一時に二行動は困難となる
私は70才を超え、気にしていることがある。二つの事を一つの時にすることを計画すると、一つのことが抜けてしまうこと。
玄関横にマスクを置いている。出かける際にはそれを持つ。コロナ禍となり感染を防ぐには必要なこと、習慣となっている。一方、忘れ物をせずに出かけるには、1カ所に事前にまとめておくことが必要ともなっている。靴を履き、まとめたものを持って出かける、幾度となくこのまとめる行動に救われている。
先日、記録カード・集会所のキーをまとめて帽子に入れ、玄関脇においた。これにさらにマスクを持って出かければ良い。時間となりまとめたものを持って出かけた。3分程度歩いた頃、マスクを忘れたことに。「ア」と気付く。もう戻ると遅刻となる。マスクも帽子に入れておけば、忘れないのにと反省した。
階段下に置いたはずの携帯電話を階段の手すり越しに目で探しながら降りた。手すりには縦の墜落防止柵があった。探すことと墜落防止柵に手を置くこととの2つの行動となっていた。「ア痛い」縦柵の間に手を差し込んで手の骨を折る方向に曲げていた。危ない。2つを同時にせず、一所を懸命に集中して行うこと。このことを行う年齢になっているよう。注意をしようと、一所懸命を再認識した。
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