昨夜は、今日主人を医者に早い時間に連れていかないといけなくて、早く寝た。月に逢えないまま寝ることになるかなぁ~と思いつつ、1回外にまで見に行ったが逢えなかったので諦めかけた。でも、お風呂に入って寝る直前にベランダから外をみると・・・お月様が、隣の建物に隠れそうな低い位置から辛うじて私に「お~いっ」と声をかけているのに気づいた。
「ビックリ!もう、諦めて寝るところだったのよ」「間に合ってよかったぁ~。今日も大変だったんでしょ」
「まあね。心配してくれるお月様がいるから、頑張っているよっ。いつも有り難う!」
お月様は、最後にここまでようやく出てきてくれた後、雲の中に消えていきました。これだけ逢えたのでも奇跡のよう。お月様に感謝して寝たところ、ふと目が覚めたのは時計を見るとまだ3時半過ぎ。
(おやおや、これはどうしたことかな。さっきの出会いが中途半端だったから、お月様がしっかり出てこられたので呼んでいるのかな?)そっと起き出して外に見に行ってみると・・・。
さっきとは確かに全然違うスッキリ顔のお月様が南空に堂々と立ち上がった姿で私を待ってくれていました。
「お~っ、凜々しい姿ね、お月様」「今度は雲から離れてすっきりだろう」
「本当に、きれいに撮れたよ。有り難う。でも、これで朝にはあえそうもないかなぁ。おやすみなさい」
何ともきれいなお月様に逢えたところで、私もぐっすり寝られ、朝起きてみると雲がびっしり。思った通り、お月様に朝は会えませんでした。
さあ、今日はもう月が今日の日付の内には上らない日となりました。日付が4月4日に変った0:30に月が上ってきます。
これからは、「朝にお月見をする時期」に突入です。といっても、まだ数日は上のように、存在感のあるお月様なので朝が快晴ならば日の出前のとんでもない早朝に起きなくても、青空の中のお月様に会えるかもしれません。
今日は結局1時半過ぎまで医者にいましたが、主人の検査結果も悪くなくひと安心して帰宅できました。
コロナ感染がまた広がってきているようですが、病院は以前の活況を呈していて、必要な人はためらわずに病院に通うようになったように思われます。それにしても、病院の医師たちはもうワクチンをしているのかわかりませんが、患者側は病院の入り口で検温をして平熱の人だけとはいえ、(無症状のコロナ感染者)がいる可能性がゼロではないのに、アクリル板の衝立もないまま診療していました。銀行もスーパーも不特定多数の接客をしなくてはならない職業の人たちは、今は かなりアクリル板で遮断して保護されるようになってきているのですが・・・。医療関係者の方にはそれが仕事の性質上脈を取ったり、血圧をはかったりなど難しいのかもしれません。皆様、どうぞ健康に気をつけて頑張って下さい。皆様の努力と献身に心から感謝しています。
ところで、余談ですが、3月末に書きそびれていた話を一つ。
宮本亜門が3月28日の『真相報道バンキシャ!』(日本テレビ)で「炎上覚悟で言います」と、オリンピック開催に対し「皆さんのやりたい気持ちはわかるけども、誰が開催にNOを言うか。やはり日本が勇気を持ってNOということを期待したい」と表明した。勇気ある発言だと思った。東京では感染が広がる恐れを示す感染率1.2が出ている。聖火ランナーが走り出し、否応なしにオリンピックへと国民をもっていこうとするこの時に、しっかり発言できるムードは大切だ。長いものに巻かれず冷静に情勢を判断できることが肝要!と思いました。
実はこの話、更に書くと、宮本亜門さんはもう「正直に生きる覚悟を持った方」だということも、炎上覚悟で話した理由にあったのではないか?と思いました。朝日新聞(2019年10月6日)で読んだのですが、「がん体験は命の勲章。後遺症の尿漏れも、受け入れています――。今年5月に前立腺がんの手術を受けた演出家の宮本亞門さん(61)は、経験を明るく語り」・・・というところで知ったのですが、宮本さんは死を身近に感じながら、生きる意味をきっと強く意識して日々をすごしているのでしょう。 さきほどの続きに「ずっと尿漏れがあります。店でパッドを選ぶ時が、つらくてね。できるだけ人目につかないように選んでいても、そういう時に限って『サイン下さい』って言われて、パッドの陳列棚の前で記念撮影も求められたりして。えっ? 今? って、さすがに恥ずかしかった。でも今では、それも含めて生きることなんだなと受け入れちゃってます。照れている場合じゃなく、真剣に研究して、今ではパッド研究家」と自分のことを語っていました。
凄い方だなと思いました。
本当は、人間も、命あるモノはすべて皆同じ。癌になっていようがいまいが、生きるモノの命は限りがある。それを知って何が大切かを知っている人は、忖度だ、自分の利益だ、自分の国のためだ~などという考えよりもっと奥の「この命をどう活かすことが自分の生きている間にすべきことか」ということを考えて1日1日を必死に生きていくはずです。 お金の意味も、名誉の意味も、そう考えていれば、違ってくるはず。
「一病息災」という言葉があるけれども、病は人に多くの場合そういう気づきをもたらす効果を持っているから、こういう言葉があるのかなと考える時がありますが、「一病」を体験したり持ったりしなくても、<(人は、生まれた時から命のカウントダウンが始まっている存在なのだ)ということを、日々に感じて生きる人が増えていけば、世の中はもっと正しい方向へ確実に向かっていけるだろうに~>と私は思います。
ねぇ、お月様。