ちょっと不安だったのだが、東井掘親水緑道、鹿骨親水緑道、上下之割用水跡を抜けて水元公園に出る事を目論みました。
やはりランドマークがないので、途中で何度も道筋を見失ってしまいました。
ふとこんな交差点にさしかかると思わず自転車を停めて眺めてしまう。
これこそ川の名残ではないかと思うのですが、どうなんでしょう。
こういうのは鋭角交差点とでも云うのかな。
気をつけてみると、同じようなさきっちょと云う感じの場所が沢山ある。
こんな感じのことろも
京成本線と交差した行き止まりには小岩用水の碑がありました。
葛西区による説明書きは以下の通りでした。
小岩用水の沿革
小岩用水は、小合溜井(現在の水元公園)を用水源とする上下之割用水の主要分水路です。江戸時代中期の享保14年(1729)、8代将軍徳川吉宗の幕府勘定方であった井沢弥惣兵衛は利根川の旧河道を締め切って小合溜井を設け、中川・上下之割用水を整備しました。
上下之割用水は東葛西領50余村を潤す灌漑用水で、岩槻橋を経て大堰枠で小岩用水を、新宿村と曲金村境付近で東井掘、さらに細田村と奥戸新田付近で西井掘と中井堀を分流しています。
小岩用水は、下之割と呼ばれた現在の江戸川区方面への主要水路でした。
当時の葛西領は上下之割用水と西の葛西用水の2大用水の本・支流が縦横無尽に走る水田地帯で、葛西3万石の米どころとなっていました。また畑地では小松菜などの野菜が作られ、大消費地江戸を支える農村地帯として重要な役割を担っていました。
近代に入って都市化の進行とともにこれらの用水路は次第にその役割を減じ、戦後は工場や家庭からの排水が流れ込む排水路となっていきました。昭和39年(1964)4月、葛西区へ移管され、その後下水道の完備とともに緑地として整備されて現在に至っています。
平成8年2月 葛西区
やや迷走気味でしたが、どうにか辿り着きました。
思っていたよりも寒くもなく。楽しい旅でした。
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本日は52㎞。