今週は細かな点について指導してもらえる機会があり、
いささか混乱を起こしている模様。いわゆる消化不良ぎみ?
放松については
絶望的とも思えるような体験もしたし。
でも人体は同じ仕組みのはずだから
少しでも近づく可能性はまだあるだろうと慰めてみたり。
存在感らしき感触もしないというか
異質な感じがしないというか、吸着してしまうような、
なんとも表現しづらい感触。
身体を運ぶイメージも
またまた修正することになってきている。
開合のイメージが
骨盤と上体とが一体となっているときは
よいのだけど、
体重移動とひねりの協調がうまくいかないと
途端にバラバラになってしまう。
不調和の原因がその都度違うものだから
ついつい全体を俯瞰するような意識が希薄になってきて
だんだん訳が分からなくなってしまう。
しかし混乱している自分も自分ではあることに違いなく、
これはこれとしてまるごと受け止めるようにする。
つまり、ここでどんなにダメ出しをしてみたところで
前には進めないのだとハッキリと覚ることだろう。
優先順位をつけるとすれば、
まずはどうすれば調和状態が見えてくるのかを
ひたすら探っていくことなんだろうなあ。
いささか混乱を起こしている模様。いわゆる消化不良ぎみ?
放松については
絶望的とも思えるような体験もしたし。
でも人体は同じ仕組みのはずだから
少しでも近づく可能性はまだあるだろうと慰めてみたり。
存在感らしき感触もしないというか
異質な感じがしないというか、吸着してしまうような、
なんとも表現しづらい感触。
身体を運ぶイメージも
またまた修正することになってきている。
開合のイメージが
骨盤と上体とが一体となっているときは
よいのだけど、
体重移動とひねりの協調がうまくいかないと
途端にバラバラになってしまう。
不調和の原因がその都度違うものだから
ついつい全体を俯瞰するような意識が希薄になってきて
だんだん訳が分からなくなってしまう。
しかし混乱している自分も自分ではあることに違いなく、
これはこれとしてまるごと受け止めるようにする。
つまり、ここでどんなにダメ出しをしてみたところで
前には進めないのだとハッキリと覚ることだろう。
優先順位をつけるとすれば、
まずはどうすれば調和状態が見えてくるのかを
ひたすら探っていくことなんだろうなあ。