のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

書き留めておくことは大切です。

2005年11月30日 00時19分18秒 | 日常生活
そろそろ新しい年に向けて
スケジュールを買い換える頃です。
雑貨屋さんにも色々なスケジュール帳が
所狭しとおかれていて心弾みます。

スケジュール帳とか日記帳とか
レターセットとかボールペンとか
文房具大好き☆
お手ごろなお値段でかわいいものを
たくさん楽しめるのが大好きな理由です。

とは言え、スケジュール帳なんて1冊で十分。
・・・でも絞りきれないっ!
と迷った結果、今年から妹との交換日記も
大きめのスケジュール帳に移しました。

のりぞうが社会人3年目から復活した
妹との交換日記。それぞれが1冊ずつ
ノートを持っていて、色々と書き溜め
会ったときにノートを交換します。

しょうもない内容ばかりですが
意外と楽しんで読み進めることができます。
たまにびっくりするようなことが
書いてあったりするし。

スケジュール帳だと一日のスペースが
既に決まっているため、時間があるときに
一週間のことを思い出しながら
書き進めることができるのです。
その上、お互いがどんなことをして
過ごしているのかが、わかりやすい。

もともとは、のりぞうが大学時代に
ほんの少し、ひとりぐらしをしていたときに
始まった交換日記。一緒に暮らすようになって
なし崩しで終わりましたが、
その頃のノートを掘り起こした妹が

「後になって読むと、かなり面白いから
 またはじめてみようよ!」

と提案してきて再開。もうノートも三冊目です。

・・・と、思っていたのですが
妹からの電話で、のりぞうと妹の交換日記開始時期が
のりぞうが高校三年の頃だと判明しました。
あまりに中途半端な時期に衝撃を受けて
わざわざ電話してくる妹。

だってさー。高校三年って
のりぞうが大学受験で忙しい頃でしょ?
妹とのりぞうなんて同じ家だし
部屋はひとりずつ与えられていたものの
宿題も台所で一緒にしてたし。

・・・交換日記なんて書く必要なくない?

「でしょー?!
 なんで交換日記始めたんだっけ?
 私、てっきりおねえちゃんがひとりぐらし
 し始めたからだとばかり思ってたよー。」

謎は深まるばかり。
読み返すと、本当にくだらないことばかり
書き綴ってるんだから、なんで日記を書こうと思ったのか
そこんところも書いといてよ!

過去の自分たちにいらいら・・・。

まあ、何はともあれ、明後日から師走。
新しい年を迎える準備もしなければ。

肩こりの原因

2005年11月29日 23時54分39秒 | 日常生活
先週から、ひたすら読んでいた宮部みゆきさんの
「ブレイブストーリー」をようやく読み終えました。
上下二巻だったものを一冊にまとめ
連載当時の挿絵を盛り込んだ豪華装丁版です。

その厚さは10センチを優に超え
ページ数は約1000ページ。

到底、持ち歩くことはできねぇっ!と
家で読んでいたのですが、この本って
眠る前のひとときにも向いてないんですよね。
なにせ1000ページ。
おそらく1キロぐらいあると思われるため
ベッドの中で本を持ち上げるのも一苦労。

全然、読み進めることができなかったため
しょうがなく移動時間に読もうと
持ち歩き始めました。
会社に持っていくかばんの半分を
この本が占め、残りのスペースにお弁当と
日記帳とレターセット、化粧ポーチを入れます。

・・・・会社に何しに行ってるんだ?
という疑問を抱く方もいらっしゃるかもしれませんが
まあ、細かいことはお気になさらずに。

とにかく肩が凝りました。
だってかばんの重さも普段より2割り増しですから。

しかし、この生活ともようやくおさらば。
明日からは、少しかばんが軽くなります。

明日から手をつけるのは、塩野七海さんの
ルネサンス歴史絵巻「三つの都の物語」。
なんと当初三冊に分けて出版されていた本が
一冊になったものです。

・・・・三冊に分けてていいから。。。

まだまだ肩こりの日々は続きそうな予感。

サウス・バウンド / 奥田英朗

2005年11月28日 22時03分17秒 | 読書歴
■ストーリ
 小学校六年生になった長男の僕の名前は二郎。父の名前は一郎。
 誰が聞いても「変わってる」と言う。父が会社員だったことはない。
 物心ついたときからたいてい家にいる。父親とはそういうものだと
 思っていたら、小学生になって級友ができ、ほかの家はそうでは
 ないらしいことを知った。父はどうやら国が嫌いらしい。
 むかし、過激派とかいうのをやっていて、税金なんか払わない、
 無理して学校に行く必要などないとかよく言っている。家族で
 どこかの南の島に移住する計画を立てているようなのだが…。
 型破りな父に翻弄される家族を、少年の視点から描いた、長編大傑作。

■感想 ☆☆☆☆
 「東京タワー」を貸してくれた同期がセットで貸してくれた作品。
 中盤までは眉をひそめ、肩に力を入れながら読み進めていた。
 主人公もその友人たちも魅力的で生き生きと小学生生活を
 楽しんでいる。その描写が鮮やかで読み進めるのに苦労はいらない。

 だが、主人公の父親の言動がどうにも苦手だった。
 元来、あくの強い人物は苦手だ。
 体制に反発せずにはいられない父親が繰り出す
 論理展開は、一件筋が通っているように見えるが
 私には屁理屈としか取れなかった。

 主人公を襲う不良少年とのいざこざも
 理不尽極まりないものなのに、解決の糸口を見出せず
 読んでいて辛い気持ちになった。

 面白いけれど辛い。
 そんな気持ちで読み進めていると、第一部の中盤から
 飛躍的に話が動き始める。
 畳み掛けるように、勃発する事件。
 巻き込まれる主人公。
 事件を更に大事件へと拡大していく父親。

 その事件を収束させるため、主人公の両親が選択した解決策は
 信じられないぐらい破天荒で子供たちの人生を大きく変える。

 沖縄の離島に場所を移した第二部は
 読み進めるのが辛かった第一部と異なり
 肩の力を抜いて、爽快感を味わいながら
 読み進めることができる。
 「私有財産」という概念を持たずに
 助け合いの精神で生きている島の人々。
 東京という人工的な土地を離れ
 自然豊かな島で、開放された父親は、
 第一部とまったく変わっていないのに
 たくましくかっこよく頼りがいのある父親に見える。

 「常識」や「制度」「規則」でがんじがらめになった社会では
 到底気付けない彼の魅力が、島の太陽の下で解放される。

 そう、私が父親一郎に対して、眉をひそめずには
 いられなかった感情は、その窮屈な規則の中で私が
 生きているからこそのコンプレックスなのだろう。
 私は一郎がはねつけた秩序の中で生きているから。
 義務を面倒だと感じながらも、ひとりで生きていくと
 義務をはねつけるほどの勇気も根性も持っていないから
 だからこそ、一郎に対して苛立ちを感じてしまう。

 もちろん、一郎の言い分は極端だ。
 彼の言い分には、少しおかしいと思うところもある。
 だからこそ、ラスト近くで校長先生が島の子供たちに伝えた
 メッセージは心にしみた。

 「忘れてはいけないことは、あなたたち小学生の
  本分は勉強だということです。
  大人の問題に首を突っ込んではいけません。
  すべての大人にはいい部分と悪い部分があります。
  あなたたちはそれに振り回されてはいけません。
  もしも疑問に感じたり、これはおかしいと思うようなことが
  あったら、それを忘れないでください。
  そして大人になったとき、自分の頭で判断し、
  正義の側につける人間になってください。」

 離島問題、沖縄の歴史、共産主義について、
 学生運動の甘さなど、深刻で難しい問題をたくさん取り入れつつも、
 爽快に読み飛ばせ、読後は圧倒的に爽やかだ。 

湯布院土産

2005年11月27日 23時10分54秒 | 日常生活
久しぶりに訪れた湯布院は
こじゃれた雰囲気のカフェや雑貨店が
とにかく増えていて、従来の温泉観光地とは
一味異なる活気あふれる地域になっていました。

こだわりをもったお店がたくさん。
おかげで見たい、入りたいと思うお店がたくさん増え
到底二日間では巡り終えることができません。

それでもアンテナのおもむくままに
じっくり見てまわり、厳選に厳選を重ねて購入した
自分への湯布院土産は・・・

・ピーター・ラビットの立体型アドベントカレンダー。
 (アドベントカレンダーとはクリスマスまでの24日間
  毎日ひとつずつ印をつけて、クリスマス当日を
  待ち望むためのカレンダーです。)
・サンタさんのポストカード1枚
・サンタさんのオーナメントひとつ
・天使のオーナメントふたつ
・クリスマスツリーのポストカード6枚
・ダヤンのポストカード3枚
 (2枚はダヤン好きの友人へ湯布院から送信。)
・紅葉の美しい葉書箋(12枚入り)
 (1枚は失敗。10枚を湯布院から家族や親戚に送信。)

・・・・ふと気がつけば
特に湯布院と関係ないものばかり。
というより、むしろクリスマスに関係あるものばかり。
クリスマスに心を奪われっぱなしです。

いいんです。湯布院にこだわったお土産を購入しなくても
雄大な由布岳を見ながら露天風呂にも入れたし
大分名物のだご汁をお昼ご飯で食べたし
湯布院名物の「辻馬車」ともすれ違うことができたし
そういった記憶の数々が湯布院土産。

あとは自分の記憶力を総動員させて
脳に焼き付けるだけです。

・・・それが苦手だから、お土産を買うんですけどね。

団体旅行が苦手な人たちの団体旅行

2005年11月27日 22時50分04秒 | 日常生活
週末、高校時代の同級生6名で
久々に湯布院へ行ってきました。
この10年、年に1、2回のペースで
共に旅を楽しむ旅仲間でもあります。

6名それぞれがマイペースなので
旅行中も終始自由行動。
先頭集団と最後尾の距離が20メートルから
30メートルほど開くのもざらです。
興味を示すところも
歩いたり風景を楽しんだりする速度も
まったく異なる6人ですが、
それぞれ我慢をしないこと、
妙なこだわりがあまりないこと、
そして、基本的にみんな(先頭集団でさえ)
のんびりめだということもあって
居心地よく同じ空間を共有し続けています。

ただ、「事前準備」や「団体行動」が
苦手な人たちばかりなので、
この10年、旅行に出るたびに
行き当たりばったりの行動と同じ失敗を
繰り返しています。

今回もペンションに到着できずに
湯布院を散策し続け、夕食の時間に遅れたり
おいしいご飯を残すのがしのびなくて
一歩も動くことができないぐらい食べ続けたり
温泉の中で泳いで男風呂との境界を壊してしまったり
湯船に入った後でタオルも着替えも
部屋に忘れてきたことに気がついたり
と波乱万丈の一泊二日の小旅行でした。

とめていただいたペンション「小さい森」
名前のとおり小さな小さなお宿ですが
とっても気さくで前向きなおかみさんと
地元でとれた野菜と白米や箸でも切れるほど
やわらかい豊後牛を使ったおいしいお食事、
食堂の窓から臨む庭の風景、と
魅力満載の本当に素敵なお宿でした。

「旅行」なのに、まるで親戚の家に
泊めていただいたようなくつろぎを味わえる
ペンションですので、湯布院に行かれる際はぜひ!

11月の終わりなのであきらめていた
紅葉もまさに今が盛りで、
いたるところで風景にも心を奪われた二日間。
そして、たわいもない話で思いっきり笑って
将来のことをまじめに語り合った二日間でした。

この10年、会うと常に同じことを繰り返し
旅行に行くたびに同じような思い出を増やしていますが
旅という「非日常」を「日常」に変えてしまう
彼らの個性の強さを心から尊敬しているのりぞうです。

明日の地球のために

2005年11月25日 23時10分28秒 | 日常生活
のりぞうが働いている会社はチーム6%の一員です。
クールビズもウォームビズも取り入れています。
・・・もはや「チーム6%」という言葉が
懐かしい気がしないでもありませんが。

とにかく一員なんです!
なのでトイレや給湯室の電気も
こまめに消すよう奨励されています。

入るときにつける。
出るときは消す。

これが省エネの基本です。

でもね。心配がひとつ。
粗忽者ののりぞう。
電気を消すことが癖になってしまって
個室に入っている人を
暗闇に閉じ込めてしまいそうです。
「やりそう」というよりも「やるに違いない」。

というわけで、トイレに行くときも出るときも、
常に慎重に。確認することが癖になりました。
ああ、この姿を上司に見せてあげたい。
常に「ちゃんと確認しなさい。見直しをしなさい」と
注意をし続けている上司ですので
きっと感涙にむせび泣くはずです。

そんなこんなで本日。
とうとう恐れていた事態が起こりました。









暗闇の個室に閉じ込められました。


ええ、閉じ込め「られ」ました。
閉じ込めることばかり心配していて
自分が閉じ込められるかも、なんて
心配はちっともしていませんでしたので
停電?!とちょっぴり動揺。

すごーい!くらーい!
ホンモノの暗闇ってかんじ?
驚きすぎて口調も劇画調です。

ペーパーホルダーもドアも鍵さえも見えません。
手探りで脱出を試みるのりぞう。

あたふたしているのりぞうの目に
光がひとつ見つかりました。
ウォシュレットの電源です。
・・・何の役にも立ちゃしないっ!

まあ、狭い個室ですので
思ったより簡単に脱出はできました。
洗面所にて手を洗っていると電気が復活。
同じフロアの方がやってきました。

のりぞうに気付き、固まる先輩。
そりゃそうだ。
暗闇のトイレに人がいるなんて想定の範囲外です。
先輩が苦笑いをしながらアドバイスをしてくださいました。

「たとえひとりでも、
 電気ぐらいつけてもいいからね。
 そこまで節電にこだわらなくていいのよ?」





ちがーーーーーーーーーーうっ!

東京なんて・・・・

2005年11月25日 22時31分54秒 | 日常生活
知り合いが仕事の都合で東京に移住することになったため
共通の知り合い、夜ちゃんも含めて3人で送別会を開催。

「送別会」なので、いつもより豪華に
いつもよりアクティブに、
呼子までイカを食べに行くことにしました。

わあ。このメンバで
福岡市を脱出するなんていつぶり?
ていうか、初めて?!
近場大好きの3人組です。

呼子の新鮮なイカに舌鼓を打ち、笑顔で完食。
いやぁ、おいしいものって
本当に笑顔を呼び寄せるんだねぇ。
たまには遠出も悪くないねぇ。

・・・という話を
一緒に食事した元同期に話して聞かせました。

「へえ。東京だなんてさびしくなるねぇ。
 いつ出発?」

「来年の三月かな。」

「・・・・・送別会には、早くない?
 別れを惜しんでいる、というよりは
 むしろ追い出してる?」

・・・確かに。。。時期設定を間違えました。
でもね。心の準備は早めにする必要があるからね☆

・・・何の心の準備?
東京都民が聞いたら怒り出しそうですが
それぐらい、九州人は地元を離れたがらないんです。

映画館での初体験

2005年11月24日 21時57分59秒 | 日常生活
単館系の映画が好きな同期がいるため
そして、のりぞう自身が映画のジャンルにこだわりがないため
マイナーな映画もよく見に行きます。

おかげで色々な映画館体験をしています。

例えば
 ・映画館でひとりきり
  のりぞうひとりのための空間です。
  なんて贅沢なひととき。
 ・映画館で同期と3人
  顔見知りだけだと映画館でも大胆にくつろげます。
  映画館なのに体操座りで鑑賞。
 ・カップルだらけの映画館にひとりのりぞう
  ひとり客はのりぞうのみ。
  微妙に居心地が悪い待ち時間でした。。。
 ・出演者挨拶に一番前の席で遭遇。
  小さな映画館だったため、握手できそうな位置にて
  女優様を拝みました。べっぴんでした。。

冬になると寒さのため、映画館まで出かけるのが
億劫になってしまうのですが、
映画館まで出かけていって、その作品ごとの
観客数や観客層を見るのも面白いのです。

なにより、ビデオでの鑑賞では
よほど好きな映画でない限り
すぐに集中力がきれてしまうのりぞう。
味わえる感動の量も変わってしまいます。
まあ、持ち合わせている集中力の量に
問題があるんですけどね。。

そんなこんなで、昨日の映画ツアーでも
心温まる映画館体験を増やすことができました。

まず、「ヘイフラワーとキルトシュー」で
人生初の立ち見を体験。
満員の映画館は「ハウルの動く城」で
経験したことがあるのですが、立ち見はお初です。

容量の小さな映画館ではあったのですが
それでも、席の右にも左にもそして後ろにも
立ち見客がいる光景は圧巻でした。
初めての光景に、そしてこれだけの人が
集った映画にわくわく。

・・・もっとも30分後には足が疲れて
あやうくコンビニ前のヤンキーに
変身するところでした。

そして「カーテンコール」鑑賞の際に
映画館内での拍手喝采を初体験。
エンドロールが流れ終わった場内で
自然と拍手が起こり、そして少しずつ
その音が大きくなっていく、という
実に感動的な体験でした。

見知らぬ人とひととき、時間と空間、
そして感動を共有できる映画っていいな、
と改めてその魅力を実感。

・・・でもね。
これから数ヶ月は外に出て行くための
勇気と思い切りが半端なく必要なんです。
できれば、良い映画は夏公開でお願いします。。。

保存期間

2005年11月24日 00時40分01秒 | 日常生活
このブログの存在を教えている
会社の先輩からお褒めの言葉と
ご注文をいただきました。

「なかなか面白いやん。
 定年したらゆっくり読むけん
 ちゃんと保存しとってね。」

お褒めの言葉、ありがとうございます☆

でも。。。
先輩って、まだ40代では?
定年まであと何年ですか?
何年保存しておけばいいんですかー?

カーテンコール

2005年11月24日 00時24分19秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 東京の出版社で働く香織(伊藤歩)は、雑誌に
 掲載したスクープ記事が原因でしばらく福岡のタウン誌に
 異動することになった。そこで担当した
 “懐かしマイブーム”のコーナーへの読者からのハガキで、
 昭和30年代後半から40年代中頃にかけて、
 下関の映画館・みなと劇場にいたある芸人のことを知る。
 興味を覚えた香織は、故郷でもある下関へ取材に。
 みなと劇場を訪れた彼女は、昭和33年から今まで
 ずっと働いているという女性、宮部絹代(藤村志保)に
 出会い、幕間芸人として人気のあった安川修平(藤井隆)の
 話を聞くのだった。

■感想 ☆☆☆☆
 「昭和の時代のお話」という情報しかないまま
 予告編の雰囲気が好きだったこともあって見に行った作品。
 予想していたストーリとまったく異なる展開に正直驚いた。
 前半は昭和の古きよき時代、というよりは映画の黄金時代を
 ノスタルジックな雰囲気で伝え、後半では一転して
 在日朝鮮人問題を中心に置き、差別や親子の葛藤を
 骨太に描いている。

 見ているうちに涙が止まらなくなった。
 色々なことを思い出し、そして考えさせられた。

 今でこそ、また客足がよくなってきてはいるものの
 映画の衰退時期はかなり長く続いていたこと。
 高校時代に町の映画館が閉鎖されたこと。
 私の小学校時代にも「在日」の人はいたこと。
 苗字を日本風に変えて暮らしていたことに
 その頃は何の違和感も抱いていなかったこと。
 同和教育が頻繁に行われていたことの意味。

 いろんな記憶が蘇って、映画の題材と結びつき
 より身近な問題として私の感情を揺さぶった。

 小さい頃、同和教育などがあるたびに
 「わざわざ教えるから差別する人が増える」
 と思っていた。けれど違う。
 「しらないから、気づかないうちにしてしまう差別」
 は確かに存在する。だから私たちは知っておく必要がある。
 どんな差別が存在したのか。
 その差別が決して過去のものではないことを。

 子供を捨てなければ生きていけなかった安川。
 その父親を憎み続けながらも会いたいと願っている
 安川の娘、美里。
 30年ぶりの来日で「僕は幸せです。」と笑う安川。
 扉の向こうまで来ていながら、その扉を開けて
 父親に会うことができない美里。

 家族の重みを改めて考えさせられる。
 愛情が大きいほど、その反動も大きくなる。
 だから家族の問題はこじれも大きく、解決が困難なのだろう。

 色々なことを考えさせられたいい映画だからこそ、
 ラスト、主人公がこの取材をどういう記事にまとめたのか
 何を読者たちに伝えたのか、そこまで丁寧に描いて欲しかった。