平成の30年
今日「令和」の時代が始まった。この時代も平成と同じく戦争の無い時代であることを願いたい。
さて、私の平成時代を思い起こしてみると、40歳頃に平成は始まった。仕事に集中できている時期に当たるだろう。平成2年に入社したK君が仕事に慣れた3年後に結納、半年後に結婚した。初めての仲人役、お相手のお家にも訪問することとなる。
私は製造会社にお世話になっていたが、製造補助の部門から製造部門への移籍は幾年後だったろう。そこでは大きな真空ポンプを小さな物に変更できる。省エネと共に省スペースが可能となる。
49歳には転勤、そこで2000年問題と出会う。コンピュータがどんな誤動作をするか心配されたのだが、幸いにも工場待機場所で事無くゼロ時を越える。数年後に出向し、石川県七尾市へ。そこでは液化プロパンガス備蓄設備建設に。付近には戦国時代の一向一揆ゆかりのお寺などがあり、休みの日には次々訪ねて歩いた。
環境の変化で1年足らずで神奈川県と千葉県に工場のある会社へ。数年かけて、セメントの減水剤製造設備建設をする。住まいは船橋市。東京に近い場所であり、都会生活を経験することとなる。この時期に長男は就職し、勤務は東京駅の近くとなった。
58歳頃に希望の故郷に近い勤務地へ。高圧ガスの資格が生きて、広島勤務となる。検査業務が仕事。瀬戸内海沿いの中国3県を普通以上に知ることができた。65歳を前にして退職。
退職後には、介護の技術を知るため講習会へ。短期間だがアルバイトで経験もする。また長い転勤生活のため農地は荒れたが、少しでも利用できるようにと「農業入門塾」へ入る。平成30年には経験不足だが知識は豊かになった。
平成に入る3年前には両親とも他界していた。令和元年の今、私は69歳。こうして振り返ると、ひとくちに言えば、私にとっての平成時代は、子供が10歳から40歳へと大きくなる時期だった。
私は今、人生の定年年齢85歳までの、令和の時代をいつも前向きに過ごしたいと思っている。
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