■きみはダックス先生がきらいか/灰谷健次郎
■ストーリ
4年生になったリツコは、新学期そうそうがっくり。
一番担任になってほしくないと思っていたダックス先生が担任に
なったのだ。短足で背が低く、ぼけっとしていてノロマで
トウニョウビョウで、ちっともスマートじゃない。おまけに
一般常識とやらが欠落しているみたい。
でも、ちっとも先生らしくないダックス先生に、リツコたちは
次第にひかれていく。
■感想 ☆☆☆☆☆
1981年刊行のこの童話、26年も前の作品だというのに
今読んでもまったく古臭くない。子どもが抱えている問題は
今と本質的に変わっていない。リツコは毎日毎日、塾に通い
成績をあげるように、いい子でいるように親からうるさく
言われている。尤も、抱えている問題は本質的な変化を遂げては
いないが、それでもやはり現代はより深刻化、複雑化している
とは思う。
この本の中では、まだ子どもたちはとても素直だ。
ちっとも教師らしくないダックス先生が実践する「教育」は
ごくごく当たり前のこと。音楽コンクールの練習時に子どもたちに
与える注意は、音楽の授業のようであって、それを超えた
何かを感じさせる。
「歌の歌詞を考えて歌いなさい。」
「綺麗な声で歌おうとする必要はない。
みんなの声をよく聴いて歌いなさい。」
「みんなの心をあわせなさい。」
それ以外の技術的な指導はまったく行わない。そして、知的障害を
抱える児童にも同じ場を共有させ、彼女には「立つこと」「参加
すること」を課題として与える。
クライマックスの音楽コンクールで児童たちが自分たちで考え
行動する様子には目頭を熱くさせられた。こういった「心を
育てる教育」が子どもには必要なのだと思う。
この作品のダックス先生にはモデルがいる。
「1年1組 先生あのね」を編纂した鹿島先生だ。
なるほど、と思った。こんなふうに子どもたちと寄り添ったから
ああいう子どもたちの飾らない言葉を引き出すことができたのだ。
■ストーリ
4年生になったリツコは、新学期そうそうがっくり。
一番担任になってほしくないと思っていたダックス先生が担任に
なったのだ。短足で背が低く、ぼけっとしていてノロマで
トウニョウビョウで、ちっともスマートじゃない。おまけに
一般常識とやらが欠落しているみたい。
でも、ちっとも先生らしくないダックス先生に、リツコたちは
次第にひかれていく。
■感想 ☆☆☆☆☆
1981年刊行のこの童話、26年も前の作品だというのに
今読んでもまったく古臭くない。子どもが抱えている問題は
今と本質的に変わっていない。リツコは毎日毎日、塾に通い
成績をあげるように、いい子でいるように親からうるさく
言われている。尤も、抱えている問題は本質的な変化を遂げては
いないが、それでもやはり現代はより深刻化、複雑化している
とは思う。
この本の中では、まだ子どもたちはとても素直だ。
ちっとも教師らしくないダックス先生が実践する「教育」は
ごくごく当たり前のこと。音楽コンクールの練習時に子どもたちに
与える注意は、音楽の授業のようであって、それを超えた
何かを感じさせる。
「歌の歌詞を考えて歌いなさい。」
「綺麗な声で歌おうとする必要はない。
みんなの声をよく聴いて歌いなさい。」
「みんなの心をあわせなさい。」
それ以外の技術的な指導はまったく行わない。そして、知的障害を
抱える児童にも同じ場を共有させ、彼女には「立つこと」「参加
すること」を課題として与える。
クライマックスの音楽コンクールで児童たちが自分たちで考え
行動する様子には目頭を熱くさせられた。こういった「心を
育てる教育」が子どもには必要なのだと思う。
この作品のダックス先生にはモデルがいる。
「1年1組 先生あのね」を編纂した鹿島先生だ。
なるほど、と思った。こんなふうに子どもたちと寄り添ったから
ああいう子どもたちの飾らない言葉を引き出すことができたのだ。
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