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「藤」から見る表現のかたち

2018-10-05 18:53:35 | 日々を歩む



週に一度は通る、見慣れた道
藤の文字が建物の前に佇んでいた。

一度そのまま素通りしたが
引き返して写真を撮った。
私にとっての日常の道、日常の風景
そこに異物が溶け込んでいる。
アンバランスが発生していた。

日常の中に入り込んだ異物。
私としては、とても刺激を受けるモチーフだ。

しかし考える。
この「藤」はどこから来たのか?

少しの想像力があれば答えはすぐに導き出せる。
100%とはいえないが
週末の台風の風で飛ばされたのではないだろうか。
個人商店のお店の上にある名前の一部が
剥がれ飛ばされ行き着いたのでないだろうか。

そうだとするならば
この写真はそのお店の人にとっては
刺激を受けるとか、ワクワクするようなものでは当然なくて
怒りや悲しみを感じさせるような写真となるだろう。
少なくとも、嬉しくもなければ楽しくなるような写真でもないだろう。


表現の二面性とでも言えようか。
今回このようなかたちで切り取った写真表現
私にとってはビックリするような刺激を受けるプラスな作用を及ぼしているわけだが
見る人によっては、不快なマイナスな作用を及ぼす可能性もある。

そういった可能性をはらんでいるものだ。
表現全てがそうだともいえるような気がする。

だからといって、委縮してしまっては
なにも表現できなくなってしまうわけだが
完全に開き直っていいというわけでもないだろう。

要するに、自覚的であるべきだと思う。
表現するにおいて(情報発信も同じく)
どこかの誰かを加害する可能性があることを。

写真を撮った2日後
同じ場所を通ったのだが、藤の字はなくなっていた。
元の場所に無事に戻ることができたのだろうか・・・

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