永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(490)

2009年09月04日 | Weblog
 09.9/4   490回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(44)

 源氏は、よりましの童を打ちすえて、

「まことにその人か。…確かなる名のりせよ。また人の知らざらむ事の、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」
――本当に六条御息所なのか。はっきりと名を言え。他の人が知らないことで、私だけがはっきり思い出せそうな事があったら言え。そうすればいくらかでも信じよう――

 と責め立てますと、よりましの童は、ほろほろとひどく泣いて言うには、

「『わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君はきみなり』いとつらし、つらし」
――(物怪の言葉)「私こそ昔と変わり果てた姿ですが、昔のお姿のままで、空とぼけていらっしゃるあなたは、随分ひどい方です」うらめしい、うらめしい――

 と泣き叫ぶその姿は六条御息所に違わないので、そうと分かって尚さら嫌になったので、もう口をきかせまいと源氏はお思いになります。が、物怪はなおも、

「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなし、となむ、天翔りても見奉れど、道ことになりむれば、子の上までも深く覚えぬにやあらむ。なほ自らつらし、と思ひ聞こえし、心の執なむとまるものなりける。…」
――わが娘の秋好中宮へのお世話も、とてもうれしく勿体ないとも、死後にあっても感謝していますが、幽冥境を異にしますと、子の上にまでは深く感じないものなのでしょう。やはり辛い悔しいと思った執念が現世に留まるものなのでした…――

「その中にも、生きての世に、人より貶して、思し棄てしよりも、思ふどちの御物語のついでに、心よからず憎かりし有様を、宣ひ出でたりしなむ、いとうらめしく、今はただ亡きに思しゆるして、こと人のいひ貶めむをだに、省き隠し給へとこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所狭きなり…」
――その中でも、私の存命中、他人から見くびられた恨みよりも、あの日、貴方が紫の上にお話になった折りの、私を不快に憎く思っておられることを口になさったのが、ひどく恨めしくて、今はもう私が死んだ者として、人が悪く言う事があっても、貴方だけは打ち消してくださると思っていましたのに、こういうひどい悪霊の身とて、こんな大事件になったのです――

◆所狭きなり=所狭き(ところせき)=窮屈な、厄介なこと。

ではまた。