ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

わが糞闘記/part3

2007-05-05 11:10:50 | 日記・エッセイ・コラム

  ○月○日

     『感じますかぁ』

夜になると、役者のような名前の外科医が
白衣の胸ポケットに筆を一本立てて
暗い病室を廻る。

絵を描くのではない。
手術したばかりの患者の足の裏や脛を
こちょこちょくすぐるのだ。
そして・・・・〈 感じますかぁ 〉

なにしろ元陸軍病院のこと
術後の検査も原始的。
もちろんここにはCTもMRIもない。
感じなかったら一大事である。
センセは手術したその日は自宅に戻らず
病院に泊まる。
ぼくのひどい肩こりの為に発泡スチロールを削って
不思議な枕を作ってくれたこともある。
まるで50年前にタイムスリップしたような気分。

今の医療状況を鑑みても
新しいことが総て正しいとは限らない。
むかし風の方法が理にかなっているということもあるから
あながち筆を笑う事はできない。

コツコツ、今夜もセンセが廻ってきたが
ぼくのところは素通り、お隣りに入っていった。
そこは膝関節を手術したばかりの妙齢のご婦人。
例の筆を使って
こちょこちょ こちょこちょ
 〈 感じますかぁ 〉
    〈 ・・・・あっ!・・・
ぃ・・・・ 〉

ぼくは闇の中で聞き耳を立て
はやくベッドから起きられるようになって
センセの手伝いがしたいと考えている。

      つづく


わが糞闘記/part2

2007-05-04 12:16:45 | 日記・エッセイ・コラム

○月○日 
      『清拭』

微笑みの真意を正確につかむのは難しい。

ドアのところで振りかえる婦長さんの微笑み、
そっと眠剤をくれる秋田系美人の微笑み、
足を洗ってくれるグラマラスな準看護婦の微笑み
どれもうるわしく意味ありそうで
ぼくは直視できないのであります。

朝の光りと彼女たちの微笑みを一身に浴びて
ベッドの上で丸裸。
あっちへごろり、こっちへごろり
彼女たちの意のままに転がされ
あっち拭かれ、こっち拭かれ
哀れ、手で隠すこともままならない。
・・・・無防備の何と情けない姿よ。

危ない場所のすぐ近くを拭かれながら
身をこわばらせながら
ふと、あることに思い当たった。

恥ずかしさと嬉しさは紙一重、
その感情の源は同じである と。
つまり
初めての夜がとても恥ずかしいのは
実はとても嬉しいからなのだ と。

     つづく


わが糞闘記

2007-05-03 12:57:43 | 日記・エッセイ・コラム

書棚を整理していて古い日記を見つけた。
東北のとある国立病院での闘病日誌である。
其の中から幾つかを徐々に紹介して参ります。
しかし 「食べる・出す・眠る」という、
生きる事の本質を記したもので
けして美しい表現はありません。
で、なるべく食事の前には読まないようお願いします。

○月○日
役者のような名前のドクターが
ぼくの股関節を入れ替えた。
チタン合金の丈夫な人工骨。

ずっと後の話だが、
このことをある女性に話したところ
その人はぼくの下半身をまじまじと見ながら
何やら意味ありげに笑うのです・・・・。
どうやらその人は股関節股間と勘ちがいしたらしい。
確かにまぎらわしいが、
そんな物が股間に入っていたらどうだろうか・・・
忙しくてたいへんなことになる。

さて病院の話に戻ります。
ここは元の陸軍病院の址で
今もって施設は古色蒼然としている。
医師も看護婦も穏やかで前時代的な顔をしている。
節約のため病棟内の照明を半分消してある。
だから昼も夜もとても暗い。
平成の世にこれほどの病院が残っていたとは・・・。
外科医の評判に惹かれ
病院のことには考えが及ばなかった。

消燈後、廊下を歩き回る松葉杖の音に
傷痍軍人の亡霊を感じてしまうほどである。

時代から取り残されたようなこの国立病院で
これから3ヶ月間の闘病生活がはじまる。

            
つづく


守るべきもの

2007-05-02 15:18:20 | 日記・エッセイ・コラム

明日、3日は憲法記念日。

憲法改正について直接国民に問う法案が
いづれ可決されるだろう。

「集団的自衛権」が改正の中心になるが
日本のイージス艦の上を飛び越えて
米国の艦隊を攻撃しているミサイルを
〈憲法に禁じられているから〉という理由で
只、黙って見上げていたら
その結果どうなるだろうか・・・。

60年間の平和が憲法によって守られてきたと言うが
それは少し間違ってはいないだろうか。
実は憲法に守られてきたのではなく
国民が憲法を守ってきたことの結果である。
戦争を憎み、平和を望む国民の強い意思の
お蔭なのである。

思い切って解りやすく改正してしまうか
あるいは現行のまま、解釈を拡大させることに
了承・確認するか・・・
しかしそれも何処までが拡大解釈として認められるか
問題もある。

ともあれ幾つかの方法はあるかと思うが
かたくなに憲法の条文を守る事に汲々としていたら
やがては、何もかも失うことにもなりかねない。

   
 憲法記念日に寄せて