■この世界の片隅に/2017年日本
■監督・脚本:片渕須直
■原作:こうの史代
■声の出演:のん、細谷佳正、小野大輔、潘めぐみ、新谷真弓
■あらすじ
1944年2月、18歳のすずは広島から軍港のある呉の北條家に嫁ぐ。戦時下、物資が徐々に不足する不自由さの中、すずは持ち前の性格で明るく日常を乗り切っていたが、翌年の空襲によって大切なものを失う。広島への原子爆弾投下、そして終戦。すずは自分の居場所を呉と決め、生きていく。
■感想
大ヒットしたアニメーション映画。見たいと思って録画していたものの、心の余裕がなく、見れないまま時が過ぎていました。
ようやくようやくの鑑賞。心が痛く痛く痛くなったけれど、それでも一筋の希望がある映画でした。でも、やっぱりもう見直すことはない気がします。希望で終わっているけれど、やはり見終えた後に心を占めるのはやりきれなさで、もう一度、この感情を味わうのは辛い。私にとっては、そういう映画でした。
物語は1932年から始まります。「小さいころからぼぉっとしとった」ヒロインの子ども時代が柔らかい色調で優しく、懐かしく描かれます。絵を描くことが好きで想像力豊かなヒロインが家族と過ごすごくごく「普通」な日常。愛情深いお父さんとお母さん、少し怖い「鬼」いちゃんと一つ違いの優しい妹との穏やかで楽しい毎日。18歳で呉市に嫁ぎ、子ども時代は終わりを迎えるものの、知らない人ばかりの新しい環境で始まる「主婦」としての慣れない毎日もヒロインは穏やかに飄々と過ごします。
描かれるのは穏やかな日常。少しずつ少しずつ戦争が日常に影を落としているけれど、その中でヒロインはご飯を作って、お掃除をして、ご近所さんを覚えて、夫となる人と少しずつ少しずつ心を通わせて、嫁ぎ先で自分の居場所を作っていきます。笑ったり、失敗したり、怒ったり、絵を描いたりの穏やかな毎日。でも、配給のご飯はどんどん減っていきます。空襲も増えます。一日に複数回鳴り響く空襲警報。日常の中に少しずつ増える非日常の時間。防空壕を作り、警報が鳴ったら壕に逃げて、空襲の合間に配給へ並ぶ。日常と非日常が地続きで、笑顔と怒号と悲鳴が同じ空間の中にある異常な世界。
そんな中で穏やかに暮らすヒロイン、すずを休暇で訪ねてきた幼馴染は「普通やなぁ」と笑い、愛おしそうに眺め続けます。「普通」が「普通ではない」世界を如実に物語る場面。
そんな中、すずは不発弾の暴発に遭遇し、右手と姪っ子を喪います。目覚めたすずにかけられる周囲の優しい言葉。
「生きとってよかった」
「そのぐらいのけがですんでよかった」
「治りが順調でよかった」
その言葉に、物語の始めから一貫して穏やかだったヒロインが初めて心の中で反論します。強い口調で。
「うちには、何がよかったんか、ちっともわからん。」
昨日まであったもの、さっきまであった大切なものがあっけなく喪われる日常。
喪った悲しみを口にすることも憚られる空気感。
絶え間なく鳴り響く警報と爆音の恐怖。そして、広島に落とされる新型爆弾。
終戦、そして敗戦が告げられたラジオの前で、すずが放った「最後のひとりになるまで戦うんじゃなかったんね。まだここに5人もおるやないね。」という言葉からは、今まですずやすずの周りの人たち、あの時代を生きていた人たちがさせられた我慢とその痛みが伝わってくるように思いました。でも、伝わってくるなんて、おこがましくて言えない、とも思いました。私にはあの時代を生きた人たちの悲しみは分からない、分かることができない。
あの時代を生きた人たちのおかげで今の私たちがあること
そして、過去ではなく、今、この瞬間もこの映画を覆っている悲しみ、恐怖が日常となっている人たちがいること。どちらも忘れてはいけない、そう思っています。
■監督・脚本:片渕須直
■原作:こうの史代
■声の出演:のん、細谷佳正、小野大輔、潘めぐみ、新谷真弓
■あらすじ
1944年2月、18歳のすずは広島から軍港のある呉の北條家に嫁ぐ。戦時下、物資が徐々に不足する不自由さの中、すずは持ち前の性格で明るく日常を乗り切っていたが、翌年の空襲によって大切なものを失う。広島への原子爆弾投下、そして終戦。すずは自分の居場所を呉と決め、生きていく。
■感想
大ヒットしたアニメーション映画。見たいと思って録画していたものの、心の余裕がなく、見れないまま時が過ぎていました。
ようやくようやくの鑑賞。心が痛く痛く痛くなったけれど、それでも一筋の希望がある映画でした。でも、やっぱりもう見直すことはない気がします。希望で終わっているけれど、やはり見終えた後に心を占めるのはやりきれなさで、もう一度、この感情を味わうのは辛い。私にとっては、そういう映画でした。
物語は1932年から始まります。「小さいころからぼぉっとしとった」ヒロインの子ども時代が柔らかい色調で優しく、懐かしく描かれます。絵を描くことが好きで想像力豊かなヒロインが家族と過ごすごくごく「普通」な日常。愛情深いお父さんとお母さん、少し怖い「鬼」いちゃんと一つ違いの優しい妹との穏やかで楽しい毎日。18歳で呉市に嫁ぎ、子ども時代は終わりを迎えるものの、知らない人ばかりの新しい環境で始まる「主婦」としての慣れない毎日もヒロインは穏やかに飄々と過ごします。
描かれるのは穏やかな日常。少しずつ少しずつ戦争が日常に影を落としているけれど、その中でヒロインはご飯を作って、お掃除をして、ご近所さんを覚えて、夫となる人と少しずつ少しずつ心を通わせて、嫁ぎ先で自分の居場所を作っていきます。笑ったり、失敗したり、怒ったり、絵を描いたりの穏やかな毎日。でも、配給のご飯はどんどん減っていきます。空襲も増えます。一日に複数回鳴り響く空襲警報。日常の中に少しずつ増える非日常の時間。防空壕を作り、警報が鳴ったら壕に逃げて、空襲の合間に配給へ並ぶ。日常と非日常が地続きで、笑顔と怒号と悲鳴が同じ空間の中にある異常な世界。
そんな中で穏やかに暮らすヒロイン、すずを休暇で訪ねてきた幼馴染は「普通やなぁ」と笑い、愛おしそうに眺め続けます。「普通」が「普通ではない」世界を如実に物語る場面。
そんな中、すずは不発弾の暴発に遭遇し、右手と姪っ子を喪います。目覚めたすずにかけられる周囲の優しい言葉。
「生きとってよかった」
「そのぐらいのけがですんでよかった」
「治りが順調でよかった」
その言葉に、物語の始めから一貫して穏やかだったヒロインが初めて心の中で反論します。強い口調で。
「うちには、何がよかったんか、ちっともわからん。」
昨日まであったもの、さっきまであった大切なものがあっけなく喪われる日常。
喪った悲しみを口にすることも憚られる空気感。
絶え間なく鳴り響く警報と爆音の恐怖。そして、広島に落とされる新型爆弾。
終戦、そして敗戦が告げられたラジオの前で、すずが放った「最後のひとりになるまで戦うんじゃなかったんね。まだここに5人もおるやないね。」という言葉からは、今まですずやすずの周りの人たち、あの時代を生きていた人たちがさせられた我慢とその痛みが伝わってくるように思いました。でも、伝わってくるなんて、おこがましくて言えない、とも思いました。私にはあの時代を生きた人たちの悲しみは分からない、分かることができない。
あの時代を生きた人たちのおかげで今の私たちがあること
そして、過去ではなく、今、この瞬間もこの映画を覆っている悲しみ、恐怖が日常となっている人たちがいること。どちらも忘れてはいけない、そう思っています。