年齢の記述のある部分を
チェックしながら読んだんです。
もちろん、曖昧なところもありましたが、
なんとな~く、こんな感じかな~?という年表ができあがり、
「ほほ~、この事件の時にはだいたい●才くらいなのか~」と満足しておりましたが…。
さーて、では「おかしい」の根拠。
1
主人公の時代の王、尚育王の即位は1835年、冊封が1838年。
(寧温君は尚育王に引き上げられて科試合格。評定所筆者主取に任命される)
2
イギリス船、インディアン・オーク号が琉球に座礁したのが1840年。
(寧温君はこの事件の責任者として当たり、イギリス女王からナイトの称号を得る)
3
インディアン・オーク号事件中、終了後も、「事業仕分け(笑)」で財政改革にあたる寧温君。
聞得大君御殿が怪しいとにらみ、出向く。
そこで、聞得大君に正体を怪しまれはじめる。
4
そして、前記事に引用した真玉橋竣工式典の場面
…となるのですが、真玉橋の修復工事は1836年。
調べてみたけど、戦前は1836年以降は特に行われていないようです。
・・・というわけで、ちょっと時代考証がおかしいです…。
(でも実はアヘン戦争や、ベッテルハイム滞在期ともちょっとずれがあるのよね…)
ワタシの年表では、1836年くらいは、破天塾で「科試」突破目指してがんばってる頃だわ(笑)
…あ、苦笑いしてますね?
以上、訂正の記事まで。
一度気になると結構調べるタイプのO型です。
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■真玉橋(まだんばし)■
今日、豊見城間切にかかる真玉橋の修復工事が終わった。
物流の要にあたる大橋の竣工式典に立ち会ったのは、
王府の三司官、表十五人衆、そして評定所筆者の高官である。
厳粛な儀式に相応な顔つきでいなければならないのを忘れて、
寧温は始終笑顔だ。
マングローブの森にかかるアーチ橋は弾むように陸地を結んでいる。
「これで那覇からの物資の輸送が効率的になりましたね」
「あれだけ予算をいじった寧温が決して譲らなかった公共工事だもんな」
「朝薫兄さん、その言い方は違います。
まるで私が公共事業潰しの鬼役人みたいではありませんか。
私はただ優先順位を決めただけです。
この橋は庶民たちにとっても必要な橋です」
「ぼくもそう思う。きっと百年後も役にたつ橋だ」
「テンペスト(上) 196-」より (池上永一著/角川書店)
はーい。真玉橋です。
真玉橋は1522年に築かれました。
その後、改修や修復工事などが行われ、
テンペストの↑の場面は、1836年の大規模な改修工事の場面かと。
沖縄独特の石造文化として誇る真玉橋でしたが、
やっぱり沖縄戦で破壊。
↑発掘作業の様子
その後の改修工事&発掘作業で、
当時の真玉橋の遺構が現在の真玉橋の両端に、
文化財として残されています。
現在の真玉橋です。
橋の向こう側は豊見城市。
こちら側が那覇市になります。
この日はお天気も悪く、どんよりとしていましたが、
お天気の日は、この白い橋が目にまぶしく写ります。
国場川。
真玉橋遺構と、現在の真玉橋。
こういった街中にある文化財もちょっと目にとめてみると
面白い発見があるかも★
↑ところで引用した部分の、寧温君と朝薫のやり取り。
まさに今でいう「事業仕分け」よね(笑)
「テンペスト」を読んだ方ならお分かりかと思いますが、
あまりのフィット感に笑えます。
(あ、ちなみにテンペストのほうが先です)
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映画「めがね」のキーワードに「たそがれる」がありました。
残波岬の、この大きな大きな青を目の真の前にすると、
人は自然と「たそがれる」ようです。
おじいちゃんも、
恋人も、
友達同士でも、
犬でさえ(笑)
みーんな、海のほうを向いて、
思い思いにたそがれていました。
誰もキャーキャー騒いだり、
走り回ったりしないの。
ただ、言葉をなくして、
じっとたたずんでいる。
しばらく、この大きな青に浸って、青に染まるまで。
この情景がなんだか面白くて、
背後からいろいろ撮らせていただきましたが、
その後、ワタシもひたすらこの青にたそがれ、
この風景の一部になっていたことは言うまでもありません。
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残波岬は白い砂浜…ではなく、
隆起さんご礁からなる海岸台地となっております。
かな~りごつごつとがった足場です。
非常に歩きにくいので気をつけて。
なので、ヒールではなく、運動靴がオススメ。
転んだら、たぶん大怪我します。
2枚目の写真は灯台の左側の岩場でした。
…が、灯台の右側は、
断崖絶壁!!
そこから見渡す海は、さえぎるものひとつもない、
大きな大きな青。
青に包まれる幸福。
目の前の島影は、
美ら海水族館のある本部半島と、
伊江島たっちゅー。
さて、しかしこの釣り人たち、
いったいどこに立っているのやら?
この辺でした(!)
ぎゃー!
ATTENTION
残波岬は柵がないところも多く、足場も悪いため、
場所によっては非常に危険です。
特に天気の悪い日は、波風が非常に激しくなるエリアであり、
波に飲み込まれる可能性もあります。
行動は自己責任のもと、十分な注意を払ってください。
大きな海はどこまでも穏やかで、おおらかでしたが、
しかし、大自然を甘く見てはなりませぬ。
この、大きな大きな岩。
どこにあるかといいますと、
こちら。
この岩は20年前の台風によって、打ち上げられた岩なのです。
↑画像をクリックすると拡大します。
右端にあるのが打ち上げられた大岩。
これだけの断崖絶壁を飲み込むほどの大波が押し寄せてくることもあるのです。
恐るべし、大自然のエネルギー。
エリア内には、
「西ノ神之屋」も。
でも、ちゃんと遊歩道や柵が設置されている場所もあるので
安心して、この雄大な自然を味わってください。
しかし、この圧倒的な大きな大きな青を目の前にすると、
人って同じ行動をとるものなんですね。
(つづく)
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