真田丸
先日最終回を迎えた「真田丸」。私にとって今年を楽しいものにさせてくれた。真田の豊臣や上杉、徳川との付合い方。そして兄弟が徳川と豊臣に別れても、いかにして正面からの激突を避けるかを工夫する。そのような策士の成功を見て、困難さが大きいほど切り抜け時には、より爽快さを感じた。
さて、豊臣と徳川の最後の戦い「大阪夏の陣」、前の戦いにおいて負けなかった豊臣方は真田幸村や後藤又兵衛らを中心にまとまりがあった。一方徳川方は、この1614年には、世代交代をし、数では大きく上回っていたが経験不足の集団も多かった。そんな徳川方の軍議の折の、本田正信の発言には家康は頷き、秀忠は感服の様子が窺えた。
「後藤又兵衛に調略の使いを送ろう」「受け入れなくてもよい。使いが戻って来たら、すぐに『受け入れた』との噂を流す。又兵衛は打ち消そうとして気持ちが逸る。それはまとまりの乱れを生む。自滅につながる。」
秀忠たちへの教え、も正信にはあったのだろう。どの程度の効果があったかは判らないが、又兵衛の軍は最初に崩れた。調略であり、謀略でもあった。負けない楔を打ったと言えそうだ。
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