2月6日(日)、曇り。
相変わらずの冬空。正午の気温は5℃。
北の地は雪とか。
ところで、今朝、夜明け前にふと目を覚ますと、点けっぱなしのテレビから、柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らの名前。
オヤオヤと思って、耳を澄ますと、多々納さんという鳥取県の年配陶工の話でした。
昭和25年ごろ、彼ら民芸運動を標榜する彼らは、啓蒙のため、ここ島根県にある共同グループの「出西窯」をしばしば訪れたという。
ご承知の通り、民芸運動というのは、華美な工芸でなく、実用の日常雑器に潜む「用の美」を讃えた運動なのだが、当時、金になる茶道具づくりにこだわっていた鳥取県(出雲の西?)「出西窯」の多くの陶工たちに対して、彼らは、彼らの一員であった多々納さんが主張する「湯飲み、日常雑器」への転換しようとする考え方に力を貸してくれたという。
柳たちが主張した「工芸の用の美」は、主に焼き物についてだったかもしれませんが、そのほかの工芸についても言えることだと思うのです。
華美な装飾は避ける。
使いやすく良い使い方ができる姿形に収斂する。
同じようなモノを数多く作り続けることで手が定まる。
無心で作ることで無駄のない自然な形になる。
これらは「将棋の駒にも当てはまることではないでしょうか」。
そう思うのですが、皆さま、どう思われますか。
若し、柳さん、河井さん、浜田さんが生きておられたら、その人たちと話をし、ご意見を聞きたいと思う次第です。