この河川にはセイヨウカラシナはあまり多くありません。
土の肥えたところにまばらに生えているようです。
今、四国の海辺の景色なども、セイヨウカラシナに彩られています。黄色い花は個人的にあまり花壇に植えたくないけど、春の景色の中では、菜の花も水仙もタンポポも、なければ淋しくなります。
4/24の坂折棚田に菜の花の写真入れました。
この河川にはセイヨウカラシナはあまり多くありません。
土の肥えたところにまばらに生えているようです。
今、四国の海辺の景色なども、セイヨウカラシナに彩られています。黄色い花は個人的にあまり花壇に植えたくないけど、春の景色の中では、菜の花も水仙もタンポポも、なければ淋しくなります。
4/24の坂折棚田に菜の花の写真入れました。
今日は愛知県の安城市と碧南市境にある河川に行ってきました。
このあたりは、麦畑がたくさんあります。珍しいです。その間に、れんげ畑がありました。きれいです。春の平和ないい景色です。
昔は私の住んでいた名古屋郊外でもれんげ畑だらけだった。坂の上から見下ろすと一面のれんげ色できれいだった。どうしてれんげを作らなくなったのでしょう。化学肥料で済ませてしまうのか。
田んぼのあとには麦を作りたいけれど、麦をつくるとれんげが作れなくなってしまいます。やっぱりれんげも作りたい。坂折棚田にはれんげ畑がありません。
自宅の横にはヤマザクラが数本ある。今日はいっとき風が強く、見事な桜吹雪となった。本当に、吹雪のように、花びらが流れ降ってくる。
歌舞伎の桜吹雪は、ヤマザクラなんだろうか、それとも江戸時代ならもうソメイヨシノだったのか、と、窓の外の桜吹雪を見ながら、ふと考えた。
この時期の我が自宅は、一年で最も美しく、日々窓の外の景色に目が離せない。
まずコバノミツバツツジの濃桃色が家の周りをとりかこみ、それから白いボケやらレンギョウやらが咲き乱れ、次に白っぽい山桜と色の濃い花桃が「春色」コントラストを見せてくれる。いつのまにかキリシマツツジも満開になっていた。
その次は、コナラ、アベマキの新緑となる。そしてサツキ。
蚊やらブヨやらが出てくる前のこの時期は、心ゆくまで雑木林の日々が楽しめる。
一昨日坂折棚田に行ったら、サンコウチョウが鳴いていました。
日本の三鳴鳥といわれています。
サンコウチョウと、ホトトギスと、ミソサザイ。なるほど、異論ありません!(と言い切っていいのか!)
棚田の上の大きな杉の木から声が聞こえてきた。前に、坂折から山ひとつ越えた飯地でも、大きな杉に巣をかけていた。そのときはしばらく杉の木の下で見ていたけど、姿が確認できなかった。尾の長い姿、見てみたい。
サンコウチョウの声は「月日星、ホイホイホイ」と聞きなしされる。これがちょっと珍しく感じる。たとえば、平安文学などで、星が登場するところは、あまり記憶がない。月はたくさんあるけど。日本人はどのように星を愛でてきたのだろうか。七夕だって、中国から来たものがたりをあてはめたもので、本来の日本の民間では、お盆と水にまつわる行事だった。
山里文化研究所は、もうすぐサンコウチョウのさえずりを毎日聞けるようになるかもしれません。
インガルス一家の物語
アメリカのサウス・ダコダのプレーリーの草原にバッファローの輪と呼ばれる丸い窪地があって、そこに一面にスミレが咲いているのです。夜に散歩するとそこから香りがしてきて、主人公は「フェアリーリング」を想像する……。
西部開拓時代のアメリカには、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも続く草原があったということですが、今はその開拓のおかげで小麦畑とかトウモロコシ畑とかになっている。草原は残っているのでしょうか。その草原に生えていたのはメリケンカルカヤなんでしょうか。そう思ってみると、メリケンカルカヤもそれなりに美しく、日本に来て狭いスペース(たとえばほ場整備した田んぼの法面や、河川改修した河川の土手)で生きているのはさぞかし窮屈だろうと同情したりします。そういえばビデオになっているはずだから、今度観察してみよう。できればアメリカに行って確かめたい!
インガルス一家はミネソタ州のプラム・クリークというとことに住んでいたとき、河畔でプラムやらベリーやらをいっぱい採って食べてた……
その描写が本当においしそうで。