庭の草をとっていたら、ドクガにやられた。左手の二の腕がまっかっか。
水で洗い流したが、時すでに遅しだった。
そのときのTシャツを布団の上に置いてしまったので、あわてて布団をはたこうとして窓を開けたら、敷居の上からムカデが落ちてきた。
恐怖におののいてベッドの上に飛び乗り震えることしばし。
泣きっ面にムカデ、災難が続いて、山里に暮らすのは怖いと友人にぼやくと
山里文化研究所の称号を取り上げるといわれた。
ついでに森林インストラクターの称号も取り上げてくれるよう頼んだ。
じんましん状の腫れはすぐひいたので大したことはないと思っていたが、
ネットでいろいろ見てみると、必ず病院に行くようにと、ほとんどのサイトに書いてあった。仕方なく医者に行ったら、たいしたことはないようだったが、
「今年は多いのよね」とのこと。
ドクガの毒毛は何をやっても毒が抜けないらしい。恐ろしいものが世の中にはあるものだ。ドクガを食べる天敵もきっといるはずなのだが、どうなっているのだろう。顔を見てみたいものだ。その天敵がドクガを減らしてくれているともいえるが、その天敵がドクガを生かしているとも考えられる。つまり、その天敵の存在のためにドクガが存在するということである。
自然の中では生と死は同時に同じところに存在する。生の瞬間が死の瞬間であり、生が死を意味する。
そしてすべてのものには終わりがあり、終わりは始まりなのである。
ということを今日モギケンがブログに書いていた。
ニワケンもいいけどモギケンもいい。