09.9/16 502回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(56)
源氏は、
「もろともにかへりてを、心のどかにあらむ」
――あなたと一緒に六条院へ帰ってからね。それまでゆっくりと――
とお言葉を紛らわせておっしゃる。何もご存知ない紫の上は、
「ここにはしばし心安くて侍らむ。先づ渡り給ひて、人の御心もなぐさみなむ程にを」
――私はもうしばらく此処に居ましょう。貴方が先にいらして、宮のご機嫌が良くなられた頃にでも――
と、こんな風にお話をしていますうちに幾日か過ぎたのでした。
女三宮は、こうも源氏が長い間お見えにならない時は、今までは随分薄情な方だと思われたでしょうが、今はご自分の過失のせいであるとお思いにもなりますので、朱雀院がこのことをお耳にされて、どう思われるであろうかとそれが心配で、夫婦仲を窮屈なものとお思いになるのでした。
さて、
「かの人もいみじげにのみ言ひわたれども、小侍従も煩わしく思ひ歎きて、かかる事なむありし、と告げてければ」
――柏木からも、しきりに宮にお逢いしたいと言ってきますが、小侍従はもうあの事があってからは面倒で、困ったことになりはしないかと心配で、「こういう事がありました」とお知らせしますと――
柏木は、
「いとあさましく、いつの程にさること出で来けむ、かかる事は、あり経れば、自ずから気色にても、漏り出づるやうもやと思ひしだに、いとつつましく、空に目つきたるやうに覚えしを、ましたさばかり、違うべくもあらざりし事どもを見給ひてけむ、はづかしくかたじけなくかたはらいたきに、朝夕涼みも無き頃なれど、身もしむる心地して、言はむ方なく覚ゆ」
――はっと、胸を衝かれて、いったい何時そんなことがあったのだろう。こうした秘密は長い間には自然に素振りや様子で、漏れ出てしまうものだと思うにつけ気が引けて、恐ろしくも天から睨まれているような気持ちでしたのに、ましてや、あのように間違いようもない証拠を源氏が見つけてしまわれたとは、恥ずかしく、勿体なく、極まり悪くて、朝夕涼しくもない季節ですのに、身も凍る気がして、ただもう言いようもなく苦しいのでした――
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(56)
源氏は、
「もろともにかへりてを、心のどかにあらむ」
――あなたと一緒に六条院へ帰ってからね。それまでゆっくりと――
とお言葉を紛らわせておっしゃる。何もご存知ない紫の上は、
「ここにはしばし心安くて侍らむ。先づ渡り給ひて、人の御心もなぐさみなむ程にを」
――私はもうしばらく此処に居ましょう。貴方が先にいらして、宮のご機嫌が良くなられた頃にでも――
と、こんな風にお話をしていますうちに幾日か過ぎたのでした。
女三宮は、こうも源氏が長い間お見えにならない時は、今までは随分薄情な方だと思われたでしょうが、今はご自分の過失のせいであるとお思いにもなりますので、朱雀院がこのことをお耳にされて、どう思われるであろうかとそれが心配で、夫婦仲を窮屈なものとお思いになるのでした。
さて、
「かの人もいみじげにのみ言ひわたれども、小侍従も煩わしく思ひ歎きて、かかる事なむありし、と告げてければ」
――柏木からも、しきりに宮にお逢いしたいと言ってきますが、小侍従はもうあの事があってからは面倒で、困ったことになりはしないかと心配で、「こういう事がありました」とお知らせしますと――
柏木は、
「いとあさましく、いつの程にさること出で来けむ、かかる事は、あり経れば、自ずから気色にても、漏り出づるやうもやと思ひしだに、いとつつましく、空に目つきたるやうに覚えしを、ましたさばかり、違うべくもあらざりし事どもを見給ひてけむ、はづかしくかたじけなくかたはらいたきに、朝夕涼みも無き頃なれど、身もしむる心地して、言はむ方なく覚ゆ」
――はっと、胸を衝かれて、いったい何時そんなことがあったのだろう。こうした秘密は長い間には自然に素振りや様子で、漏れ出てしまうものだと思うにつけ気が引けて、恐ろしくも天から睨まれているような気持ちでしたのに、ましてや、あのように間違いようもない証拠を源氏が見つけてしまわれたとは、恥ずかしく、勿体なく、極まり悪くて、朝夕涼しくもない季節ですのに、身も凍る気がして、ただもう言いようもなく苦しいのでした――
ではまた。