「魔法の時間(MAGIC TIME)」W.P. キンセラ(W.P. Kinsella)
サリンジャー大好きだった僕にとって「シューレス・ジョー」の衝撃は凄かった。友達に薦めて回ったっけ。
映画「フィールド・オブ・ドリームス」を観にいった時に、あの本の受け止め方って人によって大きく乖離しているのではないだろうかと思った。
だって作家がサリンジャーじゃないじゃないか。隠遁生活をしているサリンジャーを無理やりアイオワへ引きずり出して行くシチュエーションがすっぽり抜けているじゃないか。
本の主人公が作者と同名のW.P. キンセラであり、W.P. キンセラはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の登場人物とも同名であるという流れになってないじゃないか。
物語のこんなコアな部分を省いてまでどうして映画化する必要があったのだろうか。観ながら僕はそう思った。
「一体何がしたいんだ。」
しかし映画が終わりに近づくと、嗚咽を超えて号泣する女性。
「え?」
この映画で号泣するとは。いやいや、映画の作り手から見れば彼女の感動こそ狙い通りであった訳だ。人を惹きつけ感動させる要素。あの物語にはいろいろな要素があって僕には良くわからない何かもあると云う事だ。その要素の組み合わせが正に何かのマジックであったのではないか。
その後、鳴かず飛ばずのW.P. キンセラ。久々の一冊「魔法の時間」。
メジャーリーグを目指してきた主人公のマイク・フールはカレッジリーグの最終年度の成績を崩して失意にあった。そんな彼の元に舞い込んだオファーはアイダホにあると云うセミ・プロリーグ。
その名も「コーンベルト・リーグ」そんなの誰も聞いたことがない。しかし、働かない事には喰っていけない。マイクはこの仕事を請ける事にしてアイオワの小さな街グランドマウンドに旅立つ。
町から町へとまわり、地元の野球チームと賭け野球をして回る男ロジャー・キャッシュの「距離の問題」はなかなか良かった。
しかし、「シューレス・ジョー」の持つマジックは残念ながら生まれなかった。あのマジックってキンセラも本人もどうして生まれたかわかってないのではないだろうか。
物語は幸福な着地をみせてくれるのだが、僕の心は哀しく泣いていた。