09.9/6 492回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(46)
衛門の督(柏木)は、昨日は鬱鬱と暮したのですが、今日は弟君たちを車の後ろに乗せて、葵祭りの見物に出られました。そこで紫の上ご死去の噂をお聞きになって、真偽のほどがはっきりしませんので、とにかくお見舞いにと二条院に参上します。二条院では人々が泣き叫んでいますので、ああ本当なのだと、今さらに驚いておられる。
大将の君(夕霧)が涙をぬぐってこちらにいらしたので、柏木はお見舞いを申し上げますと、
「いと重くなりて、月日経給へるを、この暁より絶え入り給へりつるを、物怪のしたるになむありける。(……)」
――重体となられて長らくいらっしゃったのですが、今朝より臨終になられてしまったのは、物怪の仕業なのでした。(今はようやく生き返られたように伺っていますが、まだまだ油断がなりません。本当に悲しくてなりません)――
と、実際激しく泣かれた様子で、目が腫れていらっしゃる。衛門の督(柏木)は、
「わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからむ継母の御ことを、いたく心しめ給へるかな」
――自分の怪しき恋に推しはかってか、夕霧の、そう親しくしておられない継母の紫の上のことを、それほど心にかけておられるとは――
いかにも怪しいことだと、心に留めたのでした。
源氏は見舞いの人々に、
「重き病者の、にはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず、乱りがはしく騒ぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あはただしき程にてなむ」
――重病人が急に臨終のようにみえましたが、女房達がそわそわして無暗に騒ぎましたので、私も落ち着かずに慌ただしくしている最中ですので、これで失礼します――
「このように、お見舞いくださいましたお礼は、改めてもうしあげます」と、源氏がおっしゃいます。柏木は、胸がどきりとして、
「かかる折のらうろうならずばえ参るまじく、けはひはづかしく思ふも、心のうちぞ、腹ぎたなかりける」
――このような折の混雑にでも紛れなければ、とても源氏の邸になど、伺われる筈はないと、何となく恥ずかしく覚えるのも、心の内を見透かされまいとの、自分を庇う腹汚なさである――
◆とぢめつるさま=閉じめ=死に際、臨終
◆写真:葵祭り 風俗博物館
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(46)
衛門の督(柏木)は、昨日は鬱鬱と暮したのですが、今日は弟君たちを車の後ろに乗せて、葵祭りの見物に出られました。そこで紫の上ご死去の噂をお聞きになって、真偽のほどがはっきりしませんので、とにかくお見舞いにと二条院に参上します。二条院では人々が泣き叫んでいますので、ああ本当なのだと、今さらに驚いておられる。
大将の君(夕霧)が涙をぬぐってこちらにいらしたので、柏木はお見舞いを申し上げますと、
「いと重くなりて、月日経給へるを、この暁より絶え入り給へりつるを、物怪のしたるになむありける。(……)」
――重体となられて長らくいらっしゃったのですが、今朝より臨終になられてしまったのは、物怪の仕業なのでした。(今はようやく生き返られたように伺っていますが、まだまだ油断がなりません。本当に悲しくてなりません)――
と、実際激しく泣かれた様子で、目が腫れていらっしゃる。衛門の督(柏木)は、
「わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからむ継母の御ことを、いたく心しめ給へるかな」
――自分の怪しき恋に推しはかってか、夕霧の、そう親しくしておられない継母の紫の上のことを、それほど心にかけておられるとは――
いかにも怪しいことだと、心に留めたのでした。
源氏は見舞いの人々に、
「重き病者の、にはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず、乱りがはしく騒ぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あはただしき程にてなむ」
――重病人が急に臨終のようにみえましたが、女房達がそわそわして無暗に騒ぎましたので、私も落ち着かずに慌ただしくしている最中ですので、これで失礼します――
「このように、お見舞いくださいましたお礼は、改めてもうしあげます」と、源氏がおっしゃいます。柏木は、胸がどきりとして、
「かかる折のらうろうならずばえ参るまじく、けはひはづかしく思ふも、心のうちぞ、腹ぎたなかりける」
――このような折の混雑にでも紛れなければ、とても源氏の邸になど、伺われる筈はないと、何となく恥ずかしく覚えるのも、心の内を見透かされまいとの、自分を庇う腹汚なさである――
◆とぢめつるさま=閉じめ=死に際、臨終
◆写真:葵祭り 風俗博物館
ではまた。