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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

いま夕方見える1番星は、金星!

2020-01-26 22:15:21 | 惑星・天体ニュース

   今日は、JAXAの国際宇宙ステーションという国際プロジェクトに果敢に挑み、日本の実験棟「きぼう」建設・運用、「こうのとり」での物資輸送までも実行に至らしめたJAXAの3人の方の話が聞けるというサイエンスカフェに行ってきました~。

    

   国際宇宙ステーション(ISS)は、最近は見るチャンスを逸してしますが、例えばココで以前アップしたように、予告やどうやって飛んでくる時間を調べるかは、お伝えしてきました。どう見たらよいかご存じない方は、是非クリックして調べ方を覚えて、実際に国際宇宙ステーションが空を飛んでいくのを見て下さいね。と言うわけで、お月様だけでなく天空を駆けるISSにも興味津々な私。今日を、ずっと楽しみにしていました。

   期待を裏切らず、本当にいろいろな話を聞けて面白かったです。重なりながらも、岩崎さん、長谷川さん、現役の松浦さんへとバトンが渡されながら日本の宇宙開発が世界レベルに押し上げられた様子を知ることができました。

   長谷川さんは、日本が国際宇宙ステーションに加わり出した頃の風刺画を見せて教えてくれました。人間の初宇宙体験を成功させたソビエト、月に人間を送り込んだアメリカにまったく足下にも及ばなかった日本。(アメリカの兎は木の根元でうたた寝。ソビエトの亀について、欧州、カナダの亀がそれを追い抜くべく頑張っているが、日本の亀はびりっけつで、しかもひっくり返って描かれていた。しかも、他の亀たちは通信機に耳をあてて会話しながら走っているが、日本人は言葉のハンディのせいか通信機も持っていない!)と初期の日本がいかに他国から遅れていたかを笑わせながら伝えてくれました。欧州は、アメリカのスペースシャトル内での実験に参加したり、カナダもロボットアームとかの技術とかですでにアメリカの宇宙プロジェクトに参加したりしていたので、完璧な新参者は日本だけだったようです。*ISSは米・欧州・カナダ・日本の計14カ国ではじまり、ロシアは1991年のソビエトの崩壊後に参加。

   国際宇宙ステーションに関わり始めた1980年代から思うと、日本の宇宙飛行士の存在が当たり前になり、「はやぶさ2」に至る宇宙開発技術を磨きあげてきた凄さを、改めて強く感じました。そこには、語学の壁を乗り越え、謙虚に何事も学び、真面目で誠実に新しい技術やノウハウを開発していった、多くの日本の人々の汗と努力があったことが理解できました。

   松浦さんは、1986年入社で、1998年から国際宇宙ステーションの運用に関わり、JAXA筑波の管制室で日本の実験棟「きぼう」の組み立てや「こうのとり」運用の指揮に当たって活躍した女性ですが、松浦さんがフライトディレクターになった時は、そもそもフライトディレクターの仕事そのものが十分わからない(笑)それで、アメリカに、まずそのイロハから学びに行ったそう。10人位が順番に6ヶ月ほど滞在して勉強、教育や資格をどうするか~も含めて、自分たちで検討して24時間体制で管制する次世代も育てていったことになり、大変だったようです。若手と見えたけど、そう考えるとあれ、おいくつなのか?

   ともあれ、普通では聞けない色々な話を聞けて、さらにお茶の時間には質問を3人の方に自由にしたりもできて、楽しい時間を過ごせました。

   帰宅の途中でふと思い出して南西の空を見上げると、明るい1番星がまだ家の屋根の上で明るく光っているのが見つかりました。この1番星は、いまは「宵の明星」とも言われる、金星で~す。本当にきれいですよ。いつもの駐車場に行って写真を撮りました。

    凄く、明るいですよね。上に光っているのが「金星」ですよ。

   近眼の私でも、裸眼で金星ならすぐに分かるほど明るいです。そして、地平で光っていたのは・・・というと。

   

   暗い部分が見えないので難しいですか? スカイツリーでした。結構、距離は離れているのですが、ちょうどいい具合に遮る物がなくて駐車場からみえるのです。これで、富士山も見えたらいいのですが、富士山は木立に邪魔されてみられません。

   今日も楽しい1日を過ごし、無事に終えられることに感謝して。明日も、いい1日になりますように。明日は、天気がよければ細い月が夕方見られるのではないかと思いますが、天気が悪いようですね。さあ、どうなるかな?   

コメント
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