yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

自然のちから。

2011年05月27日 | たわごと、ひとりごと

Muryoku アメリカ・ミズーリ州では竜巻が猛威をふるっている。

竜巻発生から3日後、犠牲者は125人に達しており、まだまだ行方不明者も多いことから犠牲者はまだ増える見込みだという。

竜巻の通り道だったところは地下室に避難しててもダメだったらしい。

住宅の建築基準を見直す予定はないのかと聞かれた州知事は

「8階建ての病院でも上部2階がひきちぎられ、基礎部分は10センチもずれている。そんな竜巻に耐えられる基準などできやしない。」と答えたらしい。

そりゃそうだ。

どこかで線を引いて基準を作っても自然災害のすべてを防げるわけではないんだ。

目いっぱい高い基準にすると、今度はなかなかそうそう建築することもできなくなるから現実的じゃないし。

どこかで妥協点を見つけ出さなくちゃいけない。

そして、その中で被害が最小限になるように努力するしかないよね。

この竜巻の被害では、通り道にならなかった場所は普段どおり機能しているし、「生死は時の運」ともいえる。

東日本を襲った今回の大震災も同じ。

今回の地震や津波に耐えられるような建築基準を設定するよりは、避難の仕方を徹底する方がより現実的だと思う。

地球上に住んでいれば自然災害は避けられないということは皆が感じてるところだろう。

だが、今回の原発事故は本質的にこれらとは違う。

これから福島や関東圏の人たちは「放射能のある生活」を送らなくちゃいけない。

世界中に放射能がばら撒かれていると解釈すれば、主語は「世界中の人々は・・・」となる。

もし、原発がなかったらこういうことはなかった。

「原発が必要だ」という意見の人は、反対の意見の人にいつもこう言う。

『じゃあ、電気無しで暮らせというのか。真夏でもエアコン無しの生活を送って死者が出たらどうするつもりだ。そんなに言うならお前達が電気無しで生活しろ。そうすれば節電にもなるしちょうどいい』と。

すると、原発反対の意見の人はこう返す。

『原発がそんなに必要だというならそういう人たちが福島第一原発のまわりに移住しなよ。そして放射能を浴びながら生活すればいい』と。

こういう極論を議論するときって妥協点が見出せないときに限って行われる。

むなしいね・・・。

これじゃあ、議論する意味なんてないよ。

原発の核分裂反応は人工的に作ったウラン燃料が安定した状態になるための過程のひとつにすぎないから、自然エネルギーといえば自然エネルギーなんだけど、

そのときに発生する放射能が問題なんであって

それさえコントロールできるんであれば何の問題もない。

ただ、今のところ何かことが起きるとコントロールできない状態なんだからやめるべきだ、と思ってるだけなんだ。

地デジアンテナを日本中の建物に取り付けることに成功してるわけだから

太陽光パネル取付もできるだろう?

そんなものにお金をかけるのは嫌かい?

原発を推進したいほど「電力」が大事なのに・・・?

そんなにコストが心配なら、

西日本と東日本の周波数の違いも是正して、

各家庭で余った電力は電力会社に売れるようにして、

コスト削減に結びつくような努力を惜しみなくやってからにしてくれ。

まあ、

こういう原発事故が起きるとそういうコスト削減も全部吹っ飛んじゃうような気がするけどね。

とにかく自然の力を侮っちゃいけないよ。

そういう意味では、これから研究開発をどんどん進めたら、意外と「太陽光発電でもいけるじゃん」なんていうことにもなるかもしれないよ。

だって、根本的に太陽光のおかげでこの世界が成り立ってるわけだからねえ。

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コメント
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