1976年から1987年までの12年間、ル・マン24時間レースではポルシェが実に10勝をあげるという圧倒的な強さを誇りました。
ポルシェ以外の勝者は1978年のルノーアルピーヌ、そして1980年のロンドーだけなのです。
ロンドー(RONDEAU、ロンデューあるいはランドーとも表記されるようですが、本ブログでは一般的なロンドーで表します)は、車の製作者でもありドライバーでもあったジャン・ロンドーの名前を取ったもの。
1980年、ジャン=ピエール・ジョッソーと組んでカーナンバー16のロンドーM379Bをドライブしたジャン・ロンドーは、ポルシェやランチアなどのワークス勢との戦いに勝利して「自らの名を冠した自動車でル・マン24時間レースを制した初の人物」としての栄誉を受けました。
そして現在に至るまで「唯一の人」なのです。
ジャン・ロンドーは1974年のル・マンにポルシェ908/2で初参戦して以来7年目での快挙でした。当時34歳。

ロンドーM379Bのスタイルはずんぐりむっくりとしていてお世辞にもカッコイイとは言えませんが、優勝マシンという目で見るとなかなか味のあるデザインと思えてくるから不思議です。
モデルはイクソ製、1/43スケール。
この年出走したロンドーM379Bは全部で3台。
エースカーともいうべき15号車(ドライバーのひとりは先日ご紹介したアンリ・ペスカロロです)は予選1位となるも決勝レースでは残念ながらリタイヤしてしまい、16号車をドライブしたロンドー組が混戦を制して優勝し、そして残る17号車は総合3位に入りました。
17号車はBelgaというスポンサーのカラーリングで、他の2車と比べてとても派手な色彩です。
この17号車はオークションでもなかなか出品されることがなく私にとっては「珍品」と呼んでもいいほどのミニカーでした。
モデルはカルツォ製、1/43スケール。

翌1981年、ロンドーはル・マンに5台のレースカーを持ち込みます。
そして2台のM379Cが総合2位と3位に入賞しました(優勝はポルシェ936/81)。
下の写真は、そのうちの3位に入賞したカーナンバー7のM379C。
モデルはイクソ製、1/43スケール。

ジャン・ロンドー自身はカーナンバー24のM379Cをドライブしましたが途中リタイヤしています。
その後ロンドーはM382、M482などのレースカーを作ってル・マンに参戦しますが目だった成績を残すことなく、おりからのグループCクラスを席巻したポルシェ956の勢いの中に飲み込まれてしまいました。
1984年、ポルシェ956を自らドライブし総合2位に入賞したのがドライバーとしての最後のル・マン表彰台となりました。
1985年、プジョーエンジンを搭載したWM P83Bで参戦し17位。
その半年後の12月27日に列車事故で不慮の死を遂げました。享年39歳。
一介のプライベーターとして大企業のワークスチームに立ち向かったジャン・ロンドー。
ル・マンの歴史に残るレースカー製作者兼ドライバーです。
ポルシェ以外の勝者は1978年のルノーアルピーヌ、そして1980年のロンドーだけなのです。
ロンドー(RONDEAU、ロンデューあるいはランドーとも表記されるようですが、本ブログでは一般的なロンドーで表します)は、車の製作者でもありドライバーでもあったジャン・ロンドーの名前を取ったもの。
1980年、ジャン=ピエール・ジョッソーと組んでカーナンバー16のロンドーM379Bをドライブしたジャン・ロンドーは、ポルシェやランチアなどのワークス勢との戦いに勝利して「自らの名を冠した自動車でル・マン24時間レースを制した初の人物」としての栄誉を受けました。
そして現在に至るまで「唯一の人」なのです。
ジャン・ロンドーは1974年のル・マンにポルシェ908/2で初参戦して以来7年目での快挙でした。当時34歳。

ロンドーM379Bのスタイルはずんぐりむっくりとしていてお世辞にもカッコイイとは言えませんが、優勝マシンという目で見るとなかなか味のあるデザインと思えてくるから不思議です。
モデルはイクソ製、1/43スケール。
この年出走したロンドーM379Bは全部で3台。
エースカーともいうべき15号車(ドライバーのひとりは先日ご紹介したアンリ・ペスカロロです)は予選1位となるも決勝レースでは残念ながらリタイヤしてしまい、16号車をドライブしたロンドー組が混戦を制して優勝し、そして残る17号車は総合3位に入りました。
17号車はBelgaというスポンサーのカラーリングで、他の2車と比べてとても派手な色彩です。
この17号車はオークションでもなかなか出品されることがなく私にとっては「珍品」と呼んでもいいほどのミニカーでした。
モデルはカルツォ製、1/43スケール。

翌1981年、ロンドーはル・マンに5台のレースカーを持ち込みます。
そして2台のM379Cが総合2位と3位に入賞しました(優勝はポルシェ936/81)。
下の写真は、そのうちの3位に入賞したカーナンバー7のM379C。
モデルはイクソ製、1/43スケール。

ジャン・ロンドー自身はカーナンバー24のM379Cをドライブしましたが途中リタイヤしています。
その後ロンドーはM382、M482などのレースカーを作ってル・マンに参戦しますが目だった成績を残すことなく、おりからのグループCクラスを席巻したポルシェ956の勢いの中に飲み込まれてしまいました。
1984年、ポルシェ956を自らドライブし総合2位に入賞したのがドライバーとしての最後のル・マン表彰台となりました。
1985年、プジョーエンジンを搭載したWM P83Bで参戦し17位。
その半年後の12月27日に列車事故で不慮の死を遂げました。享年39歳。
一介のプライベーターとして大企業のワークスチームに立ち向かったジャン・ロンドー。
ル・マンの歴史に残るレースカー製作者兼ドライバーです。