7月16日(火)、曇りがち。
今日の映像は、400年ほど前の「短冊」2点。
作者は分かりますね。左が水無瀬兼成さん。右が孫の兼俊さんです。
昨日、お見えになった島本町の関係者お一人がお持ちの短冊です。許諾を得ましたので、ご披露いたします。
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和歌を詠んだ短冊でしょうか。あつかましいお願いですが、何と書いてあるのか解説してください。
兼成さん、「住吉の・・」。
兼俊さん、「降る雨に・・」。
画像から、短冊は同種の料紙のようです。名前の配置も似ています。同時期に歌仙を巻いて、後に短冊仕様にしたとも考えられます。読めたらいいのにと思います。
全部、読めると筆者のこの時の気持ちも分かるかもしれませんね。
墨流しの料紙は、よく似ていますね。
兼俊さん「寄雨恋 ふる雨にいつやぬれてんいつとても そでの涙のたえまなければ」
兼成さん「忘恋 すみよしの岸にはあらでこ?ひ?人の? われをわすれて○はなに?かも」
素人読みなので間違いご指摘下さい。
仰っていたように、兼俊公の駒文字に見られる「ある種の硬さ」が無くて、短冊の方は、実に伸びやかな筆運びですね。先生のお話を聞いて納得しました。
以下、翻刻と意味です。
■忘恋 住吉の岸にはあらでうき人の われをわするる草はなにそも 兼成
(住吉には恋や憂いを忘れる「忘れ草」が生えていると云うが)住吉の岸には居ない憂き人が、自分を忘れることのできる草ははて何であるというのか)
■寄雨恋 ふる雨にいざやぬれてんいつとても そでのそでの涙のたえ間なければ 兼俊
(降る雨にさぁ濡れてしまいましょう。いつだって袖は絶え間なくながれる涙で濡れているのですから)
祭神の後鳥羽院は歌聖でありましたので、水無瀬宮では折に触れたくさんの和歌が詠まれ奉納されています。
説明会では、その案内をしておりませんでした。
そそのため、これをじっくりご覧になっている方は少なかったようです。
申し訳ありません。