2015年9月12日、南小倉バプテスト教会にて、結婚式を挙げました。
今までで一番幸せな一日でした。
気が付けばすっかり大長編になってしまいましたが(私は「文章を短くまとめる」というアイテムをなんとしてでも手に入れた方がいい。切実にそう思います。)それでも当日を振り返り続けます。さすがにそろそろ終わるはず。お食事会ももう終盤です。
完全に自分用のメモです。
花嫁からのご挨拶。
これ、しようかどうしようか、するんだったら、誰に向けてするのか、家族なのか、来てくれた方々へ、なのか、随分と迷いました。
既に結婚式を終えた友人たちからは「絶対にするべき!あれは最後の親孝行なんだから。」と力説され、自称「オーソドックスを愛する人」である妹さんからは「まさか、花嫁からの手紙がないなんてこと、ないよね!?」と、牽制メールをいただき、流れとしてはする方向。
でも、みんなの前で家族への手紙を読むという行為は、私にとってものすごくむずがゆい行為で、できる自信もなく。そもそも「みんなの前で読む家族への手紙」とは、なんぞや・・・などと変に考えすぎて、文章を書くことにあまり抵抗のないはずの私が頭を抱えっぱなしでペンが進まない、という経験を味わう羽目に。
と、いうわけで軌道修正して、「みんなの前で読むみんなへの手紙(そこにたまたま家族もいました)」版として、手紙を考え直すことに。・・・めんどくさい人間だなー、とつくづく自分でも思いました。
多分、変に考えるのをやめれば、求められている方向性の手紙を書ける気もするのです。創作得意だし。でも、結婚式という(多分)一生に一度のイベントなので、最後まで私らしくこだわらせてもらいました。
・・・結果、花嫁からの手紙がとてつもない長文になる、という緊急事態が発生しました。いや、これこそ軌道修正する必要あるでしょ!と慌てて削りに削りましたが、削った文章ですら、新郎がちらっと見て「長くない!?」とドン引きする長さで、ホントに私は文章を短くまとめるという技術をお金払ってでも習得するべきだ、と、つくづく思いました。もう遅いけどさ。
と、いうわけで。
えーっと。あのとき、あの長大な手紙にお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
隣で暇をもて余していた夫さん、付き合わせました。ごめんなさい。ありがとう。
でも、妹さんは泣いてくれたし、母上も少し涙ぐんでくれていたし、大満足です。義弟くんからは「長い上に花嫁は泣かないし・・・」とぶつぶつ言われたし、夫さんからも「覚悟していた3倍長かった!」と驚かれましたが、大々満足なのです。
最後の最後は夫さんからのご挨拶。皆さんへのお礼と夫婦ふたりで赦し合って支え合って生きていきたい、という決意を(花嫁と違って)簡潔にかっこよく纏めて締めてくれました。
結婚を教会でするとなると、事前カウンセリングなるものを受けなければいけないのですが、その事前カウンセリング初回で言われたのが
「聖書で言われている『愛』は、神様が私たちに与えてくださっているもので、私たち不完全な人間には与えることができないもの。だから、私たちはお互いに不完全であることを赦し合いながら愛そうと努めていく。それが結婚なんだ。」
というようなことでした。
カウンセリングの帰り道、
「赦し合いながら生きていくって、いいね。ふたりで言っていたこととも合うね。」
と、言い合ったこと、お互いの結婚に対するイメージに大きな違いがなくてすごくすごく嬉しかったことを鮮明に思い返しながら、夫さんのご挨拶を聞きました。
これにてお食事会も終わり。
最後のお見送りの際に、今日、昨日が誕生日だったおば2名、そして明後日が誕生日でこの結婚式のために並々ならぬ尽力を傾けてくれた妹さんに誕生日プチプレゼントとして、プリザードフラワーをあしらった写真たてを贈りました。今日のブーケをお願いした方にこれもお揃いでお願いしていたのです。
そして、生花のブーケは婚約者さんがいる友人へ願いを込めてプレゼントしました。後日、私の願いが叶いそうな嬉しい話が友人から届きました。どうなるのかなあ、とわくわくしながら動向を見守っています。
そして、両親へ用意していたアレンジメントをひとつは私の両親へ、ひとつはお花が大好きだという夫さんのおば様へ贈りました。でも、ホントのところ、夫さんのお母様もお花が大好きなんだということがその翌日に判明し、夫さんは少々、罰が悪そうでした。ブートニアをふたつともにお母様へプレゼントしたけれど、またいつか別の機会にお花をプレゼントできたらなー、と思っています。
最後の最後までウォーキングチームのメンバーは賑やかに私たちを囲んでくれて口々に「いい一日だった。」「楽しい時間だった。」と盛大に誉めてくれました。嬉しかったなー。乾杯をしてくれたウォーキング大先輩は、私のスピーチで号泣してくれたんだとか。おそらくお年頃の娘さんがいるので、色々重なったんだとは思うんですが、それでも素直に嬉しかったです。
これにて、楽しかった一日も終わり!
すっごくすっごく楽しかったし、今も飽きることなくあの一日を思い返しては幸せな気持ちを反芻してますが、それでももう一回したいか?と問われたら迷うことなくノオ!とお答えします。
結婚式は一生に一度で充分。あの一日を大切に大切に握りしめて、時折そっと握りしめた手を開いて二人で覗き込んで、にこにこをまた味わって、また大切に大切に握りしめる。そんなふうにふたりで生きていきたいな、と思います。
今までで一番幸せな一日でした。
気が付けばすっかり大長編になってしまいましたが(私は「文章を短くまとめる」というアイテムをなんとしてでも手に入れた方がいい。切実にそう思います。)それでも当日を振り返り続けます。さすがにそろそろ終わるはず。お食事会ももう終盤です。
完全に自分用のメモです。
花嫁からのご挨拶。
これ、しようかどうしようか、するんだったら、誰に向けてするのか、家族なのか、来てくれた方々へ、なのか、随分と迷いました。
既に結婚式を終えた友人たちからは「絶対にするべき!あれは最後の親孝行なんだから。」と力説され、自称「オーソドックスを愛する人」である妹さんからは「まさか、花嫁からの手紙がないなんてこと、ないよね!?」と、牽制メールをいただき、流れとしてはする方向。
でも、みんなの前で家族への手紙を読むという行為は、私にとってものすごくむずがゆい行為で、できる自信もなく。そもそも「みんなの前で読む家族への手紙」とは、なんぞや・・・などと変に考えすぎて、文章を書くことにあまり抵抗のないはずの私が頭を抱えっぱなしでペンが進まない、という経験を味わう羽目に。
と、いうわけで軌道修正して、「みんなの前で読むみんなへの手紙(そこにたまたま家族もいました)」版として、手紙を考え直すことに。・・・めんどくさい人間だなー、とつくづく自分でも思いました。
多分、変に考えるのをやめれば、求められている方向性の手紙を書ける気もするのです。創作得意だし。でも、結婚式という(多分)一生に一度のイベントなので、最後まで私らしくこだわらせてもらいました。
・・・結果、花嫁からの手紙がとてつもない長文になる、という緊急事態が発生しました。いや、これこそ軌道修正する必要あるでしょ!と慌てて削りに削りましたが、削った文章ですら、新郎がちらっと見て「長くない!?」とドン引きする長さで、ホントに私は文章を短くまとめるという技術をお金払ってでも習得するべきだ、と、つくづく思いました。もう遅いけどさ。
と、いうわけで。
えーっと。あのとき、あの長大な手紙にお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
隣で暇をもて余していた夫さん、付き合わせました。ごめんなさい。ありがとう。
でも、妹さんは泣いてくれたし、母上も少し涙ぐんでくれていたし、大満足です。義弟くんからは「長い上に花嫁は泣かないし・・・」とぶつぶつ言われたし、夫さんからも「覚悟していた3倍長かった!」と驚かれましたが、大々満足なのです。
最後の最後は夫さんからのご挨拶。皆さんへのお礼と夫婦ふたりで赦し合って支え合って生きていきたい、という決意を(花嫁と違って)簡潔にかっこよく纏めて締めてくれました。
結婚を教会でするとなると、事前カウンセリングなるものを受けなければいけないのですが、その事前カウンセリング初回で言われたのが
「聖書で言われている『愛』は、神様が私たちに与えてくださっているもので、私たち不完全な人間には与えることができないもの。だから、私たちはお互いに不完全であることを赦し合いながら愛そうと努めていく。それが結婚なんだ。」
というようなことでした。
カウンセリングの帰り道、
「赦し合いながら生きていくって、いいね。ふたりで言っていたこととも合うね。」
と、言い合ったこと、お互いの結婚に対するイメージに大きな違いがなくてすごくすごく嬉しかったことを鮮明に思い返しながら、夫さんのご挨拶を聞きました。
これにてお食事会も終わり。
最後のお見送りの際に、今日、昨日が誕生日だったおば2名、そして明後日が誕生日でこの結婚式のために並々ならぬ尽力を傾けてくれた妹さんに誕生日プチプレゼントとして、プリザードフラワーをあしらった写真たてを贈りました。今日のブーケをお願いした方にこれもお揃いでお願いしていたのです。
そして、生花のブーケは婚約者さんがいる友人へ願いを込めてプレゼントしました。後日、私の願いが叶いそうな嬉しい話が友人から届きました。どうなるのかなあ、とわくわくしながら動向を見守っています。
そして、両親へ用意していたアレンジメントをひとつは私の両親へ、ひとつはお花が大好きだという夫さんのおば様へ贈りました。でも、ホントのところ、夫さんのお母様もお花が大好きなんだということがその翌日に判明し、夫さんは少々、罰が悪そうでした。ブートニアをふたつともにお母様へプレゼントしたけれど、またいつか別の機会にお花をプレゼントできたらなー、と思っています。
最後の最後までウォーキングチームのメンバーは賑やかに私たちを囲んでくれて口々に「いい一日だった。」「楽しい時間だった。」と盛大に誉めてくれました。嬉しかったなー。乾杯をしてくれたウォーキング大先輩は、私のスピーチで号泣してくれたんだとか。おそらくお年頃の娘さんがいるので、色々重なったんだとは思うんですが、それでも素直に嬉しかったです。
これにて、楽しかった一日も終わり!
すっごくすっごく楽しかったし、今も飽きることなくあの一日を思い返しては幸せな気持ちを反芻してますが、それでももう一回したいか?と問われたら迷うことなくノオ!とお答えします。
結婚式は一生に一度で充分。あの一日を大切に大切に握りしめて、時折そっと握りしめた手を開いて二人で覗き込んで、にこにこをまた味わって、また大切に大切に握りしめる。そんなふうにふたりで生きていきたいな、と思います。