島本町・文化財保護審議会諮問書(案)を作ってみました。
以下は、4つのうちの(その1)です。
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文化財の名称 : 水無瀬駒(その1)、「八十二才」銘・小将棋駒
1、素材・形状
黄楊(つげ)製、文字は黒漆書き。(堅木製の駒箱入り)
正面から見た駒形は、先が細く薄く、手前が幅広肉厚の端正な五角形。
2、種類・員数・法量
「小将棋」は現在の将棋と同じ。江戸時代以前は「少将棋」とも。
[玉将]2枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)一方の底に「八十二才」の銘。
[飛車]1枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「龍王」。
[角行]2枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「龍馬」。
[金将]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)。
[銀将]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[桂馬]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[香車]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[歩兵]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
合計 39枚。(本来1組40枚中、飛車1枚が欠落)
3、製作年代と作者
1595(文禄4)年。水無瀬兼成(安土桃山時代の公卿、権中納言)82歳の作。
4、(町)重要文化財推挙事由
1)作者と作年が特定できる伝世最古の将棋駒として歴史的価値が高い。
(注) 前項のとおり413年前、1595年の作。
これより古い駒は土中から発掘品。自給自足の粗末な雑木造りが多い。
高級駒の最適材として黄楊が用いられた初期の実証品でもある。
2)能筆を謳われた権中納言・水無瀬兼成の漆書きの優雅な筆跡は、黄楊製の端正な駒形
と相俟って、安土桃山時代の古筆として美術工芸的価値が高い。
(注) 水無瀬兼成の筆跡は「慶安手鑑」にあり。
「駒の銘は水無瀬家の筆を以て宝とす。免許なきもの弄すべからず・・」(長春随筆)。
3)当時上流社会で自家用、贈答にも持て囃された水無瀬駒は当地で製せられ、
本品は製造元たる水無瀬神宮(水無瀬家)にて代々伝えられた品である。
(注)「摂津、将棋駒」の記述あり(毛吹草)。
「駒は水無瀬を家とす・・」(萩原随筆)。
兼成の水無瀬駒は少なくとも735組が製せられ、譲渡先には天皇(後陽成)、
関白(秀次)、道休(足利義昭)、公卿衆、大名、高名な武将たちが
繰返し入手するなど、中でも徳川家康には53組が渡る(将棊馬日記)
4)先が細く薄く手前が肉厚幅広な駒形は、兼成が確立させ、以後の高級駒はこれに倣い、
今日の高級駒のルーツとして大きな影響を与えている。
(注) より古い発掘品は、薄っぺらなずん胴形。
江戸時代、駒形と文字を模した「水無瀬形」や「兼成卿写」の駒が造られたり、
現代の高級駒「水無瀬書」の原始となっている。
5)兼成作水無瀬駒は7組が現存し、内1組は国宝に指定されている。
(注)「国宝・初音胡蝶蒔絵調度(徳川美術館蔵)にある小将棋駒」。
5、兼成作水無瀬駒は上記のほか、
・将棋所大橋家伝来「黄楊製、伝・秀次愛用の小将棋駒」(名人・木村家蔵)
・加藤清正ゆかり本妙寺寺宝「黄楊製、中将棋駒」(熊本県・本妙寺蔵)
・足利義昭発注品「象牙製、八十五才銘の小将棋駒」(福井県・個人蔵)
などが現存する。
[ 記述者 熊澤良尊 ]
以下は、4つのうちの(その1)です。
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文化財の名称 : 水無瀬駒(その1)、「八十二才」銘・小将棋駒
1、素材・形状
黄楊(つげ)製、文字は黒漆書き。(堅木製の駒箱入り)
正面から見た駒形は、先が細く薄く、手前が幅広肉厚の端正な五角形。
2、種類・員数・法量
「小将棋」は現在の将棋と同じ。江戸時代以前は「少将棋」とも。
[玉将]2枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)一方の底に「八十二才」の銘。
[飛車]1枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「龍王」。
[角行]2枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「龍馬」。
[金将]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)。
[銀将]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[桂馬]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[香車]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
[歩兵]4枚、(全高 、裾巾 、底厚 、天厚 ミリ)裏は「金」。
合計 39枚。(本来1組40枚中、飛車1枚が欠落)
3、製作年代と作者
1595(文禄4)年。水無瀬兼成(安土桃山時代の公卿、権中納言)82歳の作。
4、(町)重要文化財推挙事由
1)作者と作年が特定できる伝世最古の将棋駒として歴史的価値が高い。
(注) 前項のとおり413年前、1595年の作。
これより古い駒は土中から発掘品。自給自足の粗末な雑木造りが多い。
高級駒の最適材として黄楊が用いられた初期の実証品でもある。
2)能筆を謳われた権中納言・水無瀬兼成の漆書きの優雅な筆跡は、黄楊製の端正な駒形
と相俟って、安土桃山時代の古筆として美術工芸的価値が高い。
(注) 水無瀬兼成の筆跡は「慶安手鑑」にあり。
「駒の銘は水無瀬家の筆を以て宝とす。免許なきもの弄すべからず・・」(長春随筆)。
3)当時上流社会で自家用、贈答にも持て囃された水無瀬駒は当地で製せられ、
本品は製造元たる水無瀬神宮(水無瀬家)にて代々伝えられた品である。
(注)「摂津、将棋駒」の記述あり(毛吹草)。
「駒は水無瀬を家とす・・」(萩原随筆)。
兼成の水無瀬駒は少なくとも735組が製せられ、譲渡先には天皇(後陽成)、
関白(秀次)、道休(足利義昭)、公卿衆、大名、高名な武将たちが
繰返し入手するなど、中でも徳川家康には53組が渡る(将棊馬日記)
4)先が細く薄く手前が肉厚幅広な駒形は、兼成が確立させ、以後の高級駒はこれに倣い、
今日の高級駒のルーツとして大きな影響を与えている。
(注) より古い発掘品は、薄っぺらなずん胴形。
江戸時代、駒形と文字を模した「水無瀬形」や「兼成卿写」の駒が造られたり、
現代の高級駒「水無瀬書」の原始となっている。
5)兼成作水無瀬駒は7組が現存し、内1組は国宝に指定されている。
(注)「国宝・初音胡蝶蒔絵調度(徳川美術館蔵)にある小将棋駒」。
5、兼成作水無瀬駒は上記のほか、
・将棋所大橋家伝来「黄楊製、伝・秀次愛用の小将棋駒」(名人・木村家蔵)
・加藤清正ゆかり本妙寺寺宝「黄楊製、中将棋駒」(熊本県・本妙寺蔵)
・足利義昭発注品「象牙製、八十五才銘の小将棋駒」(福井県・個人蔵)
などが現存する。
[ 記述者 熊澤良尊 ]
駒の写真集
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