ネットで投票数を競うかたちのものを度々目にする。
それを見る度にかんじることは「本質を見失わないか?」ということ。
<例1>
主催者 洋服ブランド
便宜上ブランドの名前を「パッション」としよう。
そのブランドの服を着た写真をエントリーする。
その写真がパッションブランドのHPにアップされる。
その中で投票数を競い、一位を獲得した応募者は、モデルとして参加できる。
そんな企画があったとする。
応募者①は知り合いが多い。
パッションの服を着て応募したことを、知り合いにしらせて「ポチッ」と投票してもらう。
親しい人になら、さらにその知り合いにも広まっていくかもしれない。
SNSでシェアしてもらえたら、一気に情報は拡散されることだってある。
だけど、残念ながらオシャレなかんじでもない人である。
応募者③は知り合いが少ない。
教えることのできる人が少ないから「ポチッ」の回数も少ない。
でも、めっちゃスタイルがいいし、ファッションセンスもピカイチである。
結果は①が一位になり、モデルとして参加したとのこと。
<例2>
美術専門学校
学園祭で、人気投票をすることになった。
エントリー者は専門学校のHPにアップされる。
そこから気に入った人に投票するかたちになっている。
当日はリアルなイベントとして、エントリーした人達が実際に壇上に立ち、
見て確かめて投票することも可能だ。
だが、結果は<例1>と変わらず、つながりの多い者が一位になった。
ネットやSNSを介しての投票システムがわるいとは思わない。
主催者としては、知ってもらえる機会が広がる大きなチャンスだろう。
HPを見てもらえるだけでも、もうけものだ。
しかし、
<例1>だと、モデルとして参加したのは、
どう見たってモデルさんとしてふさわしくない人。
逆にブランドイメージを損なう恐れだってありそうな人。
<例2>だと、美術作品としての適正な評価が下されてないこと。
票を集めたものが1位。
実際には3位の方が、作品としてクオリティが抜群に高い。
美術学校として、それはありなんですか?と問いただしたくもなる。
結果をHPにアップすることになり、あきらかに1位にふさわしくないものが1位であれば、
その美術学校の審査する人(学校の講師など)にマイナスイメージを抱くかもしれない。
末端の者は強く大きな存在に踊らされる。
そんな風にも思ってしまう・・・
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