6月24日土曜日は同窓会総会でした。
私たちが卒業して20年目を迎えた昨年から1年間、幹事としてこの日のために準備を重ねてきました。
といっても、準備を重ねてきてくれたのは主要メンバーの方々のみ。私は2月から評議委員会に参加したのみ。小倉在住だったり慣れない子育てでいっぱいいっぱいだったり、ということもあって、ほぼすべての準備を主要メンバーの方々にお任せしっぱなしでこの1年を過ごしました。
だからこそ、同窓会当日ぐらいは絶対に参加しよう。たいした働きはできないけれど、「人が必要」という場面はたくさんあるはず。「枯れ木も山の賑わい」という言葉を体現してこよう!という気持ちで13時から会場入りし、リハーサルなどにも参加しました。
ずっと一緒に参加してきた長男は、今年から用意してくれた託児ルームにてお留守番。この1か月ほど後追いがひどく、私がいなくなるとぎゃんぎゃん泣きわめく傾向にあるため、非常に心配していましたが、託児ルームの保育士さんは温かく頼もしく笑顔で長男を引き受けてくれました。
後ろ髪をひかれる思いで託児ルームを離れましたが、リハーサルの緊張感が大きすぎて長男の存在なんてあっという間に忘れてしまいました。あまりの緊張感に1時間ほどのリハーサルが果てしなく長く思われ、「いっそ今、本番が始まればいいのに!」と何度も思いましたが、いざ本番が始まってしまうと終わるまでがほんの一瞬で、あっという間の同窓会でした。
本音を言うと。
子供を産む前、もしくは子供の手がもう少し離れた状態で、幹事としてのお仕事をもっと担うことができていたら、24日の同窓会はきっと100倍楽しかっただろうな、と思います。幹事として全力投球で一年を過ごした人たちは私の200倍感動しただろうし、300倍充実感や熱い思いを抱いた一日だったろうな、と思います。でも、きっと子育て中で家にひきこもっている今じゃなかったら、同窓会にもう一度参加しようとは思えなかっただろうな、とも思うのです。
私は17年前、当時、幹事学年だった先輩方と母校の正門前で偶然出会い、同窓会との縁をいただきました。
けれど、その縁を大切にできず、いつの間にか同窓会と距離を持って過ごすようになりました。だからこそ、17年前のあのときの縁をずっとずっと大切に育み、活動し続けてきた今年の幹事さんには尊敬の念を抱くと同時に、大きなコンプレックスも持っていました。私もあのときの縁を大切にできていたらよかったのに・・・と何度も思いました。
そんな私に幹事さんが声をかけてくれたこと、子育て引きこもり生活にちょっとアップアップしていた私に「勿論、子供を連れて来てもいいよ!」と子連れ参加を快諾してくれたこと、そして子連れで参加した私を先輩方が「久しぶり!よう来たね!」と温かく迎え入れてくれたこと。どれもがすべてありがたいタイミングでの嬉しい嬉しい出来事でした。
同窓会当日はなんと85名もの同級生が集結!
狭い世界を生きていた私は、その中のほどんどの人たちが「初めまして!」という挨拶を交わしたくなるような感じだったのですが、あの頃は距離感を持って眺めていた同級生たち、私が勝手に「違う世界の人たち」と思いながら憧れの目で眺めていた同級生が親しみ深く自然体で話しかけてくれて、「あぁ、私はなんて肩に力が入った生き方をしてるんだろうなぁ。」と気付かせてくれました。勿論、「久しぶり!!今、何しようと?!」と近況を報告しあいたくなる友人にも再会できました。
東京や大阪、滋賀など遠方に住んでいる同級生もたくさん参加していて「わざわざ来たと?!」と驚いていたら「この機会を逃したら、もう二度とみんなに再会できんやろうなぁ、と思って。」と答えてくれて、確かにそうかもなぁ、そうだろうなぁ・・・とその回答にしみじみ感じ入りました。
私にとって、同窓会のクライマックスは3つ。
ひとつめは同級生がかっこよく作ってくれたオープニング映像。
「君の名は」の主題歌をオーケストラアレンジした壮大な音楽に載せた映像はとても感動的で、同級生がネットに挙げてくれたものを夜中に何度もひとり楽しみましたが、当日の会場で見る映像はより一層感動的でした。このサントラ、絶対に購入しよう!とひそかに決意しています。
ふたつめは「男女共学一期生」を象徴する女性メンバーの開会宣言。
この一年ずっと活動を担てくれていた同級生が、その朴訥で真摯な人柄を思わせる穏やかな語り口で開会を宣言してくれました。主要メンバーの方々は個性豊か色とりどりで、それぞれ色合いが違いすぎて、高校時代はあまり一緒にいるところを見なかった気がするのに、(私が交流を知らなかっただけ、という可能性は大いにありますが)その人たちが支えあっている姿は、傍から見ていてとても眩しいものでした。その中でも一番物静かで、そっと他のメンバーの活動を支え続けてくれた女性メンバーが、やはりそっと、でも堂々と開会を宣言する姿はすごくすごくかっこよかったな。
最後は同級生全員が壇上に並んだ場面での代表幹事挨拶。
代表幹事の挨拶ももちろん感動的だったのですが、私の隣に並んでいた同級生2名が感涙している姿もすごくすごく印象的でした。ふたりとも子連れで評議委員会に参加してくれていた「子連れ仲間」で、私が本当に評議委員会にしか参加できなかったのとは異なり、直前に発生する細々とした準備作業も担ってくれていました。1名は私と同様、当日の託児ルーム利用仲間で、当日の準備中にふたりで子供の様子を見に行った時、大泣きしているちびっこちゃんを見て
「この一週間、同窓会の作業で子供にいっぱい我慢をさせとるんよね。やけん辛い・・・。」
と心を痛めている姿を見ていたので、なお一層、胸が熱くなりました。
代表幹事の挨拶中、私の携帯に託児ルームから着信があり、挨拶が終わると同時に大急ぎで託児ルームに直行したところ、一日一生懸命頑張ってくれていた長男の我慢が限界に達していたため、最後のお見送りは長男も一緒に。先輩方からたくさんたくさん「かわいいねぇ!」「西南ボーイになるんよ!」と声をかけていただき、最後の最後まで幸せな気持ちを味わうことができました。
お見送りを終えた後は幹事学年で記念撮影。そして念願の打ち上げ参加!
長男連れての参加なので打ち上げの一次会すら最後の最後まで参加はできませんでしたが、それでもずっとずっと参加したかった打ち上げにほんのひとときでも参加でき、同級生とお話できたこと、新しく知り合えた同級生が増えたことはうれしい嬉しい出来事でした。
幹事学年としての同窓会はこれにて無事終了。
なんだか言葉にしがたい不思議な一日でした。
けれど、同級生とのつながりはきっと「昨日が始まり」です。
折に触れ、近況を報告しあえる仲間ができた幸せを噛み締めながら、また今日から日常に戻ります。
私たちが卒業して20年目を迎えた昨年から1年間、幹事としてこの日のために準備を重ねてきました。
といっても、準備を重ねてきてくれたのは主要メンバーの方々のみ。私は2月から評議委員会に参加したのみ。小倉在住だったり慣れない子育てでいっぱいいっぱいだったり、ということもあって、ほぼすべての準備を主要メンバーの方々にお任せしっぱなしでこの1年を過ごしました。
だからこそ、同窓会当日ぐらいは絶対に参加しよう。たいした働きはできないけれど、「人が必要」という場面はたくさんあるはず。「枯れ木も山の賑わい」という言葉を体現してこよう!という気持ちで13時から会場入りし、リハーサルなどにも参加しました。
ずっと一緒に参加してきた長男は、今年から用意してくれた託児ルームにてお留守番。この1か月ほど後追いがひどく、私がいなくなるとぎゃんぎゃん泣きわめく傾向にあるため、非常に心配していましたが、託児ルームの保育士さんは温かく頼もしく笑顔で長男を引き受けてくれました。
後ろ髪をひかれる思いで託児ルームを離れましたが、リハーサルの緊張感が大きすぎて長男の存在なんてあっという間に忘れてしまいました。あまりの緊張感に1時間ほどのリハーサルが果てしなく長く思われ、「いっそ今、本番が始まればいいのに!」と何度も思いましたが、いざ本番が始まってしまうと終わるまでがほんの一瞬で、あっという間の同窓会でした。
本音を言うと。
子供を産む前、もしくは子供の手がもう少し離れた状態で、幹事としてのお仕事をもっと担うことができていたら、24日の同窓会はきっと100倍楽しかっただろうな、と思います。幹事として全力投球で一年を過ごした人たちは私の200倍感動しただろうし、300倍充実感や熱い思いを抱いた一日だったろうな、と思います。でも、きっと子育て中で家にひきこもっている今じゃなかったら、同窓会にもう一度参加しようとは思えなかっただろうな、とも思うのです。
私は17年前、当時、幹事学年だった先輩方と母校の正門前で偶然出会い、同窓会との縁をいただきました。
けれど、その縁を大切にできず、いつの間にか同窓会と距離を持って過ごすようになりました。だからこそ、17年前のあのときの縁をずっとずっと大切に育み、活動し続けてきた今年の幹事さんには尊敬の念を抱くと同時に、大きなコンプレックスも持っていました。私もあのときの縁を大切にできていたらよかったのに・・・と何度も思いました。
そんな私に幹事さんが声をかけてくれたこと、子育て引きこもり生活にちょっとアップアップしていた私に「勿論、子供を連れて来てもいいよ!」と子連れ参加を快諾してくれたこと、そして子連れで参加した私を先輩方が「久しぶり!よう来たね!」と温かく迎え入れてくれたこと。どれもがすべてありがたいタイミングでの嬉しい嬉しい出来事でした。
同窓会当日はなんと85名もの同級生が集結!
狭い世界を生きていた私は、その中のほどんどの人たちが「初めまして!」という挨拶を交わしたくなるような感じだったのですが、あの頃は距離感を持って眺めていた同級生たち、私が勝手に「違う世界の人たち」と思いながら憧れの目で眺めていた同級生が親しみ深く自然体で話しかけてくれて、「あぁ、私はなんて肩に力が入った生き方をしてるんだろうなぁ。」と気付かせてくれました。勿論、「久しぶり!!今、何しようと?!」と近況を報告しあいたくなる友人にも再会できました。
東京や大阪、滋賀など遠方に住んでいる同級生もたくさん参加していて「わざわざ来たと?!」と驚いていたら「この機会を逃したら、もう二度とみんなに再会できんやろうなぁ、と思って。」と答えてくれて、確かにそうかもなぁ、そうだろうなぁ・・・とその回答にしみじみ感じ入りました。
私にとって、同窓会のクライマックスは3つ。
ひとつめは同級生がかっこよく作ってくれたオープニング映像。
「君の名は」の主題歌をオーケストラアレンジした壮大な音楽に載せた映像はとても感動的で、同級生がネットに挙げてくれたものを夜中に何度もひとり楽しみましたが、当日の会場で見る映像はより一層感動的でした。このサントラ、絶対に購入しよう!とひそかに決意しています。
ふたつめは「男女共学一期生」を象徴する女性メンバーの開会宣言。
この一年ずっと活動を担てくれていた同級生が、その朴訥で真摯な人柄を思わせる穏やかな語り口で開会を宣言してくれました。主要メンバーの方々は個性豊か色とりどりで、それぞれ色合いが違いすぎて、高校時代はあまり一緒にいるところを見なかった気がするのに、(私が交流を知らなかっただけ、という可能性は大いにありますが)その人たちが支えあっている姿は、傍から見ていてとても眩しいものでした。その中でも一番物静かで、そっと他のメンバーの活動を支え続けてくれた女性メンバーが、やはりそっと、でも堂々と開会を宣言する姿はすごくすごくかっこよかったな。
最後は同級生全員が壇上に並んだ場面での代表幹事挨拶。
代表幹事の挨拶ももちろん感動的だったのですが、私の隣に並んでいた同級生2名が感涙している姿もすごくすごく印象的でした。ふたりとも子連れで評議委員会に参加してくれていた「子連れ仲間」で、私が本当に評議委員会にしか参加できなかったのとは異なり、直前に発生する細々とした準備作業も担ってくれていました。1名は私と同様、当日の託児ルーム利用仲間で、当日の準備中にふたりで子供の様子を見に行った時、大泣きしているちびっこちゃんを見て
「この一週間、同窓会の作業で子供にいっぱい我慢をさせとるんよね。やけん辛い・・・。」
と心を痛めている姿を見ていたので、なお一層、胸が熱くなりました。
代表幹事の挨拶中、私の携帯に託児ルームから着信があり、挨拶が終わると同時に大急ぎで託児ルームに直行したところ、一日一生懸命頑張ってくれていた長男の我慢が限界に達していたため、最後のお見送りは長男も一緒に。先輩方からたくさんたくさん「かわいいねぇ!」「西南ボーイになるんよ!」と声をかけていただき、最後の最後まで幸せな気持ちを味わうことができました。
お見送りを終えた後は幹事学年で記念撮影。そして念願の打ち上げ参加!
長男連れての参加なので打ち上げの一次会すら最後の最後まで参加はできませんでしたが、それでもずっとずっと参加したかった打ち上げにほんのひとときでも参加でき、同級生とお話できたこと、新しく知り合えた同級生が増えたことはうれしい嬉しい出来事でした。
幹事学年としての同窓会はこれにて無事終了。
なんだか言葉にしがたい不思議な一日でした。
けれど、同級生とのつながりはきっと「昨日が始まり」です。
折に触れ、近況を報告しあえる仲間ができた幸せを噛み締めながら、また今日から日常に戻ります。