小学校3年のときに担任となった
K先生は、小学生からみれば
自分のおじいちゃんと変わらないくらいの
ご高齢の先生でした。
この先生と巡り会ったことで母は
はじめて救われたらしいです。
当時から私は個性的だったものですから、
入学して以来2年間担任した先生からは
個人面談でもかなり言われたらしいです。
K先生とのはじめての面談のときに、
母は過去2年間の経験からお詫びモードでいました。
ところが、意外にもK先生の口からは
「おもしろい子だ。いいねえ」という、
母にしてみれば信じられない言葉が飛び出したそうです。
2年生までは問題児視されていたんです。
どんな問題児ぶりかというと、たとえば算数。
時計の問題。
イラストの時計がさしている時間を答える問題があります。
答えの欄は2つあって、
「○時○分すぎ」と「○時○分まえ」となっています。
私はこのうちの後者、「○時○分まえ」が
ほとんどといっていいくらいに正解できないのです。
要するにつまづきの原因は
時間に対する概念と言葉の概念の混同なんです。
たとえば正解が「1時50分すぎ」だとすると、
同じ時間を言い換えるには「2時10分まえ」となります。
当時の私は1時50分すぎは、1時から50分過ぎた時間。
だから時計の針は1時から前に向かって進んでいく。
ところが2時10分まえは、2時までにはまだあと10分あります。
つまり2時にはなっていない。
時計の針は前には進むけれど後ろには戻らないもの。
しかも2時は1時よりも“あと”に来る時間なのに、
どうして○分“まえ”といわなければいけないのか、
そんなことを疑問に思っていたらしいのです
(もう憶えてなんていないですよ)。
そんな話を母から聞いたK先生は
「時計の針は戻らないか、哲学じゃないか。いいねー。
こういう子があと2人くらいいると
おもしろい授業ができるんだがなあ」と
笑いながら言ったそうです。
こうして私の評価は正反対のものに
なってしまいました。
同じ人間なのにこんなに違ってみられるんだ
という経験は、その後の自分の生き方にも
大きく影響したと思います。
やはり一生の中で誰といつ出会うか
というのは大きな出来事なんだと思います。
K先生は、小学生からみれば
自分のおじいちゃんと変わらないくらいの
ご高齢の先生でした。
この先生と巡り会ったことで母は
はじめて救われたらしいです。
当時から私は個性的だったものですから、
入学して以来2年間担任した先生からは
個人面談でもかなり言われたらしいです。
K先生とのはじめての面談のときに、
母は過去2年間の経験からお詫びモードでいました。
ところが、意外にもK先生の口からは
「おもしろい子だ。いいねえ」という、
母にしてみれば信じられない言葉が飛び出したそうです。
2年生までは問題児視されていたんです。
どんな問題児ぶりかというと、たとえば算数。
時計の問題。
イラストの時計がさしている時間を答える問題があります。
答えの欄は2つあって、
「○時○分すぎ」と「○時○分まえ」となっています。
私はこのうちの後者、「○時○分まえ」が
ほとんどといっていいくらいに正解できないのです。
要するにつまづきの原因は
時間に対する概念と言葉の概念の混同なんです。
たとえば正解が「1時50分すぎ」だとすると、
同じ時間を言い換えるには「2時10分まえ」となります。
当時の私は1時50分すぎは、1時から50分過ぎた時間。
だから時計の針は1時から前に向かって進んでいく。
ところが2時10分まえは、2時までにはまだあと10分あります。
つまり2時にはなっていない。
時計の針は前には進むけれど後ろには戻らないもの。
しかも2時は1時よりも“あと”に来る時間なのに、
どうして○分“まえ”といわなければいけないのか、
そんなことを疑問に思っていたらしいのです
(もう憶えてなんていないですよ)。
そんな話を母から聞いたK先生は
「時計の針は戻らないか、哲学じゃないか。いいねー。
こういう子があと2人くらいいると
おもしろい授業ができるんだがなあ」と
笑いながら言ったそうです。
こうして私の評価は正反対のものに
なってしまいました。
同じ人間なのにこんなに違ってみられるんだ
という経験は、その後の自分の生き方にも
大きく影響したと思います。
やはり一生の中で誰といつ出会うか
というのは大きな出来事なんだと思います。
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