09.9/3 489回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(43)
源氏の一通りでないご悲嘆を、仏も照覧されたのでしょうか、
「月頃さらに現れ出で来ぬ物怪、ちひさき童に移りて、呼ばひののしる程に、やうやう生きいで給ふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる」
――この数か月少しも現れなかった物怪が、よりましの童に乗り移って、それが大声を上げる間に、紫の上がだんだん意識を取り戻されましたので、源氏はうれしいとも恐ろしいとも言いようもなく感動されました――
物怪は厳重に調伏されてしまいました。その物怪が、ものを申すには、
「人はみな去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月頃調じ、わびさせ給ふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむ、と思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見奉れば…」
――他の人はみな退りなさい。源氏一人の御耳に入れましょう。私をこの月頃、調伏してお苦しめになるのが情けなく辛くて、同じことならこの恨みを思い知らせて差し上げようと思ったのです。けれども貴方(源氏)が、命も危ない程に困惑なさるのを見ますと…――
「…今こそかくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来るなれば、物の心苦しさをえ見過さで、つひにあらはれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」
――やはり私は、今でこそこのような浅ましい物怪などになっておりますものの、昔人間だった頃の心が残っていればこそ、こんな風になってまで来たのですから、人情の切なさを見捨てかねて、ついに身を現したのです。決して現われまいとおもったのですが――
と言って、髪を振り乱して泣くその様子は、
「ただ昔見給ひし物怪のさまと見えたり。あさましくむくつけしと、思ししみにし事の変わらぬもゆゆしければ、この童の手を捉えて、引き据ゑて、様あしくもさせ給はず」
――何と昔見た物怪の様子(かつて葵の上の病中に現れた六条御息所の霊)とよく似ている。浅ましくも恐ろしいと胸に沁みこんだ思いも同じく気味が悪いので、源氏は、この童の手を捉え引き据えて、紫の上に危害が及ばないようにおさせになるのでした。――
◆絵:紫の上の病気と童によりつきの物怪 wakogenjiより
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(43)
源氏の一通りでないご悲嘆を、仏も照覧されたのでしょうか、
「月頃さらに現れ出で来ぬ物怪、ちひさき童に移りて、呼ばひののしる程に、やうやう生きいで給ふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる」
――この数か月少しも現れなかった物怪が、よりましの童に乗り移って、それが大声を上げる間に、紫の上がだんだん意識を取り戻されましたので、源氏はうれしいとも恐ろしいとも言いようもなく感動されました――
物怪は厳重に調伏されてしまいました。その物怪が、ものを申すには、
「人はみな去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月頃調じ、わびさせ給ふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむ、と思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見奉れば…」
――他の人はみな退りなさい。源氏一人の御耳に入れましょう。私をこの月頃、調伏してお苦しめになるのが情けなく辛くて、同じことならこの恨みを思い知らせて差し上げようと思ったのです。けれども貴方(源氏)が、命も危ない程に困惑なさるのを見ますと…――
「…今こそかくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来るなれば、物の心苦しさをえ見過さで、つひにあらはれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」
――やはり私は、今でこそこのような浅ましい物怪などになっておりますものの、昔人間だった頃の心が残っていればこそ、こんな風になってまで来たのですから、人情の切なさを見捨てかねて、ついに身を現したのです。決して現われまいとおもったのですが――
と言って、髪を振り乱して泣くその様子は、
「ただ昔見給ひし物怪のさまと見えたり。あさましくむくつけしと、思ししみにし事の変わらぬもゆゆしければ、この童の手を捉えて、引き据ゑて、様あしくもさせ給はず」
――何と昔見た物怪の様子(かつて葵の上の病中に現れた六条御息所の霊)とよく似ている。浅ましくも恐ろしいと胸に沁みこんだ思いも同じく気味が悪いので、源氏は、この童の手を捉え引き据えて、紫の上に危害が及ばないようにおさせになるのでした。――
◆絵:紫の上の病気と童によりつきの物怪 wakogenjiより
ではまた。