詩の仲間が、不意に当館を訪ねて来た。
12名ほどであるが中央の詩人もいて
久しぶりの再会に感激した。
腰痛の治療から戻ってきて在宅していたのでよかった。
解説にもきちんと耳を傾けてくれて
1号館、2号館ともゆっくり鑑賞してくれた。
手前味噌になるかもしれないが
叔父史郎も亦、詩人の魂をもった画家であった。
その作品の土壌となっている哲学、宗教、音楽、文学などを
彼らは強く感じ取ってくれたようだ。
どんなに描いても売れない時代の
もがき苦しんでいる作品(2号館に展示)には
ことさら心を掴まれたようで
長い時間、その前から離れようとしなかった。
ところで、詩人の世界でもご多分に漏れず
高齢化を憂える声を耳にするが、ぼくは心配していない。
むしろ年寄りたちが元気になったと歓ぶべきである。
まだまだ美しいものには心ときめき、醜いものには心いため、
理不尽に対しては強い憤りを覚え、恋もするし嫉妬もする。
その魂と詩情は今も瑞々しく健在で
年寄りだからと自分で自分の感性を封印してはいけない。
館を出てからは屋敷内の猫が気になるようで
石塀の上でじっとしている白い猫を指差し
あれは塑像かと訊ねるひともいて-----------
柿右衛門いまだ至らず柿の色