山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

雨はお盆過ぎに

2014-08-27 | めぐる季節と自然

雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
というなつメロがある。
梅雨のような雨模様も、秋雨前線に変わるだろう。

菜種梅雨、恵那にはたけのこ梅雨という言葉もある。
今年のようなめったにないこの時期の雨に名前はないかもしれないけれど
呼ぶとしたらつくつくぼうし梅雨か、おみなえし梅雨か、みそはぎ梅雨か、ひよどりばな梅雨か。

天気は梅雨のようでも、夕暮れの光の色がめっきり秋っぽいし、
なにより虫が鳴いているから、やっぱり梅の時期の梅雨とは明らかに空気が違うのだ。

3日ほど前、スーパーできゅうり1本98円だったのに驚いた。この田舎では、夏の盛りには5本で100円のことだってある。24年ぐらい前、梅雨が明けずに秋雨になってしまって、米が不作で日本中大騒ぎだった。

広島の災害は目を覆うばかり。災害に遭われた方の気持ちを思うと、
胸がつぶれるとはこういうことかと思う。悲しい。そして、恐ろしい。

自然は長い年月に渡り変化を繰り返してきた。地も成長している(というのか風化し劣化しているというのか)。
山は常に崩れるもので、その土砂が扇状地を造り平野を造り洲を造り、今の地形ができている。
大地は常に変化の途上にある。

ということは分かっていても、その過程を見ることはまずない。

しかし今回、崩れた規模も大きく、まさに地形が変わるところを目の当たりにした。
誰も住んでいないなら、自然の力で地形が変わったということに過ぎないが
今はその新たにできたたくさんの土地を掘り返して行方不明の方を探すということになった。
気の遠くなるような作業だから、わずかな日数でできるものではないだろう。
さらに雨も降り続いている。

どうしてそんなところを開発し、造成し、住宅地を造ってしまったのだろう
という思いが消えない。土地の危険度に対して、住宅地の規模があまりに大きすぎる。
もうそこには住まないでほしい。

今日は日本海側の津波の危険について、大学の研究者たちが予測を発表し
対策(心構え)を説いていた。
学者というのはそういうことをもっとやらなければならない。
災害が起こってから解説したって遅い。
災害が起こると現場に駆けつけて熱心に調査・研究に励む。
その成果を市民のためにもっと還元する努力をすべきだ。
学会で身内が読むだけの論文でではなく、
分かりやすい言葉で市民や行政に説くべきである。

写真/軽井沢ピクチャレスクガーデンの向かいのおもちゃ博物館の前

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