五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

二十四の瞳

2005年08月03日 | 日々のつれづれに
私が初めてこの「二十四の瞳」を読んだのはいつのことだったか、はっきりとは思い出せません。旺文社文庫の出始めでしたから、たぶん中学生になるかならないかのときだろうなあと思います。

作者のバックグラウンドや、反戦というこの小説の主題がわかるのはもう少し後のことで、初めてこの作品に触れたときの感想は、戦争も含めてさまざまな運命に翻弄されたおなご先生と12人の子供たちの「強く生きて生きたい」という気持ちがぐっと伝わってきたことでした。

泣かせるシーンがたくさんあるこの作品ですが、何といってもラストの磯吉(ソンキ)が、昔みんなで撮影した写真の一人ひとりを指差しながら名前を読んでいくシーンでしょう。それは少しずつずれているのですが、おなご先生が「そうよそうよ」と言いながらうなずいていく場面は、涙を誘わずにはいられないところです。

この作品はずっと前に高峰秀子さんの主演で映画化されていますが、昨日(8月2日)TBS系の番組で、黒木瞳さん主演でこの「二十四の瞳」を放送していたので、ついつい最後まで見てしまいました。
驚いたのは、成人式を迎えた娘はこの作品をまったく知らなかったことで、あらためてこういう作品を次の世代に伝えていくことも、私たち大人の重大な使命だなと思いました。

肝心の番組の内容でしたが、ほぼ原作に忠実に作られていたと思いました。放送の前に、娘に大体のあらすじを言って聞かせたのですが、そのとおりの展開だったので少し安心。娘も私が三十年以上も前の作品に出てくる台詞を覚えていることに感心していました、えへん(読んだ回数がハンパじゃないよ)。

肺病を病んで海辺の掘っ立て小屋に寝ている琴ヤンをおなご先生が訪ねていったときの会話や、まだ実の青い柿を食べて亡くなったわが子を思いながら、おなご先生がまな板に包丁を突き立てるシーンなども印象に残りました。

残念だったのは、ストーリーを追うのに忙しくて、もう30分くらい長ければ良かったのになあと思ったことと、最後に歌うのは「荒城の月」出会って欲しかったなぁということくらいでしょうか。

うーん、思わず長く書いてしまった。
コメント
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