暑さのせいかだるくてたまらない。疲れた。体力も気力も落ちてきた。転んで、その上をトラックが通り過ぎていったような状況でも、立ち上がれたのは若さだったのだろうか。あの頃は藁をも掴んで立ち上がった。帰る場所もなく否応なしに生活がのしかかっていたからだろうか。今思うとそれはただ我慢がなかっただけのような気がする。自分の足で歩くというその基本通りに生きればよかったのではないだろうか。それは実に確実で間違いがない。歩けないなら歩けるようになるまで体を休めればよかったのだ。高村光太郎の詩「傷をなめる獅子」のように、やさしい雌獅子の帰りを待てばよかったのではないだろうか。そんなことがやっとわかった。長い長い放蕩息子(娘)の旅だった。それがいまの疲れの原因かもしれない。
