虞美人・楊貴妃・王昭君・西施、中国四大美人である。女性の美貌は君子の魂を骨抜きにし、ときには国を滅ぼす事もある。女性とは究極の美であり、山紫水明、花鳥風月の美しさもこれに適うものではない。「この世に女性がいなかったら私は画家にはならなかった」と言ったのはルノアール。今も昔も多くの芸術家や文人たちが、その神秘さと魔性の虜になっている。 ところで、僕の手帳の間には一枚の美人の写真が収まっている。27・8歳の美しい女性・・・・33歳で亡くなった母の写真である。いつも手帳の間に入っている。この写真の女性を何処かの町で見かけたら、僕はきっと後を付け回すだろう。彼女はそれが息子とは知る由もないから、ストーカーとして通報されてしまうかも・・・・。
Part 2 炬燵の上で6歳のナオちゃんが踊る。ベリーダンスのように腰をくねらせて踊る。それをじっと見つめていた6歳のサトシ、突然両手を広げて叫んだ。「ナオちゃん 結婚したい!」 さあこれが肝心である。キレイとかステキとかスキとか言うのではなく結婚したい。つまり抱きしめたい、自分のものにしたいという所有欲を、6歳の男の子に抱かせてしまう女の子の凄さである。これが神から授けられた「美」の芽生えである。
Part 3 小学2年生の時、クラスの子に初恋した。成績一番のやせっぽち。でも話をしたことはない。眼が合っただけで恥ずかしく、僕のプラトニックであった。ところが僕と並んで座っているさっちゃんのお尻が気になって仕方ない。そっと手を伸ばすとすぐ先生に言いつけられる。それでも挫けずに手を伸ばす。ある日 「さっちゃん、構わないから触らせちゃいな、その内やっちゃんも飽きてくるから」 と先生の粋な計らい。以来クラス替えになるまでずっとさっちゃんのお尻を堪能することができた。何かの都合で右手が空かないときなどは、さっちゃんの方からそっとお尻を寄せてくることもあった。もんぺを透して手のひらに残るふくよかなぬくもり。それらの感触が今、ルノアールの裸婦たちに向けられている。