寒くなってきた。明日の朝は雪になるらしい。
今日、長野県根羽村から飯田市に行く途中、前に降った雪が解けずにたくさん積もっていた。寒いところだから根雪になっている。すでに暗かったから白い雪がよく見えなくて残念だった。
日本にはそんな寒い地方がたくさんあることを思い出す。
後藤さんの無事を祈っている。なんとか助かってもらいたい。
後藤さん自身は、自分の身の危険もさることながら、自分のことで日本や世界中が大騒ぎになることがきっとすごく辛いだろうと思う。
日本ではなぜ「イスラム国」と呼び続けるのだろうか。と思っていた。
2日前に報道ステーションで、これからはアイスル(ISIL)またはアイシス(ISIS)と呼ぶことにする、という宣言とも受け取れるような説明があったけど、翌日には「イスラム国」に戻っていた。報道各社のガイドラインでもあるのだろうか。あるいは、日本はそれを国と認めようとしているのだろうか。日本でイスラム国と呼ばないのは安倍首相ぐらいだ。
私は、イスラム国なんて自称に過ぎない、イスラムでも国でもないのだから、周りがそう呼ぶべきではないと思っていた(→関連記事 別ブログ)。その日の報道ステーションで、背景を初めて聞いた。あのシリア、イラク、ヨルダンの間の不自然な直線の国境はアメリカとフランスによって勝手に引かれた、ということ。そういう反発があり、新しく自分たちの「国」を本気で作ろうとしている。その実態は、現実にシリアの多くの町を支配していることでかなり実体のある国らしきものになっており、ほかの過激派グループとは少し違ってきているということ。
過激派でなければ、そこに国をつくろうとしていることに私はシンパシーを持つだろう。暴力に訴えない方法で、それに賛同する人が幸せになれる方法でできないのだろうか。できるならやってるよ、と言われそうだが、じゃあ暴力に訴えればできるのかというと、そういうわけじゃないだろう。と思いたい。
イラン、イラク、トルコ国境でもクルド人たちが苦しんでいる。クルド人は1つの民族なのに、勝手に引かれた国境によって分断されただけでなく、それぞれの国で迫害されたり不当な、あるいは不利な扱いを受けている。
でも、ISILの人たちが一つのまとまった民族として民族独立運動をしているとか、ほかのイラク人やシリア人と違う民族なのかというと、それは違うので、少し比較にならない。
あの地帯で次々と過激派グループが生まれ紛争が起き多くの普通の人たちが命を落としている。
過激派をつぶすことも必要だが、なぜそういうことが起こるのかもまず反省しなければならない。
イラク人は闘争好きだと今日どこかの局で誰かが言っていた。
父に、そうなのかと聞くと、戦争が好きな人なんて誰もいないと言った。
父は昔イラクに5年位駐在していたことがある。
フセインが統治していたとき、確かにフセインは独裁的だったが、国はとても平和で穏やかだったそうだ。
写真/名古屋・栄
単にカメラのテストで撮ったのだけど、見てみると栄らしい雰囲気たっぷり
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