ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

一杯の中華そば

2006-05-22 23:40:46 | 日記・エッセイ・コラム

ラーメンを食べに二つ隣り町まで車を飛ばした。ぼくが戴くのは醤油ラーメンだけ。ブームでいろいろ手の込んだものがあるが、そういうのは戴かない。そもそもラーメンとは、澄まし汁のようなスープが信条で、トンコツや味噌などはもっての外である。このごろ残念なのは、チャーシューが煮豚になってしまったことだ。チャーシューと呼ぶからには焼豚でなければならない。表面が赤く色のついたあの香ばしいチャーシューが懐かしい。もう随分昔の事になるが、自由が丘駅前の「五十番」のラーメンが忘れられない。地階の狭い店だがあのスープと焼豚は最高! 向かい合って食べた女も、今はすっかりおばあちゃん。


針の筵

2006-05-22 11:27:30 | 日記・エッセイ・コラム

月曜は鍼灸治療の日、頚椎から足の先まで約40本の針を打たれる。治療時間は1時間。身動きできず、まさに針のむしろ。もう5年も通っているが、針に慣れるということはない。人体の経絡や神経は網のように繋がっていて、そこに無数のツボがある。でん部に打った針が腎臓を活性化させ、手首に打った針が頚椎のコリをほぐすというように、どこかを刺激すればどこかが動きだし、総てが連動している。 自然界の仕組みも亦、これと同じ。誰かが得をすれば誰かが損をする。捨てたゴミは鮪になって食卓に上り、廻りめぐってゴミを食べることになる。 「関係ねえ!」と、若者たちは叫ぶが、誰かが死ねば誰かが悲しみ、関係ないものなんてこの世には何一つないのだ。


雨上がる

2006-05-21 12:18:50 | 日記・エッセイ・コラム

雨上がりの五月晴れ、みどりの風が肺の奥まで満ちてくる。 母の死んだ日もこんなだったような気がする。叔母たちの泣く声よりも風の音しか聞こえなかった。数日前には足の裏を踏んでやった。そんな殊勝なことは初めて・・・・12歳であった。それから50年、今は妻の足裏を踏んでやっている。ブロック注射の後遺症で左足に痺れが残ってしまった。鍼灸でやわらげているが快復は難しい。

今日は57回目の全国植樹祭。伐る人・植える人さまざまであるが、成人式には各自、必ず一本の木を植えることを国民の義務にしてはどうだろうか。


理解

2006-05-20 19:04:25 | 日記・エッセイ・コラム

米山奨学生のカウンセラーを引き受けることになった。王さんという名の中国からの29歳、博士課程の二年生である。今日初めて面談したが、実に性格の良い青年である。これから2年間の付き合いになるが、良い関係が築けそうな気がする。二国間の緊張は、残念ながら解決策を見出せないでいるが、歴史の途中のほんの一時。私たち一人一人は冷静である事がもっとも肝要で、理解と信頼を深めるため常に寛大である事が望まれる。そもそも言葉を発しないで黙って並んでいたら、どっちが中国人で、どっちが日本人か判らない。それほど私たちは似通っている。国家間の駆け引きや思惑に影響される事なく、私たちは私たちの人間関係を深めていければいいと思う。


烏賊釣り火

2006-05-19 16:19:58 | 日記・エッセイ・コラム

朝から小ぬか雨の降る肌寒い日、山陰の従姉より真烏賊が届く。近所三軒に分けてもまだ余りある。先ずは烏賊そうめんにして戴く。次いでニンニクとトマトソースを使ってイタリアン風に戴く。それでも余っているので冷凍にする。  かつて竹野浜沖の烏賊釣り火を見たことがある。 山陰の静かな晩、遥か遠くの沖で無数の火がちろちろ揺れていて、自分が立っているこの暗い浜よりも、向こうの方がずっと幸せな所のように思えた。

    この世ともあの世の火とも烏賊釣り火