10月の三連休初日から二日目にかけて、夫さんは4回目の100キロウォークを完歩しました。
体調が万全でなく、色々と不安を抱えての出発でしたが、それでも完歩。かっこいいなぁ。
明け方から午前中にかけてグループメッセージで届いたチームメンバみんなの完歩後の写真がそれはそれは楽しそうで、とてもとても眩しくて。
なんだかものすごーーーーーーーーーーく身体を動かしたくなりました。学生時代はひたすらインドア派を貫いてきたこの私が30代後半になって、身体を動かしている人たちを見て羨ましくなる日が来るだなんて!過去のどの時代の私に伝えてもこれっぽっちも信じてもらえないだろうなぁ・・・。人間、ふとした拍子に自分でもあることすら知らなかった新しい扉を開くことがあるようです。
というわけで、夫さんが充実の三連休を過ごしている中、私はいつも通り教会に向かい、礼拝に参加しました。
礼拝後、教会友達(と言うのはちょっぴりおこがましい。人生の大先輩です。)から
「仕事、復帰したんやろ?なんか顔がね、やつれとるもん。大丈夫?無理しとるんやろ?」
と気遣われてしまいました。しかも、その場にいらっしゃった他の教会友達(これまたこんなふうに言っちゃうのはかなりおこがましい。人生の大先輩です。)からも
「そうなんよ。やけんね、復帰初日から旦那さんと色々あったみたいなんやけど『私は絶対的にのりちゃんの味方やけんね。』って言ってあげた。」
と同じように気遣われる始末。そう!あの『絶対的にのりちゃんの味方』発言はものすごーーーーーーーーーく嬉しかった!とてつもなく心強くて、その後、何度も思い返しては反芻し、胸をぽかぽか温かくしてもらいました。
しかし!
そんなふうに気遣われるほど、私がやつれているだなんて!そ、そんなわけありません。確かに私、夏バテして体重を落としすぎていましたが、仕事復帰してからの二週間で2.5キロも太ったんですよ!今はやつれてなんかないはず!
と、訴えましたが、教会友達からは
「体重は関係ないんよ。痩せたっていうよりは、やつれたっていう感じやもん・・・。あとね、表情がなんか違う。」
ときっぱり言われてしまいました。おぉっ!のぉーーーーーーーーーーっ!!
まさかね、自分がやつれていたとは。
こんなふうに気遣われるほどに表情も余裕がない感じだったとは。
常々、いついかなるときも内面のいろんな感情を見せることなく、飄々と過ごしていたい。目指すは(高倉)健さんかおひょいさん(藤村俊二さん)、もしくは高田の純ちゃんだ!と思って生きてきたのに・・・。理想の生きざまから大いに外れとる・・・。おもわず「やつれってどうすれば取り除けるとね?三連休で解消できるとね?」と頼りになることで有名なぐーぐる大先生にお得意の質問をなげかけるところでしたが、ぐっとこらえて教会会計の仕事に戻ったのでした。
それにしても。
自分のことって、自分ではこれっぽっちもわかんないもんなんだなぁ、と思いました。一応、女性としてのたしなみとして、毎朝の洗顔、お化粧は欠かしておらず、その際に鏡でちゃーんと自分の顔を見てはいるのに。自分がやつれているだなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかったのです。まさかやつれていただなんて。ブツブツブツブツ。(いい加減、しつこいのは承知の助です。)
でも。
私って本当に幸せモノだなぁ、とも思いました。こうやって家族でもないのに毎週会う人がいて、その方々が本人も気付かないような変化を見つけてくれて、あまつさえ家族のように気遣ってくれるのです。恵まれている。この言葉に尽きます。
最近、人生にすごく疲れている方とやりとりをしていて、その方から「人と関わると必ず傷つく。辛いことはすべて人との関わりで産まれる。だから自分の体力が許すのであれば、いっそ出家したい。誰ともかかわりたくない。」というようなことを言われ、ずっとずっともやもやもやもやしていたのです。勿論、この発言に至るまでに、その人はいろんな過程がを経てきているので、それら辛いことを何ひとつ経験していない能天気な私が「そんなことないですよ。」と安易に否定したり、ましてお気楽なアドバイスをしたりするのはとても失礼。でも、心のどこかで「そんなことないよ!」と強く思っていて、それなのにかける言葉がまったく見つからなくて、自分の語彙力のなさや引き出しの少なさにがっくりしていたのでした。
辛いことはすべて人との関りから産まれる。これは事実。でも、人との関わりが生み出すのは辛いことだけじゃないんだよ。嬉しいこと、幸せなこともたくさん生み出してくれるんだよ。辛いことに対しての特効薬はないけれど、でも人との関わりでもらった温かい気持ちはじわじわじわじわと元気をくれる漢方薬じゃないかしら?とも思うのです。「がんばろう」とか「楽しい」とか思えるのは人との関わりがあってこそ。・・・じゃないかしら。全体的に語尾弱めで自信なさ気なのは、私のこれまでの人生の薄っぺらさ故です。深く考えるということをしない私は、それ故に大きな挫折とか絶望とかと無縁で、痛みや悲しみに寄り添うのがとことん下手なのです。
とにもかくにも!
まずは自分のこと!(結局は自分です。自分本位で生きていくんでいっ!)目指すは脱!やつれ!
目指せ!健さん!目指せ!おひょいさん!目指せ!高田の純ちゃん!です。
・・・あ、尊敬する大先輩、前川清さんを忘れていました。彼のように飄々と毒々しくなく毒舌を使いこなし、自由気ままに振るまっているかのように見せられたら、かっこいいなぁ。頑張ります。
体調が万全でなく、色々と不安を抱えての出発でしたが、それでも完歩。かっこいいなぁ。
明け方から午前中にかけてグループメッセージで届いたチームメンバみんなの完歩後の写真がそれはそれは楽しそうで、とてもとても眩しくて。
なんだかものすごーーーーーーーーーーく身体を動かしたくなりました。学生時代はひたすらインドア派を貫いてきたこの私が30代後半になって、身体を動かしている人たちを見て羨ましくなる日が来るだなんて!過去のどの時代の私に伝えてもこれっぽっちも信じてもらえないだろうなぁ・・・。人間、ふとした拍子に自分でもあることすら知らなかった新しい扉を開くことがあるようです。
というわけで、夫さんが充実の三連休を過ごしている中、私はいつも通り教会に向かい、礼拝に参加しました。
礼拝後、教会友達(と言うのはちょっぴりおこがましい。人生の大先輩です。)から
「仕事、復帰したんやろ?なんか顔がね、やつれとるもん。大丈夫?無理しとるんやろ?」
と気遣われてしまいました。しかも、その場にいらっしゃった他の教会友達(これまたこんなふうに言っちゃうのはかなりおこがましい。人生の大先輩です。)からも
「そうなんよ。やけんね、復帰初日から旦那さんと色々あったみたいなんやけど『私は絶対的にのりちゃんの味方やけんね。』って言ってあげた。」
と同じように気遣われる始末。そう!あの『絶対的にのりちゃんの味方』発言はものすごーーーーーーーーーく嬉しかった!とてつもなく心強くて、その後、何度も思い返しては反芻し、胸をぽかぽか温かくしてもらいました。
しかし!
そんなふうに気遣われるほど、私がやつれているだなんて!そ、そんなわけありません。確かに私、夏バテして体重を落としすぎていましたが、仕事復帰してからの二週間で2.5キロも太ったんですよ!今はやつれてなんかないはず!
と、訴えましたが、教会友達からは
「体重は関係ないんよ。痩せたっていうよりは、やつれたっていう感じやもん・・・。あとね、表情がなんか違う。」
ときっぱり言われてしまいました。おぉっ!のぉーーーーーーーーーーっ!!
まさかね、自分がやつれていたとは。
こんなふうに気遣われるほどに表情も余裕がない感じだったとは。
常々、いついかなるときも内面のいろんな感情を見せることなく、飄々と過ごしていたい。目指すは(高倉)健さんかおひょいさん(藤村俊二さん)、もしくは高田の純ちゃんだ!と思って生きてきたのに・・・。理想の生きざまから大いに外れとる・・・。おもわず「やつれってどうすれば取り除けるとね?三連休で解消できるとね?」と頼りになることで有名なぐーぐる大先生にお得意の質問をなげかけるところでしたが、ぐっとこらえて教会会計の仕事に戻ったのでした。
それにしても。
自分のことって、自分ではこれっぽっちもわかんないもんなんだなぁ、と思いました。一応、女性としてのたしなみとして、毎朝の洗顔、お化粧は欠かしておらず、その際に鏡でちゃーんと自分の顔を見てはいるのに。自分がやつれているだなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかったのです。まさかやつれていただなんて。ブツブツブツブツ。(いい加減、しつこいのは承知の助です。)
でも。
私って本当に幸せモノだなぁ、とも思いました。こうやって家族でもないのに毎週会う人がいて、その方々が本人も気付かないような変化を見つけてくれて、あまつさえ家族のように気遣ってくれるのです。恵まれている。この言葉に尽きます。
最近、人生にすごく疲れている方とやりとりをしていて、その方から「人と関わると必ず傷つく。辛いことはすべて人との関わりで産まれる。だから自分の体力が許すのであれば、いっそ出家したい。誰ともかかわりたくない。」というようなことを言われ、ずっとずっともやもやもやもやしていたのです。勿論、この発言に至るまでに、その人はいろんな過程がを経てきているので、それら辛いことを何ひとつ経験していない能天気な私が「そんなことないですよ。」と安易に否定したり、ましてお気楽なアドバイスをしたりするのはとても失礼。でも、心のどこかで「そんなことないよ!」と強く思っていて、それなのにかける言葉がまったく見つからなくて、自分の語彙力のなさや引き出しの少なさにがっくりしていたのでした。
辛いことはすべて人との関りから産まれる。これは事実。でも、人との関わりが生み出すのは辛いことだけじゃないんだよ。嬉しいこと、幸せなこともたくさん生み出してくれるんだよ。辛いことに対しての特効薬はないけれど、でも人との関わりでもらった温かい気持ちはじわじわじわじわと元気をくれる漢方薬じゃないかしら?とも思うのです。「がんばろう」とか「楽しい」とか思えるのは人との関わりがあってこそ。・・・じゃないかしら。全体的に語尾弱めで自信なさ気なのは、私のこれまでの人生の薄っぺらさ故です。深く考えるということをしない私は、それ故に大きな挫折とか絶望とかと無縁で、痛みや悲しみに寄り添うのがとことん下手なのです。
とにもかくにも!
まずは自分のこと!(結局は自分です。自分本位で生きていくんでいっ!)目指すは脱!やつれ!
目指せ!健さん!目指せ!おひょいさん!目指せ!高田の純ちゃん!です。
・・・あ、尊敬する大先輩、前川清さんを忘れていました。彼のように飄々と毒々しくなく毒舌を使いこなし、自由気ままに振るまっているかのように見せられたら、かっこいいなぁ。頑張ります。
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